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津軽、金木町へ小旅行
福島に用事があったので、足を伸ばして津軽と弘前に出かけました。狙いは、津軽では太宰治の生家・斜陽館、弘前ではもちろん弘前公園の観桜です。
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新青森駅から奥羽本線に乗り換えました。車内は満員電車状態です。おそらく弘前に行く観光客でしょう。外国人観光客も目立ちました。
川辺駅で五能線に乗り換えて、五所川原へ。五能線は空いているだろうと思ったら、さにあらず。これまたほぼ満員。みんなどこへ行くのだろうと思いつつ、五所川原駅で降りて、津軽鉄道に乗ります。
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津軽鉄道もほぼ満員です。皆さんの行き先は、桜の名所であり、撮り鉄の聖地の芦野公園駅です。
津軽鉄道の車掌さんの車内アナウンスは最高でした。沿線の観光情報はもちろん、津軽鉄道の苦しい経営状況や乗務員募集と情報満載で、乗客には笑いと拍手で大ウケ連続のアナウンス、さらにはクリアファイルの販売と大忙しでした。
私はまず芦野公園駅の1つ手前の金木駅で降ります。
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駅から歩いて、目的の斜陽館へ向かいました。ちょうどお昼時だったので何か食べたいなと思い、食堂か食料品店でもないかなと思いましたが、駅前では見当たらず、斜陽館の手前にコンビニがあり、食料を確保しました。
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レンガの壁の高さ、長さからもわかるように、相当大きな家です。太宰は「父は、ひどく大きい家を建てた。風情も何も無い。ただ大きいだけである。」と書いていますが、私はそんなことはない、明治の大地主らしい風格ある立派な家だと思いました。
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この豪邸は明治40(1907)年に落成して、津島家(太宰の本名は津島修治)は昭和25(1950)年に手放してその後、旅館「斜陽館」となります。宿泊された方も多いのではないでしょうか。
平成8(1996)年に旧金木町が買取り現在は、太宰治記念館「斜陽館」として一般公開されています。私は今回初めて訪れたので、逆に旅館の当時は、どんな風だったのだろうと興味が湧きました。このままではとても旅館としては不便な部分も多かったのではないかと感じました。
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次に、斜陽館から200mくらい離れた所にある、太宰治が疎開した時の居宅「疎開の家 旧津島家新座敷」に行きました。
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ここは、斜陽館の蔵につながっていた奥座敷だったのです。太宰が1945年に妻子を連れて生家に疎開し翌年11月まで、過ごし「パンドラの匣」など23作品を執筆した離れ屋敷でした。
津島家は1948年に家を売却した時、この奥座敷だけを切り離して200m離れたこの場所に移設して居住場所としたそうです。
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ふるさと津軽への複雑な思いや、兄との確執があったけれども、1942年に病床の母を見舞うことが許されて、次第に兄と打ち解けるようになり、家族連れでの疎開も許されて、少し安堵した面持ちで、執筆を再開したのがこの和室で、かなり精力的に作品を仕上げています。
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六畳間の隣のこの部屋では太宰が、近所の文学に関心のある仲間たちと、語らったり飲み食いをして、和やかに楽しく過ごしたそうです。
金木駅に戻り、ひと駅津軽鉄道に乗って、隣の芦野公園駅へ。
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ここは桜の名所です。駅自体が芦野公園の真ん中にあるような感じです。桜のトンネルがある駅ということで、撮り鉄なら知らない人はまずいない、という有名な駅です。
駅と公園は、インバウンド客も混じって多くの観光客、花見客で大賑わいです。ツアーコンダクターが率いる団体客も結構見かけました。
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太宰が小さい頃によく遊んだ芦野公園は、広々としてなだらかな斜面があり、池があり、子どもには最高の遊び場だったでしょう。子守の「たけ」さんに連れて来たこともあったでしょう。池があると、親としては一人で遊ばせるには心配ですね。
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故郷に銅像が建っているというのは、天国で太宰はどう感じているのでしょうか。聞いてみたいところです。
最後に金木町出身と言えば、この人に触れないわけにはいきません。街の至る所で「祝優勝」が見られました。町の人の応援の気持ちが伝わってきました。
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まさにふるさとの英雄ですが、今後もまだまだ前途有望な力士ですから、銅像が建つのは早すぎますね。でも金木地区で優勝パレードはあるそうです。津軽鉄道の車掌さん情報です。
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世の中で大きく成功した人の中には、故郷に対して複雑な思いを持っている人が多いような気がします。どことなく後ろめたさや、実家や親との確執やわだかまりがあって、気持ちよく帰郷がしにくい思いを抱いている人が、かなりいるのではないでしょうか。
私の勝手な推測ですが、尊富士関にはそんな複雑な思いがない、例外的な人物ではないでしょうか。
やはり故郷は大切にしておかないといけませんね。