見出し画像

幼い頃のワタシが憧れる自分でありたい

インスタの投稿を消したり、名前やアイコンを変えたり、お察しの通りメンタルがブレイクしておりました。

定期的にくるリセット症候群というやつでしょうか。いいえ、リセット症候群という言葉がメディアで取り上げられて広く伝わったことを免罪符にしたいだけなのです。

私はいつから弱い人間だったんでしょうか。答えは初めからです。いつだって弱くて泣き虫で気の弱い人間なのです。そこに尋常じゃない負けず嫌いが加わってバランスが取れていましたが、定期的にそのバランスが崩れてしまう時もあります。

そんな時、誰だってあるんです。人間だもの。でも問題なのは私はそれを誰かに話したり、相談することが出来ないんです。どうしても話そうとするとストッパーが作動してヘラヘラしてしまいます。尋常じゃない腹痛に襲われた時も、ヘラヘラニコニコしてしまうので「本当にお腹痛いの?」なんて言われてしまうこともありました。それでも私はヘラヘラしました。弱い人間だからこれ以上弱いところを見せるのが嫌なのです。頼りたくないとか信頼してないとかでは全くなくて。弱さをこれ以上見せてしまうと、自分自身が情けなくて情けなくて堪らないのです。


私は自分の人生の目標というかテーマをいくつか設定しています。その一つが「幼き時の自分が誇れる人間であること」です。

何かを行動するとき、発言するとき、振り返る時、必ず「幼い時のワタシが見たら憧れてくれるような自分になれているだろうか」を考えます。

私の幼き時は、引っ込み思案で意思も弱く、泣き虫でした。話す時は相手の目なんて見れないし、上手く話せないし、人前で話そうものなら顔がりんごのように真っ赤になってしまいます。上手く言葉に出来ないから、怒られたらすぐ泣きます。母には涙を流すたびに「また女優ぶって、泣けばいいと思ってるでしょ」なんて怒られてましたが、まさにその通り。幼き頃 時の私は悲劇のヒロイン気取りをしていました。これは言い訳ですが、当時の私にとってそれが自分を守るための唯一の手段だったんです。情けない自分をそれでも愛おしく思いたくて、自分で自分のことを抱きしめてみました。ただ抱きしめて欲しかったんです。だれかに。でもそれが言えなかった。

人生が好転したのは中学三年生の時。高校体験入学で演劇時立てで学校説明をしてくれたお姉さんたちがキラキラ輝いて見えて、その高校に入学することを強く心に決めました。ここなら自分が変えられると思ったんです。そして私は無事合格し、憧れの高校生活が始まります。

高校3年間はとても楽しかった。演劇はやらなかったけど、吹奏楽では演奏会を作ったり、部長を務めさせてもらったり、中学三年生の時憧れてた高校体験入学の演劇時立て学校説明のお姉さんに抜擢されちゃったこともありました。私は素直に嬉しかったんです。きっと今の私は幼き頃の私がみたら憧れるような人になれてると本気で思ってました。友達もいて、熱中するものがあって。人と目を合わせるところが、300人ほどの人前でステージで1人で挨拶しちゃったりもして、これはもう理想の自分になれたと思ってました。

しかし、懺悔させてください。私は見栄を張ってたんです。本当に好きだったものや気持ちをみんなに隠してました。みんなを大好きな気持ちは今も昔も変わりません。ただ、あの時は強い人間ぶりたかったんです。情けない自分を認めたくなかった。


そんなこんなあり、私は25歳になりましたが、今の私は本当の強さとは何か、答えを知っています。それは「ありのままの自分を認めてあげること」です。

ずっと私は強い人間とは「向上心がある人」だと思ってました。なんでも前向きで、目標があって、結果もだしちゃう人。私もそんな人になりたいと思っていたし、そう見られるように振る舞って見るなど、ちょっと努力をしてみたこともありました。

でも違かった。
本当の自分を押し殺してまで、
自分で自分のことを騙してまで、
得られるものってなんなんでしょう。
そう、何もないのです。

良いところも、ダメなところも。
弱いところも、強がってしまうところも。

自分を、自分で認めてあげましょう。
ちゃんと過去を振り返り、過去と向き合い
その上で前を向ける人間が一番強いのです。

私はずっとワタシを置いてけぼりにしてしまってました。ワタシのために頑張ってたつもりでしたが、本末転倒でした。

これは私がワタシに捧げる懺悔です。
同時に迷惑をかけてしまった皆様へも捧げます。
迷惑をかけてきた人たちは、私の見えないところで勝手に幸せになっていてください。あなたに捧げるほど余裕はないのです。

『ありのままを愛しむ。』/月(るな)


いいなと思ったら応援しよう!