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400年の伝統を未来へ 「光庵と吉見家と茅葺きの物語 その3」

茅葺屋根(母屋)解体をめぐって

敷地の真ん中にあり、作業の妨げになっていたように思えた昭和57年当時。
うーめんの需要が高まり会社は忙しい時代でしたので、従業員の働きやすさを考えると、どうするのが良いのか私もずっと頭を悩ませていました。

白壁の入口。左奥に光庵、そのさらに裏手に工場がある

母屋が大事か、工場が大事か

父はこの江戸時代中期から吉見家の多くの人々が住み続けてきた歴史ある母屋を壊すわけにはいかないと主張し、意見が対立しました。
母屋が大事か工場が大事かという問いに対し、父はどっちも大事との意見を曲げずに、結局自宅はすぐそばにある畑に新築し、茅葺はかなり傷んでいるのに残すことになりました。
しばらくの間父は茅葺に住み続け新築の家には入りませんでした。そして父は平成9年(1997年)10月4日に他界。茅葺の母屋は残り、さらに父の会社が掛けていた生命保険の死亡保険金を使って平成15年(2003年)に修繕することになりました。
永きにわたってその存続をめぐって議論をしてきたわけですが、父が亡くなるまで大事にしてきた茅葺きの母屋は、私にとっても次第に特別な存在へと変化していたのかもしれません。そして現在は、手延白石温麺の食事体験味見処「光庵」として評判を得ています。

他ではもうできない茅葺屋根の味見処

代々補修を重ねてきた現在の茅葺屋根

 実際法律の規制で茅葺屋根は新しく作ることはできませんから、父が残した母屋は、他に真似のできない食堂として、極端に言えば今に生きる文化財として、白石の街のステイタスをより高いものにしていると言えます。
 さらに、白石温麺は「奥州白石温麺振興条例」により白石の大切な食文化と定義されていますが、その具体的伝承の場として「白石温麺味処 光庵」は重要な位置にあると確信します。

現在の光庵入口

 現在も白石市民の方々はもちろん、仙台や隣接県そして連休ともなれば遠くからのお客様で満席となっています。まさに白石の食文化発信の基地となり大活躍の光庵です。お客様の評判も上々で「本当においしかった」と、売店に白石温麺を買いに来るお客さんお満足された様子を拝見して、日々喜びを感じております。

これからも、時代の変化に応じて、光庵も会社も変化していきたい。
皆でアイディアを出し合い、楽しい場所に育てていきたいと思います。

光り輝くうーめん

#伝統製法
#手延製法の白石温麺を提供する唯一の白石温麺食堂  
#工場併設で予約で限定人数ですが工場見学ができる  
#白石温麺を食べる、見る、買う、知る 体験ができる
#稲庭饂飩のルーツは白石温麺  
#つりがね印は「片倉小十郎の旗印」

吉見家15代目 きちみ製麺 取締役会長 吉見光宣

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「400年の伝統を未来へ!白石温麺の聖地「光庵」が生まれ変わります」