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成功は運か努力か才能か?についての考察

「人生は運ゲーに過ぎないのか?」「運ゲーだとしたら攻略法はあるのか?」というテーマをここ数年ずっと考えていて、自分なりに納得できたので備忘録として書き残しておこうと思う。 今の時代に「努力は報われる」といった話を素直に信じることはできないのは明白だが、分不相応な夢は描かないほうが良いという雰囲気もある。 そこで、昔から続く「成功は運か努力か才能か?」という疑問に対する考えをまとめてみることにした。 才能ではなく運が支配する世界2022年のイグノーベル経済学賞に非常に面白

#002 ChatGPTと戦いたくないなら中央値の戦場を避け、外れ値で戦おう

早朝、まだベッドの中で、寝てるでもない、かといって起きてるわけでもないという時間が大好きです。何より気持ちいいというのもあるのですが、この時間にいろんなアイデアを思いつくんですよね。なので寝るときはかならず愛用のメモ帳を枕元に置いております。 ということで、今朝、まどろみながら思いついたのが「ChatGPTは中央値しか返せない」ので「ChatGPTと戦いたくないなら中央値の戦場を避けろ、外れ値で戦え」ということです。中央値というのは統計でいう正規分布の両端から数えてちょうど

「才能」の定義

先日、とあるコピーライターさんとお話しする機会があった。その話の中で、「ある若手の面倒を何年かみているが、どう考えてもコピーライターの才能がない。でも本人に自覚がなく、どうしたものか考えあぐねている」という話を聞いた。 最初こそ「才能がないのではなくまだ未熟なだけなのでは?」「1人の師匠がダメ出ししたからといってその人に才能がないとも限らないのでは?」と思ったのだが、いくつかの「ダメだと思った」というエピソードを聞いて納得がいった。 要は、コピーライターというのは本来、他

「個人的には…」という言葉の使い方が上手な人と下手な人の違い

皆様、本日の日報を提出いたします。 --- 我々デザイナーが働く制作の現場で「個人的には…」という言葉をよく耳にする。この言葉の使い方について、常々疑問と違和感を覚えていたので、少し腰を据えて考えてみたい。 私はこの「個人的には…」という言葉は、合議の上で何かを決定する場では使うべきではない、というか、使う必要が無いと考えている。なぜなら、その前置きが無くとも全ての意見は個人的な経験や判断に基づくものであって、個人的であることは分かりきったことだからだ。 想像してもらい

「誰かが何かをしてくれるのを待つ」のをやめる

以前、転職したくてたまらなかった頃、私の口癖は「何かいいことないかなぁー」でした。 会社員時代の友達にはこの口癖が流行っていました。 皆、集まれば、「何かいいことないかなー」って言ってましたね。 「何かいいことないかなー」の「いいこと」とは何かでは、「いいこと」とは何でしょうか。 会社員時代の「いいこと」はこんな調子でした。 例えば、誰かが突然結婚を申し込んでくれるとか、 彼氏が海外転勤になって駐在員夫人になるとか、 とつぜん、会社から抜擢されて花形部署に転属になるとか

【作業効率化メモ】日程調整を自動化することで無駄な業務を1/20カットできた

業務に行き詰ったときはまったく別のことをしてみるとよい……ということでひさびさにノートに「作業効率化メモ」を書いてみました。 誰でも、日々の忙しさにかまけていると、惰性で作業をしがちになります。何よりも「思考する時間」を奪われてしまうので、事業やサービス向上のための一手が後手に回ってしまうことが多くあります。では、より短時間かつ、より高濃度で、業務遂行をするためにはどうすればいいのでしょうか。 まず、私は自分の業務を可視化する必要性を感じました。なぜなら、「コア業務」と「

斧を砥ぐことの価値

仕事では日々の忙しさに追われ、根本的な問題解決に手が回らないことがよくあります。 やらなきゃいけない大切なことがある。でも、日々の業務が忙しくて着手できない…このような問題を『樵のジレンマ』と呼びます。 昔々、樵が木を切っているところに、旅人が通りがかりました。 ある樵が、必死に木を切っていました。 そこへ通りがかった旅人が、 樵の斧は長く手入れがしてないようで、刃がボロボロです。 これでは切れるわけがありません。 旅人は見かねて「そんな斧では仕事ができなかろう。斧

言語化することは「言葉の整理」だ

枕にかえて どうも、えんどう @ryosuke_endo です。  転職相談やキャリアメンタリングなんて言葉が徐々に一般化してきており、新しもの好きな人たちや新規開拓が好きな人たちだけでなく、ネットとの接点も程々の人たちにも普及してきている印象だ。  ただ、普及してくるにつれて感じることは「自身を言語化すること」において、苦手意識を持っている人の数が増えていることである。得手不得手の話でもあるが、同時に機会を作ってこなかったであろうことも露呈している。  しかし改善でき

馬に水を飲ませる方法

最近、子育てや部下指導の話題で「馬を水場に連れて行くことはできても、水を飲ませることはできない」ということわざを耳にすることが多い。勉強机に座らせることはできても勉強させることはできない、デスクにつかせても働かせることはできない、ということを言いたいのだろう。けれど。 私は、馬に水を飲ませるのは簡単だと思う。水場に連れて行かなきゃいい。すると、馬はなんとしても水場に行きたがり、水場に着いたとたん、ガブガブ水を飲むだろう。 水を飲ませようとすぐに水場に連れて行くから飲まない。