ダルビッシュ有がくれた生きる力Vol.1
日本代表日本代表を“ワンチーム”にした人間力の「核心」
各球団から集結した選手たちとの距離を縮め、約1か月で団結力あるチームにまとめ上げた。ダルビッシュ有の気遣いは今大会で話題となったが、その原点は18歳の時の出来事にある。彼に救われた元担当記者が、日本代表を支えた「人間力」の核心を綴る。
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14年前は歓喜の輪の中心にいたダルビッシュ有(サンディエゴ・パドレス)が、今回は三塁ベンチからマウンドめがけて走った。ナインや首脳陣と力強い抱擁を交わし、胴上げでは栗山監督に続いて3度宙を舞った。2009年の第2回大会とは、役割も存在感も違っていた。
「胴上げは本当に感無量というか、そういう感じで。すごく気持ち良かったです。とにかく楽しく野球をしているっていうところをファンの方々に見てもらうことが大事だったと思うので、それプラス結果がついてきて本当に良かった」
インタビューでは充実感と安堵感を漂わせた右腕は、3試合に登板して計6回5失点の防御率6.00。百戦錬磨のダルビッシュでさえ、一度も実戦マウンドの機会がないなかでの“ぶっつけ本番”は、酷だったにちがいない。ストレートは球速表示こそ150キロを超えていたが、体もボールも、キレがいまひとつだった。
だが、個人成績だけでは、推し量ることのできない貢献度があったからこそ、胴上げにいざなわれた。
侍ジャパンのメジャーリーガーでは唯一、2月の宮崎強化合宿から参加。選手ではただ一人の昭和生まれの36歳。大会前、大会期間中を通じて、投手と野手の垣根を越え、率先して何度も食事会を開いた姿は、「人見知り」を自認していた20代の頃とは、明らかに変わっていた。
準決勝前の声出しでは、「大会ナンバーワンのチームワーク」と選手たちに賛辞を贈ったが、それはダルビッシュがいたからこそ、築かれたものといえる。
最たる例が、宇田川優希投手(オリックス・バファローズ)へのアプローチだろう。昨季途中に育成契約から支配下登録され、あっという間に勝利の方程式を担って日本一に輝き、ついには日本代表にまで上り詰めた右腕は当初、チームになじめなかった。そんな宇田川に、若き日の「人見知り」だった自分を重ね合わせたのかもしれない。
キャンプ休日の昼間に、オリックス(当時)の同僚・山本由伸投手を介し、半ば強引に外に連れ出し、チーム宿舎裏の池にあるスワンボートでひと遊び。さらに近くの海岸で語り合い、交流を深めた。その後、夜の「宇田川会」につなげていった。——メディアはそう伝えている。(つづく)