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浮世の森
今日の記事は少々創作寄りです。
皆さんは、「ある曲を聴くと特定の景色が頭の中に広がる」という経験をしたことはあるでしょうか?
私は特に、the chef cooks me の『浮世』という曲でその現象が濃ゆく発生します。
一つの曲で、これほど鮮明で映像化できる程度にはっきりした想像が広がるのは珍しいなあと思っています。
今回はそのシナリオ&曲の良いところを混ぜこぜにしながら、『浮世』が導くイマジナリーワールドを文章にしてみました。
よかったらこの森に入ってみてください〜
夕暮れの浮世の森
私は『浮世』を聴いていると、夕暮れの「浮世の森」を彷徨っている感覚になります。
ここでいう「浮世の森」とは
360度どこを見渡しても自分がはっきりと認知できるものはなくて、でもその中にいると不思議と何か大きなものに包まれている感覚になる森
のことです。
初めの足音が近づいてくるような音からの🫰で、トンと背中を押されて森に入ります。
ドラムのビートは私自身が歩く音です。
それ以外の楽器の音もしっかりと識別できるのですが、この曲に限っては鳥が羽ばたく音、鳴く声、木の葉と葉が擦れる音etc…に聴こえてきます。(もはや鳥かどうかも分からない、飛ぶ何か)
人の声も聴こえるけれど、響いて遠く感じられたり逆に囁くような距離の近さを感じられたりという不規則さ。
サウンド推し推しポイント
・「愛憎絶望希望アイソレートして」でギターからのピアノの優しいバトンタッチ
→ボーカルと寄り添ってはらはらと散る花(桜みたいに小さな花びらではなく、バラやチューリップくらい大きい花がはらりと舞う感じです)
・「想像と勘を黙らせる」のキメ、からの「ように」のシンセベースの音
→キメで地面を確認したはずなのに、「ように」でその地面丸ごとフワッと宙に浮かんでしまって「浮世の森」の世界に戻される感覚
ラスト、同じフレーズの繰り返しで混沌がじわじわと襲ってくる。(ピアノのコードが一回変化したのち解決コードに行くのも推しポイントです。)
最後に夜明けが訪れます。
そして、最後に残る音が左右に揺れて残ってるな〜と感じるうちに、脳のど真ん中にやってきて「浮世の森」から押し出されます。
(アルバム"Feeling"だと、世武さんのインスト曲”Feeling”につながり「これは幻想であって、気づいたら自分の部屋にいた」というオチ)
そして、歌詞全体が「自分がこの森に迷い込んだ理由」であるように感じられます。
生活をする上で、あまりにもたくさんの物に囲まれていることに辟易してこんがらがってしまった自分。どれが本当でどれが偽物で、どれが大切なのかも分からない。
何も信じられなくて「それならば」と思った時。
浮世の森が目の前に現れて、「お前の感じていることを見てこい」という囁きと共に肩を押され、森の中に入る。
浮世の森の中では、自分の身体以外は全て霞み、不可解な音を出し、触れようとしても触れられない、実体が無い。
不安と同時に芽生えたのは、「感じていることが目の前で繰り広げられている」という驚きと「信じられるものは一つしかない」という確信だった。
多数に押しつぶされ抑圧されようとしていたものは自分の感覚であり、
その感覚を生み出す自分の身体こそ信じられる唯一の実体なのだとわかる。
それが分かった瞬間に、浮世の森の魂が脳をめがけて襲ってくる。
「それが分かったならここから出てゆくがいい」と囁いて、自分の身体を森から押し出す。
浮世の森は、誰かの感覚が死にゆくことを察知した時にその人の前に現れる。
映像撮れる技術が私にあれば、これをいつか映画にしたいです。
この世にさらに謎を生み出すような映画になりそうですが、そういう作品こそ作ってみたいです。
以上、イマジナリーワールドでした!
『浮世』好きです。
そして、こんなに素晴らしい作品を残してくださってありがとうございます。