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タイムマシーンがあれば幸せなのか

以前よりTwitterのプライベートアカウントでフォローしているダリッタ(@daridaridaritta)さんの本を購入した。

内容に書いてあったが、どうやら文学フリマ東京に出品していたらしい。当時の私はフリマの存在を知らなかったのか、家から出るのが億劫だったのか。とはいえ、受注生産で追加販売をするというツイートを見て、いつの間にか人差し指は購入ボタンを押していた。

なんとなく、ツイート内容にユーモアのある人のエッセイは読みたくなる性分である。足を運んで実際に直接購入したこともあり、本当に存在しているんだと有名人に会った感覚になる。

ダリッタさんの本、「その日を摘め」の一部を抜粋しようと思う。ちなみに、この本に関してはペンネームを使用しており、”甘木綴莉”さんとなっている。

内容の一つに「つづきからプレイ」というのがある。

目が覚めたら、昨日までのセーブデータをロードして、強制的に「つづきからプレイ」を選択しなくてはならない。現実には「はじめからプレイ」という選択肢は存在しない。セーブデータも一つしかないので、「一ヶ月前に友達と喧嘩する直前までのデータがあるからそこからやり直してみよう」なんてことは残念ながら出来ない。

その日を摘め つづきからプレイ より

本当にそうだ。やり直しなんて出来ない。正直、悔しいことにやり直したい過去はたくさんある。もう「あの時こうしていたら」「あんなことをしなければ」という苦い思い出が蘇るだけだ。

読んだ後、この本のことを思い出した。

哲学本はこれがはじめましてだった。

人生はゲームのように経験値を獲得、レベル上げをしていくものだとよく耳にする。私もそうだと思っている節がある。

ネタバレになるからあまり書けないが、そうか〜という感想だった。(実を言うと難しくて頭の中に文字の雪崩が起きた気分になり何度も同じ文を読み返した)

何度「つづきからプレイ」をしたいと考えたことか。何度「コンテニュー」をしたかったことか。こんな思考をぐるぐるしていたって意味がないんだけれど。それでもネガティブなものは脳内を駆け巡るものだ。

とにかく。ゲームのようにプレイヤーを変えられるわけではない。戦いに負けてゲームオーバーになるにはまだ早い。

私はまだ経験値を獲得し、ライフポイントがゼロになるその日までレベルを上げていく。

人生に負けてたまるか〜〜〜という話でした。

読んでくださりありがとうございました。
また来週!

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