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培養肉を「クリーン・ミート」と呼ぶかどうかはこっちが決めたい(植田かもめ)

植田かもめの「いま世界にいる本たち」第6回
"Clean Meat: How Growing Meat Without Animals Will Revolutionize Dinner and the World"
(クリーン・ミート:動物なき肉はディナーと世界をどう変えるか)
by Paul Shapiro(ポール・シャピーロ)
2018年1月出版 *日本語版は2019年刊行予定 (日経BP社より)

ウインストン・チャーチルは、1931年のエッセイの中で「胸肉や手羽肉を食べるために鶏を一羽育てるのは不合理だ。これらの部位を適切な培地で別々に育てるべき」と書いていたらしい。

本書"Clean Meat"(クリーン・ミート)は、チャーチルのこのビジョンを現実化しようとする企業と人を紹介するノンフィクションである。

みんなが肉食をやめると大豆生産者が困るという皮肉

世界人口は今後数十億人増加することが見込まれ、食肉需要は途上国を中心に増大する(余談だが、以前の当連載で紹介したハンス・ロスリング著「ファクトフルネス」によると、世界人口は際限なく上昇するわけではなく、2100年頃まで増加を続けた後に110億人程度で横ばいになると予想されている。)

ブロイラーとしてぎゅうぎゅう詰めに飼育される鶏の画像を見たことがある人は多いだろう。現代の食肉産業は大量生産を前提とする工業化されたものになっている。本書の著者のポール・シャピーロは動物の権利を擁護する活動をしており、倫理的な観点から現代の食肉産業の問題点を挙げる。

ただし、本書が指摘する問題点は倫理面だけではない。鶏や牛を食べるためには、まずその鶏や牛が食べる膨大な飼料を育てなければならない。この「非効率さ」も解決すべき問題である。

たとえばアメリカの大豆生産業界にとって最大の買い手は、豆腐産業ではなくて畜産業界だ。本書は言う。皮肉なことに、アメリカの大豆生産業者にとって一番の脅威は、国民が肉食を止めて豆腐や枝豆などを中心とした食生活に移行することだ。なぜならそのほうが大豆の生産量ははるかに減少するのだから。
だから、もし(飼料を育てることなく)ダイレクトに食用の肉を培養できたら、この「非効率」も解消できる。

細胞レベルで動物をコントロールする「第二の家畜化」

本書でシャピーロは、牛や鶏の幹細胞を使って食用肉の「培養」を目指す研究者やスタートアップ企業を数多く紹介する。メンフィス・ミート、インポッシブル・フード、モダン・メドウ、ハンプトン・クリークといった企業は、それぞれの方法で食用の培養肉や靴などに使う動物の革の生産を研究しており、グーグル創業者のセルゲイ・ブリンをはじめ多くの投資家から資金を集めている。

本書に登場するスタートアップのCEOのひとりは、こうした技術を「第二の家畜化」と呼ぶ。数千年前の第一の家畜化で、人間は自分たちの食糧生産のために動物をコントロール下に置いた。第二の家畜化は、細胞レベルでのコントロールを行うもので、「細胞農業」(cellular agriculture)とも呼ばれる。

もちろんこうした培養肉が市場に普及するには技術的、社会的、経済的な課題が多い。それでも、たとえば2015年に世界ではじめて試食された培養肉バーガーの製造コストは33万ドル(約3,700万円)であったが、既にこのコストは80%近く減少しており、2020年にはひとつのバーガーあたり11ドル(約1,200円)を目指すというゴールが設定されている。

「不自然」なんて、この世にはない

それでも、培養肉の普及に懐疑的な人は多いかもしれない。試験管で培養された肉なんて「不自然」であり、市場に受け入れられないのではないかと。

まず本書は、家畜に対して不衛生で悲惨な扱いをしている現代の畜産がそもそもどれだけ「自然」なのか、と反論する。

さらにシャピーロは、倫理面や環境負荷の面での啓蒙の必要性を説きながらも、人々が食べ物に重視するのは「価格、味、便利さ」であることを認めている。これらの面で従来の肉と競争可能なら、培養肉は社会に普及するのではないだろうか、と。

本書には、「サピエンス全史」「ホモ・デウス」の著者である歴史学者ユヴァル・ノア・ハラリが序文を寄せている。ちなみに彼はヴィーガン(菜食主義者)だそうだ。そのハラリが最近Youtubeにアップロードした動画(「未翻訳ブックレビュー」参考記事)での発言を引用するならば、「不自然な」振る舞いなどというものは存在しない。この世に存在するものは何であれ、文字通り、自然なものである。

技術革新を起こす力と同じくらいすごい人間の能力は、「技術革新に慣れる力」だと思う。「レトロニム(retronym)」という言葉があって、新しい技術ができたときに、古い技術を呼び分けるために付ける名前を指す。たとえば、携帯電話ができたことによって、それまで単に「電話」と呼んでいたものに「固定電話」というレトロニムを付ける必要が生まれる。現在我々が当たり前のように摂取している、動物を育てて食べる肉も、何らかのレトロニムで呼ばれる日が来るかもしれない。

「クリーン」かどうかはこっちが決めたい

ただし、本書のタイトルである「クリーン・ミート」という名前で培養肉を呼ぶのは、アンフェアだと思う。最後にこのネーミング問題について考えてみる。

新しい人工肉を何と呼ぶかの議論の歴史は本書で詳述されている。培養肉(cultured meat)と呼ばれていた期間が長かったが、NGOが実施したアンケートの結果などから「クリーン・ミート」と呼ぶようになったという。

けれど、「クリーン」かどうかは、客観的な事実でなくて、価値評価である。価値評価は、生産者ではなく消費者が決めるべきだと思う。

むかし、松本人志が「うま煮」というレシピ名に「うまいかどうかは食べる側が決めること」とツッコミを入れていた。「クリーン・ミート」という名前にも、クリーンかどうかは選ぶ側に決めさせて、と言いたくなる。

ポール・シャピーロ著「クリーン・ミート」は2018年1月に発売された一冊。未来を味わう(tasting the future)レシピの本。

執筆者プロフィール:植田かもめ
ブログ「未翻訳ブックレビュー」管理人。ジャンル問わず原書の書評を展開。他に、雑誌サイゾー取材協力など。
Twitter: http://twitter.com/kaseinoji
Instagram: http://www.instagram.com/litbookreview/

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