色彩心理講座を受けて、色を思い出した話 中編(色彩心理講座備忘録)
・・・疲れる。
こんなにも脳が熱くなるほど頭を使うとは思わなかった。
「自分を深堀する」という目標を立てて受講を開始して一日目。
疲労感がすごい。
「自分を掘り下げる」という行為は、セッションの中で自身の過去に立ち戻り、その行動を分析して自分の気持ちを言語化して納得することだと思うのです。
しかし、私は一つの悪い癖を抱えていました。
「他人に共感して、自分の事を正直に話せない事」
嘘をつくわけではない。
自分の意見が言えないわけではない。
社会生活を送る中で、身についた「生きるための手段」と言っていい。
共感力が高いというのは厄介ことがあります。
会話の中で「話し手が言って欲しい言葉」を見つけてしまうのです。
それが自分の望む事ではなくても、【その場に波風を立てないように】話し手に合わせてしまう癖が自然についてしまいました。
優しい人、良い人・・など言われますが、ただ反論しないだけなのです。
昔から、他人に拒否されたり。
嫌われたり。
相手の表情が変わることが怖い。
共感力が強いために、その恐怖で人の顔色を伺う癖があるのです。
「自分自身を掘り下げる場」に一番適さない行動をとってしまうのではないのかと、セッション中に自分を監視する自分が居ました。
二人の対面授業なのに、四者面談のような事になっていました。
講師である小池安雲さん(アグモさん)
本人である自分自身
他人に合わしてしまう自分
そんな自分を嫌う自分
講師のアグモさんに、その悪癖と理由を最初に話しました。
嫌われるかもしれない、でも・・嘘はつきたくない。
「大丈夫ですよ」と笑顔で答えてくれた時には救われる気がしました。
他人に正直に話すのは勇気が必要ですが、認めてもらうと心が軽くなるものですね。
そのお陰で受講する度にその悪癖を気にしないで話す事ができました。まだ完全には治りませんが〈自分を嫌う〉ことが少なくなりました。
心を許して話をする。
対話という場を和ませてくれたアグモさんに感謝しています。
リリ色彩心理講座 二次色編
〈緑〉心身ともに回復する色
二次色とは混色。
二つの色を混ぜてできる色の事を言うそうです。
原色の〈赤〉〈青〉〈黄〉を混ぜて作られる色の事。
原色の回であれだけ疲れたのにまた複雑になるのか・・と不安を抱えていましたが、最初のページに展開された色は「自分にとって回復の印象が強い」自然の色〈緑〉でした。
色のイメージを問われ私が出した答えは・・
「好き」「軽い」「自由」「安らぎ」「風のイメージ」「木漏れ日」
「自然」「散歩」「懐が深い」「安心」
学生の頃はとかく不調が続く事が多かったのを思い出します。
今でも天候や場所によって不調になりますが、学生時代ほど酷くなかったように思います。
学校に行っても2・3時限で保健室に行き、あまりのも酷い時は担任が「家まで送る」と心配するほどでした。
しかし、私は「最寄りの駅まで」と遠慮しました。
とにかく〈他人が怖い〉時期だったのです。
家庭環境があまり良くなかった時期だったので、送ってこられた時の親の反応が怖くて駅で下ろしてもらいました。
自分の体調不良を家族に知られたくない。
そんな思いがストレスになって自分に悪影響を与えていたかもしれません。
もっとひどくなる時は、家族以外と会う時でした。
親の実家で法事があった時は、三半規管が弱いせいか新幹線に酔い、他人が怖いので人混みに酔い、具合の悪い私を見る他人の視線で酔い、大げさな表現ではなく「死ぬかもしれない」と静かな部屋で吐き気と戦っていました。
寝ている部屋の下から聞こえてくる声が、私の悪口に聞こえ一層体調が悪くなります。
しかし、具合が悪いとは言え親戚の事も考え法事が行われているお寺に行かなければいけない。朦朧とした意識の中で移動は、気持ちが悪く、息がしずらく、頭が痛い。
車が止まって外に出ると、不意に身体が軽くなったような錯覚を覚えました。悪いのもがゴッソリ無くなったような感覚。
海が近くのお寺。
潮の香りと共に風が吹き、境内の松や樹木が揺れる。
板敷の廊下で木々の木漏れ日を眺めていたら具合が嘘のようによくなったのです。
私の顔色が良くなったので安心した親と・・きっと不信感をもった親戚もいたかもしれません。
「この子は具合が悪くなったら森に置いてくればいい」
その体験と言葉は今でも覚えています。
「なぜ、〈自然〉に触れたら体調が治るのか?」
それは、「自然は調和がとれているので安心できたのではないのか」と講師のアグモさんから指摘してもらいました。
「自然」というのは、全てにおいて均整が取れていると思います。
枝の伸び方も、花弁の枚数も、葉や花の配色も違和感を感じたことは一度もないと振り返ります。
庭木の歪な伸び方や不均整な配色は「人の手が加わった事」で影響を受けたのではないのかと、散歩をしながら思う事もあります。
「人の手が加わった事」が悪いわけではないのですが、とかく人が怖かったその時は、ありのままにそこにある調和のとれた〈自然〉に安心感を感じて精神的に癒されて回復したのではないのでしょうか?
色彩心理学での〈緑〉のイメージは、
「自然」「空間」「時間」「安定」「心」「鼓動」
チャクラでは、
「胸」「循環器」「心臓」
緊張したり具合が悪かった時は、血の巡りが悪くなることがあります。
身体の事を考えて【薬膳】を通信教育で学んだ事がありますが、その考えに
「人も自然の一部である」という一説がありました。
季節や体質、体調に合わせ食材を選ぶ。
血の巡りが悪くなると体が冷えるし、身体が冷えると気分が落ち込む。
血の巡りが早すぎると鼓動が早くなり心臓に負担をかける。
「安定」した状態が一番健康である。
それは精神的な事にも共通するのではないのかと思います。
今でも人混みに酔ったり、人間関係で辛いことがあった時には、自然の多いところに足を運ぶことが多いです。
葉の擦れ合う音
木漏れ日
微かに耳を過ぎる風の温度と感触
誰が手を加えた物ものではないありのままの「空間」
少し深く深呼吸をすると、もう少し頑張れるような気がします。
なので「自然の象徴」のような〈緑〉は、私にとって回復の色なのです。
〈橙〉後悔という傷の色
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