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【読書メモ】『容疑者Xの献身』(著:東野圭吾)

少し前(3月末くらい?)、ガリレオシリーズの映画が連続して流されていました。映画3作目となった『沈黙のパレード(2022年公開)』の地上波初放映に先駆けて『容疑者Xの献身(2008年公開)』から、、確か公開時に映画館でも観たような記憶があります。

その後の2作目の『真夏の方程式(2013年公開)』、3作目の『沈黙のパレード』は、CATVやWOWOWで観た覚えはありますが、映画館ではどうだったかなぁ、、と。個人的には3作の中では1作目の『容疑者Xの献身』が一番印象に残っています、映画でも原作としても。

元々は2007年くらいにフジテレビ・月九で放映されていた「ガリレオ」がきっかけで、そちらが面白ったので原作の『探偵ガリレオ』と『予知夢』を手に取り、そのままシリーズ三冊目の『容疑者Xの献身』も自然と手に取った覚えがあります、、というかもう17年が過ぎているのか、そりゃ子どもも大きくなるわけです。

さて三冊目にて初めての長編となった『容疑者Xの献身』、主人公である物理学者・湯川のライバルが登場します。それまでの個人的には大好物である連作短編的な物語もよかったですが、こちらの長編も読みごたえがありました。

はじまりは、豊かではないが平穏に暮らしていた一つの家族がとある事件に足を踏み込んだこと。そんな家族を捨てては置けず、自らの信念にもとづきその身を捧げたのが、題名にもある「X」という人物。

卓越な頭脳と緻密な論理を積み重ね警察の追及をスルっとかわしてしまう、そんな「X」にとっても想定外だったのは、彼もまた受けることになる一つの「献身」だったのでしょうか。

自らが身をささげるに足りると信じた人であるからこそ、むしろ「X」を見捨てることなどできなかった、そこには一つの真実を感じ取ることができます、哀しさに彩られた「真実」を。

終盤に近づくに従って一枚、もう一枚と剥がされていく「X」のトリック、最後に響き渡る咆哮にこめられた想いは、絶望なのかそれとも、、

「献身」との一言では表現できそうにもない清冽さと、そこに同居する殺人をも厭わないとの漆黒さ、これらのアンバランスさに当時の世相をも感じたのを覚えています。いい小説は時代を映す、そんな言葉を思い返させてくれる一冊でもありましたが、今読んでも古びていないなと思うのは、プラスなのかマイナスなのか、、さて。

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