【読書メモ】『マオ - 誰も知らなかった毛沢東』(著:ユン・チアン, J・ハリデイ / 訳:土屋京子)
本日は「6月4日」、共産中国を語るに忘れてはいけない「天安門事件」の日です(※今回のヘッダ画像は拾い物です)。
珍しくNHKもフラットに伝えていますが、自身が「報道の自由を阻害されて困っている」とまでの言及はないのですね、、やはりきちんとした公共性の高いメディアが欲しいなぁ、国営でよいので。その前に、NHKのサブスク化が先かな、日本にとっての存在価値、もはや欠片も無いでしょう。
なんて、この時期になると思い出す書籍群の一つに『マオ - 誰も知らなかった毛沢東』があります。上下巻で1000Pを越えるボリュームながら非常に読みやすくさらっと。訳もよいのでしょうが、時系列でわかりやすかった覚えがあります。
賛否両論あるようですが、個人的には史料を丁寧に読み込み「事実」を「真実」として昇華しているのが見てとれ、説得力のある真に迫ってくる内容で、歴史学から派生する歴史の伝え方の在り様の一つとの評価です。
それだけに、、読み進めていくうちに、比喩ではなく文字通りに吐き気をもよおした場面が数多くありました、コレは一体「同じ人」なのか、と。
共産主義とか帝国主義とか、独裁とかファシズムとか、民主主義とか、、人間が生みだしたイデオロギーの衝突云々、それ以前の問題ではないでしょうか。
どこまで「残酷」になれるのか、ここまで「心」を捨て去ることができるのか。生命だけではなく、尊厳も文化も、自我さえも、全てを浸食しつくせるものなのか。
比喩ではなく全てを奪った対象は27年間で7,000万人にも及んだとも言われています。最初はイギリスで出版されたとのことですが、世界に衝撃を与えるわけです。ソ連崩壊後に流出した資料をベースにしているだけあって、信憑性も高そうで。
よくもここまで拷問の方法を思いつくと、よくもここまで人の生命を尊厳を踏みにじれるものだと、、これを読んでもなお「毛沢東」に心酔するのであれば、もはやそれは人ではない。人間の言葉が通じるとはおもえない、、文字通りのケダモノだろうと、眩暈を覚えるほどの怒りと共に。
そして今現在、共産中国ではこの毛沢東のあり様が再評価され、習近平はその模倣に走ろうとしています。事実だとしたら恐ろしい、チベットやウイグルはどうなっているのか、と痛感します。香港は既に陥落していますし、なおさら。
ソ連崩壊から30年が過ぎ、ヴェノナ文書などによる当時の赤化具合も明らかになりつつある昨今、戦後の国際政治史の流れに一石を投じている一冊に数えられるのではないかと、他の書籍と並べておきたいところ。
発行は2005年ですが文庫にも落ちずに絶版となってしまっているようで、私は最初は図書館で借りて読みましたが、追って古本を手元に置いています(こういった意味ではこの書籍を普通に開架に置いていた地元図書館を信頼しています)。
それにしても、恐怖による支配、洗脳による白痴化、人間性・教育の否定、などなどのアレな要素がてんこ盛りで、アサヒに代表される日本のアレなオールドメディアが好むわけですねぇ、最近だと日本保守党とかもその範疇に入ってきているのにあらためてマズイと感じながら、、やはり、左右問わずの全体主義者の跋扈を許してはいけない、それに追随するマスゴミ連中も、なんて風に思いながら、、自己のリテラシーを磨かないと。