【読書メモ】『ローマ法王に米を食べさせた男』(著:高野誠鮮)
個人的には「外食産業での不足感はなく、ご飯物のメニューは普通に提供されている」との点で、またいい加減に煽ってるなぁ、「新米」の値段を吊り上げたいのか「転売ヤー」共を擁護したいのか、くらいの感覚でした、、いつも昼飯で利用しているお弁当屋さんも平常運転ですし。
なんて感じながら思い出したのが『ローマ法王に米を食べさせた男』との一冊、当時「限界集落」との言葉に、結構な衝撃を受けたのを覚えています。
舞台となるのは石川県羽咋市は神子原地区、65歳以上の人間が半数を超えた「限界集落」の再生の物語。個人的に石川県はン十年前に出張三昧だったこともあり身近に感じることも多く、口中で溶ける寒ブリとかカニとか今でも思い出せます、美味しかった、、閑話休題。
さて本書は、題名が示すとおりに"ローマ法王にコメを献上"した高野誠鮮さんという羽咋市の職員さんを軸に展開されていきます。
ローマ法王に日本米をという発想もですが、そこに至るまでの過程が凄い。サラリーマン時代のナレッジがベースにあるとしても、コアになるのは「熱い想い」なのでしょう。高野氏のポジティブな姿勢がとても爽快で、自身に照らし合わせても見習いたいなぁ、、と背筋が伸びる気分にも。
そしてまた、そうした熱い想いを支える上司がいるのも頼もしい。公務員の本質とは、文字どおりに「公僕」であるべきなんだろうと実感してみたりも。
昨今では、公務員(特に官僚)機構の歪みばかりが強調されがちですが、そんな歪みばかりではなく、地に足を付けた方々がいるんだよなぁ、なんて、古巣をくさすことに腐心しているとあるブルガリさんみたいにはならんように気をつけよう、とか思いながら。
あと気になったのは、”価格転嫁”ってのはちょっと言い方がねぇ、、給料が満遍なく上がるってことは原価も上がるってことで、一方でその「上がった商品」が消費されないと経済も循環しないので、、農家さんも消費者の一人という視座は忘れてほしくないところ。
額面の給料ではなく、可処分所得が上がってるかどうかでの評価は出てこないのか、なんて、当時に並行して読んでいた『神去なあなあ日常』ともシンクロして、地場の産業の立て直し、限界集落の実情等々、非常に考えさせられたなぁ、とかも思い出しながら。