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【読書メモ】『風の万里 黎明の空(十二国記:EP4)』(著:小野不由美)
少し前に『葬送のフリーレン』のアニメが最終回を迎えました。原作はまだまだ続いていますが、アニメもよい出来だったと思います。日テレ&小学館、日頃からどの作品もこのくらいに大切に扱ってくれればよいのに。
個人的にロードムービー的な物語が好きなのもありますが、その始まりが「魔王を討伐した後」の世界を旅していくところからとの点がなかなかに新鮮で、日常の風景を切り取った連作短編的な要素が多めなのも好みなこともあり、原作共々楽しませていただいています。
物語の始まりが後日談となると、そのうち前日譚もスピンオフなどで描かれるのだろうか、、でも、記憶として折々に織り込まれているのも美しいのだよなぁ、なんて感じながらふと思い出したのが「十二国記」というシリーズになります。
元々は1991年ころに講談社X文庫という、今でいうライトノベルのレーベルから出ていたシリーズで、当時『ロードス島戦記』や『指輪物語』、『アルスラーン戦記』などにハマっていた私に妹が薦めてくれて、手に取った覚えがあります。
その後、講談社文庫の通常レーベルでも出ていたと思いますが、エピソード0に位置付けられている『魔性の子』とつなげたかったのか、2012年ころから新潮文庫レーベルで完全版として再販されています、もう10年以上前になるのですね、、刻が過ぎるのは早(略
世界観としては古代中華風の異世界が舞台、世界を構成する国はすべてで12ヵ国あります(いずれも王権制+アルファ)。それもあってかシリーズとして「十二国記」と名付けられていて、今のところはエピソード0~9までの十の物語が紡がれています(短編集も含めて)。
少し前(といってももう5年近く前になりますが)、20年越しくらいに彷徨していた一つの物語にようやく一区切りついたのですが、エピソード10はどんな話になるのだろうか、、
それはそれとして、現時点(2024年)で「10」あるエピソードのうち、個人的に好きな話がこちらの『風の万里 黎明の空』、シリーズ「4番目」のエピソードになります。
主人公の一人は、とあること(詳細はエピソード1『月の影 影の海』にて)から12ヵ国のうちの一つ「慶国の王」となった「陽子」、普通であれば「様々な苦難を乗り越えて、無事に王様になって平和に暮らしましたとさ、メデタシメデタシ」で終わっているところの、その後の「王の苦悩」が描かれていく物語となります。
本作を通じて考えさせられるのは「無知の知」、そして「無知の恥」でしょうか。
一番偉い(はず)の「王」になったからといって、全てが思い通りになるわけではなく、むしろ異邦人(現代日本からの漂流者)であることをいいことに、前王の時代から国家・宮廷の実務を管理・運営してきた、昔ながらの官吏たちにイイように転がされています。
本人もそれが分かっているだけに、なおのこと懊悩を深めていきますが、、個人的には、陽子に王権を与えてかつ補佐する立場の景麒(人ではなく神獣・麒麟との設定です)も、もうちょっと言葉を紡げばいいのに、とは思いながらも、、それはそれで物語としては面白みがなくなってしまうしなぁ、と傍観者的に。
なお陽子の他にも主人公が二名ほどおり、一人は陽子より100年ほど前にこの世界にわたってきた、明治時代の日本人「鈴」、一人は同じく12ヵ国のうちの一つ芳国の公主(いわゆる王族)であった、この世界の住人の「祥瓊」、ここに陽子を加えた三人の足跡と想いが交錯しながら、物語は進んでいきます。
決して善行だけではないのですが、それぞれの苦悩と向き合い、一つ一つを積み重ねていくことで救われていく、そんな風に自分自身と向き合いながら、見つめ直しながら歩んでいったそれぞれの路が交錯した先に、あらわれる景色とは、さて。
終盤、景麒とともに空を翔ける陽子は、個人的には一番好きなシーンの一つで、すべての鬱屈が浄化されていくかのような、そんな心地よさをも感じさせてくれます。
他者に頭を下げさせて、それで己の地位を確認しなければ安心できない者のことなど、私は知らない。
そんな者の矜持など知ったことではない。ーそれよりも、人に頭を下げるたび、壊れていくもののほうが問題だと、私は思う。
真実、相手に感謝し、心から尊敬の念を感じたときには、自然に頭が下がるものだ。礼とは心の中にあるものを表すためのもので、形によって心を量るためのものではないだろう。
他者に対しては、礼をもって接する。そんなことは当たり前のことだし、するもしないも本人の品性の問題で、それ以上のことではないだろうと言っているんだ
地位でもって礼を強要し、他者を踏み躙ることに慣れた者の末路は昇紘の例を見るまでもなく明らかだろう。そしてまた、踏み躙られることを受け入れた人々が辿る道も明らかなように思われる。
人は誰の奴隷でもない。そんなことのために生まれるのじゃない。他者に虐げられても屈することない心、災厄に襲われても挫けることのない心、不正があれば糺すことを恐れず、豺虎(ケダモノ)に媚びず、ー私は慶の民にそんな不羈の民になってほしい。己という領土を治める唯一無二の君主に。
なかなかに考えさせられた一景でした、日常でも大事にしていきたい所です。