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【読書メモ】『本を読むわたし』(著:華恵)
「写真集や絵本などの文字が少ない本から読み始めて、徐々に心身を回復した。本は一人の人間を自分の人生に戻す力があるものだと思う」と話した。
読書療法の歴史的背景や海外での実践、読書がもたらす心への効果なども解説した。参加した司書には、来館者との信頼関係が読書セラピーの推進につながることを伝え、「セラピーにお薦めの書籍コーナーを設置したり、本を読まずに参加できる読書会を開催したりしてほしい」と呼びかけた。
(「佐賀新聞」2025年2月14日)
「読書療法」との言葉は初めて耳にしました。個人的には雑多なジャンルを取り留めもなく摘まんでいる乱読派なんですが、確かに写真集や小説などを読むことで、癒される、落ち着くなぁ、、なんて経験はそれなりにあります。
なんて、『本を読むわたし』との一冊を思い出しながら。
ずっと本と一緒だった。アメリカでも、日本に来ても、一人のときも、いろんな人に出会ったときも。
瑞々しい、まず感じたのはその一言。
無邪気な子供の時、溌剌な小学生とほのかに甘い初恋、そして多感な中学生時代、それらを14歳(当時)の感性でやわらかく包み込んで、表現されています。
楽しいときも、哀しいときも、傍らには常に「本」があった、文章として書き残すという事の気恥ずかしさと、そして素敵さを、あらためて実感させていただけたなぁ、といった一冊です。
さて「読書の効果」、なんて言うと仰々しいですが、、個人的には、「情報の取捨選択」「集中力の涵養」「一人で自己の内面と向き合える」といったあたりは見込めるのではないかな、と。
スマホのような双方向でのリアルタイムでの情報交換が可能な環境も、これはこれで大事ですし必要と思いますが、その分「情報過多」で奔流に押し流されてしまう危険性も高まってしまうと思います。
ありていに言えば「情報活用力(情報リテラシー)」を身に着けないと、昨今カシマシクナッテいる「左右のカルト全体主義者」の妄言をスピーカー代わりに垂れ流すだけの唾棄すべき存在になり果ててしまいかねない、という感じです。
そんなボーンヘッド化を防ぐためにも、あえて、何ら反応が返ってこない片務的な「読書活動」も必要ではないかなぁ、と、「読書教育」なんていうと大げさですが、何事も複数の選択肢を比較できるバランスは大事だよなぁ、なんて風には思いながら。