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わかりやすさとわかりづらさの配分を考えてはみるけれど。

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どうも、本や学びやmerkki(メルッキ)店主の、じーもです。
自分でお店をする、もしくは何か表現をするときって、感覚的に「やるぞ!」ってなる場合とじっくり考えて悩みながら「やるぞぉ?!」ってなる場合があると思うんですけど。(もちろんその間にもたくさん。)

わたしは圧倒的に後者が多いというか…前者のように思いついてもすぐに行動できずに結局後者寄りになることが多くて。。

そうなると、自分でこだわってしまうところって案外人に伝わりにくいことになることが多くて。逆にそれほどこだわらない部分は、先人たちを真似ることになり、一般的なものと近づき比較的わかりやすくなることがあるんですよねぇ。

ということで、極端ではありますが、今回の記事では、

自分のこだわりが強い部分=わかりづらさ
一般的に普及している部分=わかりやすさ

ということで書いてみたいと思います。
まぁよく考えると、自分の場合、あまのじゃくな性格も相まって、より顕著になっているのかもしれませんが。。


わかりづらさ@本や学びやmerkkiの場合

うちのお店では、まず営業時間や定休日からしてわかりにくいです(笑)

営業時間  
本や merkki 9:00~16:00
学びや merkki 17:30~21:30
定休日
3や0がつく日(ミントの日)

公式ホームページより

なんで時間帯が二つにわかれてるの?って話で。
「飲食店のランチ営業とディナー営業じゃないんだから」というツッコミが聞こえてきそうな・・・気配はないではないですが。(笑)

これも一応理由はありまして。
営業時間については、そもそも子ども(長女と長男の二人)のお迎えなどの時間を考慮していること。次に、2つのコンセプトを明確にわけるため(といっても現状けっこうあいまいなんですけどね笑)。

定休日については、曜日で休んでしまうと、ずっと来れない人ができてしまうと考えたから。3や0のつく日とすることで休みになる曜日が変わって来るんです。

さらにまだまだ続きます。
店内には座席があるのですが、その座席を使うときに、二つの時間帯で料金システムが違うこと。

本やmerkki→時間に応じての座席料。割引あり。フリードリンクあり。
学びやmerkki→時間に関係なく1回分の料金。通い放題あり。フリードリンクなし。

・・・。書いていてもびっくりです。
しかもこれ、徳島では座席料なんて考え方さえ一般的ではありません。(ほかでは一般的なのか、という疑問もありますが。)ふつうはコーヒーを頼んで座席が使える、とか、本を試し読みするんだったら椅子は無料でどうぞ、とかですから。お金とるのかい!ともなりかねないわけです。

これにも理由はちゃんとあります。
ひとつは、商品(コーヒーなど)に金額をつけて利用してしまうとその商品が無くなった時にいづらくなることを防ぐため。もっというと、その座席という空間に価値をつけたかった(大切にしたかった)わけです。

しかもその座席というのも、ただ自由に過ごしてください、ではなくて。
読書ができるくらいの配慮をお願いしてるわけで。(決して読書しかダメという意味ではありません。)

自分が学生の時から家では勉強が集中できないし、社会人になって本を読むのにもカフェなどでは読みにくいと感じた経験があるので、そこを大事にした場所があってもいいかな、と思ったわけです。

ほかにもあるんですけど・・・とりあえずここら辺にしておきますね(泣)

わかりやすさ@本や学びやmerkkiの場合

ん~~。この項目。作ってから中身を書いてるんですけど。どうしよう。

とりあえず挙げるとすれば、「本屋」であること、でしょうか?
中に入れば本があって、本が買える。これは他の書店でも同じ流れですから。このあたりの振る舞いは、来た人にとってもわかりやすい。

だからたぶん。うちの店も本屋として認識してくださってる方が多いです。個人的には、過ごす本屋として、座席もぜひ利用してほしいんですけどね。

もうひとつは、学びやmerkkiを説明するときに「塾」と表現すること、ですかね。まぁほんというと、塾という表現はあまり使いたくないのが本音なんですが・・・。

やっぱり、塾と表現することで、何かしら勉強したりするところなのかなぁ?というイメージは抱きやすくなりますよね。

でも、私が大切にしたい、「年齢不問」や「テストの点を上げるのが目的ではない」みたいなところは伝わりにくくなってしまうわけなんですけど。。

頑張ってひねり出しているんですけど、どうしても止まってしまう…。心底わかりづらさがつまった店だな、と思います。。。

わかりづらい、と、わかりやすい

じゃあ、実際のところ、そんな店、どうなってるの?ってことなんですけど。最近はあまり人が入ってきません。(切実)

よくよく考えてみると、世の中は「わかりやすい」で溢れています。
スーパーなどのリアルな場所へ買い物に行っても、バーチャルな場所(オンライン)で買い物をしても、どれほどわかりやすくするか、という工夫がなされています。

ネット上では、ログインも含めてどれだけ顧客がストレスなく操作できるかを考えられているらしいですし、動画でさえもショートなどの短い時間での動画が流行っています。時間がどんどん短くなる。ということは要点をまとめ、わかりやすいものにしなければ、人は敬遠してしまう、という流れになっている気がします。

もっと言うと、生物はみな、基本的には変化を嫌うものだと言われているそうです。今この瞬間が無事(命に危険がない)なら、その状態を維持することが重要、というわけですよ。。その状態が崩れる(=変化する)とリスクの方が大きいと捉えるわけなんでしょうね。

ん~困った。
ということは、どう考えてもわかりやすい方がいい。言い換えると、これまでのシステムと同じようなものを取り入れる方が、変化もなく、受けいられやすい、ということじゃないですか。どうなるんでしょう、うちの店。

配分が大事なんだろうけど

まぁそうは言っても、生物的にも社会的にも多様性が叫ばれる時代なわけで。同じ環境ばかりではいけない、という流れのもとでは新しいシステムなんかも生まれるわけです。

そして生物は環境に適応していくものなのです。だって、そうじゃなきゃ今現在まで生き残れるわけないんですから。

・・・とえらそうにそれっぽく言ってみたものの。現実的に商いという点で見ても、わかりづらさとわかりやすさの配分はとっても大事だと思います。だって、結局誰も来なければ、どうしようもないですから。

じゃあ、そこんとこどうする?何ができる?ってことなんですけど。
これまた極端な話、

・わかりづらさとわかりやすさの配分を変える
・配分ではなくアプローチの仕方を変える

の二通りある気がするんです。もしくは、ひたすら待つ、かもしれませんが。

で、こだわりが強かったり頑固な人ほど後者になってしまう気がします。よく言えば、新たな見方として自分なりの提案をできる人、と言えるかもしれませんが。

だって、、、
わかってはいるけど、わかりやすさを追求することでほかと同じようになるのも悔しいですし、わかりやすさが正義、と認めてしまうこともなんか違う気がしてしまう。。

だったら伝わるように、地道に、あの手この手を使いながら、アプローチしていくしかない気がするんですよね。

誰も来ない日々や、支払ばかりが増えていく日々、焦りや責任感。さまざまな見えない敵(?)と戦いつつ、もしくは、一緒に座りつつ、根気強くやっていくしかないのかも、しれないですね。

最後に

これでも短く書こうとした方なんですが、気付けば長くなってしまいました。。。ここまで読んでくださって本当にありがとうございます。

いろいろ書きましたが、周りをよく見ると、見る範囲を広げてみると、いろんな形で挑戦している人、挑戦しようとしている人はいます。都会や地方など関係なく。性別関係なく。

それにこれは、つきつめると自分というお店(自分をお店に見立ててみる)にも共通する気がします。

自分の中のわかりづらさとわりやすさ。
自分にとってもそうですし、他人にとってもそうですし。
きっと、それぞれが抱えてることのような気がします。

だからそれもあせらず。ゆっくりと、できるといいなぁなんて思ったりします。日々、揺れてますけどね(笑)

よければどこかでまた、お会いしましょう。では。

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