鎌倉殿の13人第32回感想/善児の真の役割は人殺しではなかった
小四郎のあの言葉、どう受け止めた?
『頼家様が息を吹き返す前に戻す』
小四郎(北条義時、演:小栗旬)のこの言葉
あの場にいた一同は
一体どういう意味でとらえていたんだろう。
この小四郎の言葉は、考えようによってはとんでもなく恐ろしい言葉だ。
小四郎の言う『息を吹き返す前』とは
まず簡単に思いつくのは「寝たきり」の状態。
父である源頼朝(演:大泉洋)の死に際がそうであったように
頼家(演:金子大地)も同じく倒れてから寝たきりの状態が続いていた。
頼家の意識がなく寝たきりの状態に再び戻ってくれれば
そりゃぁ比企滅亡の話も騒がれなくなるし
千幡(演:嶺岸煌桜)の第3代鎌倉殿就任も滞りなく進められる。
北条の世は安泰ということになる。
しかしこの寝たきりの状態に戻すなんてこと
できるんだろうか?
また誰かに呪詛でも頼む?
はたまた頼家の食事に毒でも盛る?
かの斎藤道三ならお茶に毒を盛るだろう(寝たきりじゃなくて死ぬけどw)。
いや何をしたってそんなうまいこと頼家を寝たきり状態に戻すことなんてできないだろう。
つまりこれ、小四郎は暗に『頼家を殺そう』と言ってるんじゃないか
という気がしてならない……。
実衣(演:宮澤エマ)とりくさま(演:宮沢りえ)の二人は
源頼家を亡き者にすることで意見が一致しそうだけど
政子(演:小池栄子)は流石にそこまでは考えられない。
だとしても、政子はこの小四郎の言葉、どう受け止めたんだろうか。
時政(演:坂東彌十郎)はどうか。
あの楽観的性格じゃぁ深くは考えてなさそう。
あの人、本当に小四郎の父親なんだろうかww
小四郎はもう姉上とは呼ばない
いつからそうなのかはきちんと把握していないのだけど
小四郎は政子のことを「姉上」とは呼ばなくなった。
政子のことを「尼御台」としか呼ばなくなった。
それには二つの理由があると思っている。
一つは彼女自身にその立場をきちんと自覚してもらうこと。
もう一つは近親の血の縛りに囚われることなく俯瞰的に眺めながら北条の世を築いていきたいから。
これが坂東で北条が頂に立つために必要なことなのだろう。
同時にこれは、血も涙もない残酷無慈悲な小四郎が既にできあがってしまっていることも示している。
肉親に対してはどうしたって甘く緩くなってしまうもの。
そこを一線画すことができてこそ
「強い鎌倉」「強い北条」を作り上げられる。
あの源頼朝だってそうしてきたのだ。
義経(演:菅田将暉)も範頼(演:迫田孝也)、そして全成(演:新納慎也)も、頼朝は兄弟であっても謀反の嫌疑があれば必ず成敗してきた。
今の小四郎なら親兄弟であっても小四郎の道を阻む者は誰でも始末できるだろうなぁ……小四郎変っちまったな……。
仁田忠常殿(演:高岸宏行)の話、聞いてあげてほしかったよ……。
善児の本当の役割
小四郎が血も涙もない人間に変ったけど
それに相反するかのように
あの善児(演:梶原善)には親心なのか、人の心が芽生えたようだ。
前回だったか、比奈(演:堀田真由)が言っていた
『人は変わるもの』
という言葉の意味はこういうことだったのだろうか。
そして今回脚本家の三谷さんこそ本当に恐ろしい人だと思ってしまった。
それは善児の真の役割だ。
善児は暗殺のプロとしてこの作品には欠かせない人物。
でも実在した人物ではなくオリジナルのキャラクターだ。
それだけに三谷さんは多くの御家人や重要人物たちの始末にうまいこと利用してきた。
ある意味そういう使い勝手のいい「小道具」のような存在として
善児を作ったのかな
なんて安直に考えていたけど、そんな浅い考えなわけがないよねw
個人的主観でしかないけど
善児は小四郎が鬼のように非道な人間に成長した様を
しっかりと視聴者に見せつけるための役なのだ。
何しろ善児は第1回でまだ幼い千鶴丸(演:太田恵晴)の命をあっさり奪った。
主人の命令であれば相手が子供だろうが誰であろうと確実に殺す。
人の命を奪うことに何の躊躇もなくできてしまう
言うなれば殺人マシーンのようなキャラクターだ。
その善児が、今回は一幡(演:相澤壮太)を殺すことができなかった。
トウ(演:山本千尋)を育てるうちに親心を知ってしまったのだろうか。
すっかり懐いてしまった一幡を小四郎に促されても出来ないと答えた。
千鶴丸は懐いていてもあっさり殺した過去とはえらい違いだ。
だがここで視聴者全員は気づいただろう。
小四郎が”あの”善児をも超える非道さを持ち合わせてしまったことに。
殺人マシーンの象徴のような善児を超える――
これは、頼朝の非道さ以上のインパクトがあるのではないか。
善児は単なる使い勝手のいい小道具的存在なんて考えたのは誰だw
だがとんでもない。
善児は鬼の第二代執権として権勢を奮った北条義時の誕生には
絶対欠かせない重要な存在だったのだ。
いくら頼朝に似てきた感はあっても
似る=超えるじゃないんだよね。
結局このままだと小四郎は頼朝を超えられないNo.2のまま
なんてことにならないかな、と危惧していたんだけど
それを見事に打破する役目にいたのが善児。
今回でそれを確信した。
しかし気になることが一つ。
小四郎は知らないよね。
兄、三郎(北条宗時、演:片岡愛之助)を始末したのは善児であること。
はたしてこの事実を小四郎が知る時は来るのだろうか。
そしてもしもその事実を知った時――
小四郎は善児をどうするのだろう。
この辺が今後描かれるのかどうかはわからないけど
注視しながらみていきたところだ。
大河ドラマ見る時にきをつけたいこと
最近特によく考えるのだけど。
ちょっとかじった知識がある場合に
大河ドラマを見るとあまりよくないことがあって。
それは登場人物たちの未来を知っているがために
まだ先の未来の事実の方が頭に過ってよろしくない先入観を生み出すことがある。
例えばわかりやすいのは
まだ作品の中ではその結末がおとずれていないにも関わらず
先走って亡くなったことにしてしまったり。
これ本当に多いw
そのせいでドラマの内容をちょっと勘違いしてしまうケースが多々あって。
あんまり良いことじゃないよなぁって。
史実を知ってた方が面白い部分もある。
でも知ってると逆に意識してないところで勝手に頭が働いて、いらん想像・妄想・見解を導き出してしまうことも。
これは自分だけの問題?
他の人たちはみんなうまく切り分けて見れてるものなの?
SNS眺めてる感じでは切り分けられてる人のが多そうな印象。
自分も大河ドラマと史実は分けてみてるつもりではいる。
でも無意識にドラマと史実が結びついてしまった時に、結びつきが強くなりすぎてドラマと史実をごっちゃにしてしまっているのかなー。
これどうにか対策したい気持ちはあるのだけど、どうすれば治せるのかわからず困っている――
というのが最近のちょっとした悩み。
同じ悩みを持ってる方、もしくは解決方法お持ちの方は是非コメントくださいw(了)