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鎌倉殿の13人第29回感想/13人の合議制、順調に崩壊中
激化する北条vs比企
三浦義村(演:山本耕史)の策略で梶原景時(演:中村獅童)は退場。
おかげで北条vs比企の権力争いはヒートアップ中です。
それにしても北条時政(演:坂東彌十郎)は、りくさま(演:宮沢りえ)にすっかりマインドコントロールされちゃってるのか、比企への対抗心剥き出しな姿が目立つようになった。
最初はそういう人じゃなかった気がするのだけど……
時政もやっぱり権力の座が欲しいのか。
それとも比企能員(演:佐藤二朗)が嫌いで負けたくないだけなのか。
権力にはあまり興味がない印象だったんだけど最近変わってきちゃった気がして寂しい気持ち。
面白いおじさん(おじいさん?)要素も薄れてきてるような。
あと梶原景時の武士らしく散るシーンが無かったのも残念。
梶原景時は三谷さんの推しだけに、ちょっとでもそういうシーンあるんじゃないかと期待してたら今回首だけだったw
鎌倉殿の13人、今は何人?
13人の合議制が始まったのが第27回「鎌倉殿と13人」から。
あれからまだ3回目のお話。
でも既にわりと人がいなくなってるという……。
ではここで改めて13人の合議制の13人を確認しておきたい。
北条時政【北条】
北条義時【中立】(小四郎、演:小栗旬)
三浦義澄【北条】(演:佐藤B作)→第29回死去
和田義盛【北条】(演:横田栄司)
安達遠元【北条】(演:大野康広)
比企能員【比企】
安達盛長【比企】(演:野添義弘)→第29回死去
八田知家【比企と見せかけて中立?】(演:市原隼人)
三善康信【中立】(演:小林隆)
大江広元【中立】(演:栗原英雄)
中原親能【中立】(演:川島潤哉)→第28回三幡死去に伴い鎌倉から離脱
二階堂行政【中立】(演:野中イサオ)
梶原景時【中立】→第28回三浦義村の策で失脚、第29回討伐されて首だけの姿に
というわけで13人の合議制が始まってからはや2回で4人が離脱。
『鎌倉殿の13人』ではなく『鎌倉殿の9人』状態。
北条と比企の派閥の観点で見ると北条派、比企派それぞれ一人脱落してるので力関係に大きな影響は無さそう。
ただ前述の通り御家人たちの目の上のたんこぶ的存在だった梶原景時が亡くなったことは非常に大きい。
そして今の所1話で2人いなくなるペースだ。
このペースでいくとしたら、あと数回で合議制は完全崩壊するだろう。
といっても合議制はまったく機能してないけどね、最初から。
合議制のメンバーの中で役に立ってるのは文官たちと八田知家ぐらい。
あんな意味の無い会議じゃ鎌倉殿(源頼家、演:金子大地)だって流石に呆れる。
さて、タイトル完全否定まであと何話でしょうか?(笑)
鎌倉殿に疎まれ始めた頼時は泰時に
頼時(太郎、演:坂口健太郎)が皆が良く知る北条泰時に改名。
なぜ頼時から泰時に改名したのか詳しくはわかっていない。
「頼時」は烏帽子親の頼朝からの偏諱を賜った名前。
にも関わらず頼朝の死後に改名したのはどういうわけなのか。
大河ドラマで改名する場合って特に語られることなく突然名前が変わったりすることも多いんだけど、頼時の場合は流石にそうもいかない。
頼朝の「頼」の字を頼朝が亡くなった後に変えるということは、北条氏が何か企んでのことか?なんて考えも湧いてきたりする。
それだけに泰時への改名はどう演出するんだろうかと気になってたんだけど、三谷さんは二代目鎌倉殿・頼家をうまく利用した。
何の前触れもなく突然改名されるより説得力があるだろう。
ちなみに頼家が明らかに不満そうだった頼時の伊豆での神対応(?)。
あれはおそらく頼時が執権時代に起きた寛喜の飢饉での逸話が元ネタ。
寛喜の飢饉は1230年から1231年に発生した大飢饉。
鎌倉時代でもっとも被害が大きかったと言われる飢饉だ。
頼時はこの時、甚大な被害を受けた地域の農民たちからの税を免除した上、米も支給したそう。
さすが真の賢人・北条泰時。
女子は誰もがきのこ好きではない
小四郎はなぜあんなに自信満々なのか、全くわからない。
女子の気持ちをまるでわかっていない人間なはずなのにw
きのこ被害にあった頼時(泰時)が可哀そうで仕方ない!
そんな頼時の気になる相手は三浦義村の娘、初(演:福地桃子)
初との結婚も間近というところ。
でもこの二人、実は結婚した後、時期は不明だけど離別している。
理由はまったくわかっていない。
これが原因で北条と三浦の間に亀裂が入ったということもなさそう。
三谷さんこれもどうするんだろうか。
ちなみに初は頼時と離別した後、佐原盛連と再婚。
佐原盛連の父は佐原義連。
佐原義連の父は三浦義明。
三浦義明は三浦義村の祖父で、三浦義澄の父。
つまり三浦義澄と佐原義連は兄弟なので三浦義村と佐原盛連は従兄弟ということになる。
(この辺わけがわからなくなって関係を書き間違えていたので修正したw)
そのため『鎌倉殿の13人』では描かれることがないだいぶ先の話、三浦氏の乱とも呼ばれる宝治合戦では佐原氏の多くが宗家である三浦氏に味方をして共に滅んでいる。
しかし佐原盛連の子どもたちは北条氏に味方をして生き残った。
例えば佐原盛連と初の子、盛時は相模三浦氏として三浦氏を再興している。
また四男・光盛は会津で蘆名氏を名乗り、その系譜は後に戦国時代に伊達氏と争った蘆名盛氏に繋がる。
つまり蘆名盛氏には三浦義村の血が流れているということ?
当然の事なのかもしれないけど鎌倉時代の御家人たちが戦国時代の大名や武士たちと繋がるのを知ると、歴史は点じゃなくて線なんだよなってことを改めて考えさせられたりする。
もっと早く鎌倉時代のことを知っておけばよかった!(了)
付録的なもの
【視聴メモ】
梶原殿が武士らしく華々しく散る姿は描かれませんでしたw
梶原殿、善児の天運を試す
ここ、侍所別当の座w
一緒にいこうww
三浦義澄、安達盛長逝く
時政国守就任
善哉の乳母父となった三浦義村
りくさまの策略は鎌倉殿を呪い殺して千幡に跡を継がせること……
平知康元気そう
なんとかせよw
信じてないけど信じたい
泰時を突き放した頼家
頼家、征夷大将軍に
お父上を超えるなら人を信じるところから始めては
平知康お役御免か~
こんなところで何を?w
神奈川県横須賀市、衣笠白、大善寺、旗立岩、満昌寺、薬王寺
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