売り場異動する際の決心【音声と文章】
山田ゆり
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おもちゃ売り場に配属になったのり子は、配属初日に「ゆりちゃんの好きなようにしていいから」のチーフの言葉の通り、自由な発想でやりたいようにやらせていただいた。
これまでのおもちゃ売り場は商品をただ置いているだけだったが、のり子はお客様に自分から近づくことを積極的にしていった。
おもちゃのミシンやはたおり機で作った作品を展示して、こちらの商品をお求めになるとこのようなことができます、と商品を手にした未来のワクワク感を表現した。
また、おもちゃのわたあめ製造機で実際に売り場でわたあめを作りながら、お客様に無料で差し上げたりして、おもちゃでもここまでできることを分かってもらうようにした。
更には、リカちゃんやジェニーちゃんの着せ替え人形を大型のショーウインドウに臨場感たっぷりに展示をして、どのお人形が好きかのアンケートをし、アンケートにお答えして下さった方の中から数名の方にお人形をプレゼントする企画を立て、実行した。
勿論、それまでそのように売り場の担当者が企画をし実行する人はいなかった。
のり子はその企画をするにあたり、企画書を作り、それを問屋さんに提出して「だからお客様に差し上げるお人形を無料でいただきたい」とお願いをした。
プライベートでは居るかいないか分からないほど存在が薄いのり子だが、いざ、仕事のことになると、やりたいことが次から次へと湧いてきて、「やりたいことはやってみよう」の精神で躊躇なくできた。
大胆なことだが、喜ぶ子どもたちのことを想像すると、ワクワクが止まらなかった。
その頃、売り場では「MR(マーケットリサーチ)」で都会に出張することが流行っていた。
30分毎にしか電車が来ない田舎のお店でも、都会的な雰囲気を直接肌で感じてそれを売り場に活かすのがMRの目的だった。
そのMRは婦人服や紳士服などの衣料品売り場の人だけが対象で、しかも、MRは会社から選ばれた人しか出張できなかった。
のり子は着せ替え人形の大型ショーウインドウの飾りつけを任されていて、季節ごとにディスプレイをしていた。
駐車場から売り場に入ってきて最初に真正面に見えるのがその大型ショウウインドウだった。
子どもたちがそのガラスにおでこやほっぺをくっつけて見入っている姿を見てのり子は幸せな気持ちだった。
もっと素敵なディスプレイをしてみたい。
都会のディスプレイを見てみたい。
のり子はほとばしる思いを抑えきれず、都会へMRに行きたいと、店長に直談判することを思いついた。
自分の休日を利用するから往復の旅費だけは会社で出してほしいという内容だ。
のり子は直談判するために、出張計画書を独自に製作した。
そのようなフォームが会社にはなく、のり子が自分で作った。
ただやみくもに都会へ行っても時間の無駄になる。だからのり子はいつも電話で親しくさせていただいている問屋さんに電話をし、参考になるお店を数件教えていただいた。
そして数点のお店を何時にリサーチするか、時系列に計画を立てていく。
リサーチするお店とそのスケジュールが決まり、出張の目的を入れて、出張計画書としてそれを持って店長に出張を直談判した。
自分から都会へ出張したいというスタイルはなかったので店長は最初目を丸くし、そしてその目は細くなった。
店長は快く承諾して下さった。
あとは行くだけになった。
のり子は出張の前に出張をした後に提出する報告書を事前に作成した。
出張しながら直接書けるようにした。その時の感動や気持ちはすぐに書かないと忘れてしまうから。
そして当日、のり子は東京へ向かった。
そしてジェニーショップで問屋さんにお会いして、お電話では聞けないようなお話を聞かせていただいた。
出張は往復、寝台列車だった。
帰りの寝台列車の揺れる中、字が飛び跳ねながらも出張報告書を完成させ、翌朝、一番に店長に報告書を提出した。
会社でお金を出してくださったのだからこちらも出張で得たことを報告するのが当たり前とのり子は思っている。
東京の晴海で行われる「おもちゃショー」にも自分から手を挙げて出かけて行った。
のり子はチーフがおしゃる通り「好きなように」仕事をさせていただいた。
それには次のような気持ちがあったからだ。
事務職として入社し、6年間事務をさせていただいた。
入社して7年目でのり子の売り場異動の願いが叶い、晴れて売り場で仕事ができるようになった。
その時のり子は25歳になっていた。
入社して丸6年。正社員。
つまり、給料はそれなりの金額をいただいていた。
売り場に転属されて、のり子は1年生になる。売り場の知識はゼロなのに、正社員ののり子は、売り場で長年働いてこられたパートさんよりも給料が多いことに恐縮していた。
売り場には若い方からご年配の方まで、たくさんの年齢層のパートさんがいらっしゃる。
仕事は全く分からないのに、給料や賞与はベテランのパートさんよりもはるかに多い金額をいただくのだ。
それはとても申し訳ないとのり子は思っていた。
だから、仕事は一生懸命やろう。「何もできないのに高い給料をもらって」と思われないようにしようとのり子は考えていた。
売り場へ配属されたら、ベテランのパートさん、アルバイトさんに「給料泥棒」と言われないようにしっかり、正社員として働こうとのり子は思い、それを実行してきた。
のり子は半端な気持ちで売り場異動を願い出たのではなかったのだ。
そういう思いもあり、のり子は迷ったら現状維持よりも一歩前進する方を選んでいった。
そして仕事を積極的にすればするほど結果がついてきて毎日が楽しかった。
店長は2年位のサイクルで異動される。
当時の店長には「やる気のある人に会社はいくらでも投資する。だからこれからも頑張ってください。」と言われた。
そして、新しい店長からは「山田さんのことは前任の店長から話は聞いている。頑張ってください。」と声を掛けられることが続いた。
仕事は面白い。次から次へとやりたいことが湧いてくる。やればやるほど会社からは評価され、のり子は自分の居場所を見つけた。
小6の時にいじめにあい、それから7年間、人から逃げるような行動しかしてこなかったのり子だったが、やっと太陽の下で堂々と生きている、そんな気がした。
何をしてもプラスになる時期だった。
長くなりましたので、続きは次回にいたします。
※今回はこちらのnoteの続きです。
↓
https://note.com/tukuda/n/n07c9881103a3
※note毎日連続投稿1900日をコミット中!
1804日目。
※聴くだけ・読むだけ・聴きながら読む。
どちらでも数分で楽しめます。#ad
売り場異動する際の決心
これまでのおもちゃ売り場は商品をただ置いているだけだったが、のり子はお客様に自分から近づくことを積極的にしていった。
おもちゃのミシンやはたおり機で作った作品を展示して、こちらの商品をお求めになるとこのようなことができます、と商品を手にした未来のワクワク感を表現した。
また、おもちゃのわたあめ製造機で実際に売り場でわたあめを作りながら、お客様に無料で差し上げたりして、おもちゃでもここまでできることを分かってもらうようにした。
更には、リカちゃんやジェニーちゃんの着せ替え人形を大型のショーウインドウに臨場感たっぷりに展示をして、どのお人形が好きかのアンケートをし、アンケートにお答えして下さった方の中から数名の方にお人形をプレゼントする企画を立て、実行した。
勿論、それまでそのように売り場の担当者が企画をし実行する人はいなかった。
のり子はその企画をするにあたり、企画書を作り、それを問屋さんに提出して「だからお客様に差し上げるお人形を無料でいただきたい」とお願いをした。
プライベートでは居るかいないか分からないほど存在が薄いのり子だが、いざ、仕事のことになると、やりたいことが次から次へと湧いてきて、「やりたいことはやってみよう」の精神で躊躇なくできた。
大胆なことだが、喜ぶ子どもたちのことを想像すると、ワクワクが止まらなかった。
その頃、売り場では「MR(マーケットリサーチ)」で都会に出張することが流行っていた。
30分毎にしか電車が来ない田舎のお店でも、都会的な雰囲気を直接肌で感じてそれを売り場に活かすのがMRの目的だった。
そのMRは婦人服や紳士服などの衣料品売り場の人だけが対象で、しかも、MRは会社から選ばれた人しか出張できなかった。
のり子は着せ替え人形の大型ショーウインドウの飾りつけを任されていて、季節ごとにディスプレイをしていた。
駐車場から売り場に入ってきて最初に真正面に見えるのがその大型ショウウインドウだった。
子どもたちがそのガラスにおでこやほっぺをくっつけて見入っている姿を見てのり子は幸せな気持ちだった。
もっと素敵なディスプレイをしてみたい。
都会のディスプレイを見てみたい。
のり子はほとばしる思いを抑えきれず、都会へMRに行きたいと、店長に直談判することを思いついた。
自分の休日を利用するから往復の旅費だけは会社で出してほしいという内容だ。
のり子は直談判するために、出張計画書を独自に製作した。
そのようなフォームが会社にはなく、のり子が自分で作った。
ただやみくもに都会へ行っても時間の無駄になる。だからのり子はいつも電話で親しくさせていただいている問屋さんに電話をし、参考になるお店を数件教えていただいた。
そして数点のお店を何時にリサーチするか、時系列に計画を立てていく。
リサーチするお店とそのスケジュールが決まり、出張の目的を入れて、出張計画書としてそれを持って店長に出張を直談判した。
自分から都会へ出張したいというスタイルはなかったので店長は最初目を丸くし、そしてその目は細くなった。
店長は快く承諾して下さった。
あとは行くだけになった。
のり子は出張の前に出張をした後に提出する報告書を事前に作成した。
出張しながら直接書けるようにした。その時の感動や気持ちはすぐに書かないと忘れてしまうから。
そして当日、のり子は東京へ向かった。
そしてジェニーショップで問屋さんにお会いして、お電話では聞けないようなお話を聞かせていただいた。
出張は往復、寝台列車だった。
帰りの寝台列車の揺れる中、字が飛び跳ねながらも出張報告書を完成させ、翌朝、一番に店長に報告書を提出した。
会社でお金を出してくださったのだからこちらも出張で得たことを報告するのが当たり前とのり子は思っている。
東京の晴海で行われる「おもちゃショー」にも自分から手を挙げて出かけて行った。
のり子はチーフがおしゃる通り「好きなように」仕事をさせていただいた。
それには次のような気持ちがあったからだ。
事務職として入社し、6年間事務をさせていただいた。
入社して7年目でのり子の売り場異動の願いが叶い、晴れて売り場で仕事ができるようになった。
その時のり子は25歳になっていた。
入社して丸6年。正社員。
つまり、給料はそれなりの金額をいただいていた。
売り場に転属されて、のり子は1年生になる。売り場の知識はゼロなのに、正社員ののり子は、売り場で長年働いてこられたパートさんよりも給料が多いことに恐縮していた。
売り場には若い方からご年配の方まで、たくさんの年齢層のパートさんがいらっしゃる。
仕事は全く分からないのに、給料や賞与はベテランのパートさんよりもはるかに多い金額をいただくのだ。
それはとても申し訳ないとのり子は思っていた。
だから、仕事は一生懸命やろう。「何もできないのに高い給料をもらって」と思われないようにしようとのり子は考えていた。
売り場へ配属されたら、ベテランのパートさん、アルバイトさんに「給料泥棒」と言われないようにしっかり、正社員として働こうとのり子は思い、それを実行してきた。
のり子は半端な気持ちで売り場異動を願い出たのではなかったのだ。
そういう思いもあり、のり子は迷ったら現状維持よりも一歩前進する方を選んでいった。
そして仕事を積極的にすればするほど結果がついてきて毎日が楽しかった。
店長は2年位のサイクルで異動される。
当時の店長には「やる気のある人に会社はいくらでも投資する。だからこれからも頑張ってください。」と言われた。
そして、新しい店長からは「山田さんのことは前任の店長から話は聞いている。頑張ってください。」と声を掛けられることが続いた。
仕事は面白い。次から次へとやりたいことが湧いてくる。やればやるほど会社からは評価され、のり子は自分の居場所を見つけた。
小6の時にいじめにあい、それから7年間、人から逃げるような行動しかしてこなかったのり子だったが、やっと太陽の下で堂々と生きている、そんな気がした。
何をしてもプラスになる時期だった。
長くなりましたので、続きは次回にいたします。
※今回はこちらのnoteの続きです。
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https://note.com/tukuda/n/n07c9881103a3
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1804日目。
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