その高校に入学した理由【音声と文章】
山田ゆり
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のり子の学校は2年生の時に就職と進学のそれぞれの進路ごとにクラス替えが行われた。
のり子は母親から、「その高校に入り、そして電電公社に就職してほしい」と言われていて、何の疑問も持たずに自分はそうなろうと思っていた。
なぜ、のり子の母親はそう言っていたのか。
のり子の家はとても貧乏だった。のり子の家は、両親と姉と弟との5人家族だった。
お米の専業農家だった父は田植えと稲刈りの時期以外は岐阜県に出稼ぎに行っていた。
だから普段の切り盛りは留守を預かる母がしていた。
時々田んぼの草をとり、小さな畑に野菜を植え、掃除婦や中華料理店の皿洗い、食品工場の生産ラインなどのパートをしていた。
いつも忙しい母親は、授業参観には来てくれたことが無い。
ただ黙って子どもたちを見ているだけの生産性のない時間を過ごす余裕は母親にはなかったのだ。
両親ともに尋常小学校しか出ていなかったので、のり子たちは親から勉強を教わることができなかった。
よく、夏休みの宿題を夏休み終了間近に親が手伝うということを聞くが、のり子の家庭に限ってそれはなかった。
小学校低学年レベルの能力しかない両親は、子どもたちに教えることができなかったし、教えている時間も無かったのである。
だからのり子たちは、勉強は自分でするものだと自然に感じていた。
のり子が保育園児のころ、借家暮らしをしていた時期があり、お隣は親戚のお宅だった。
そのご家庭のひとり娘の方は、おしとやかで教養があり育ちの良さが滲み出ていて、のり子の母親はもちろん、のり子達もその人が大好きだった。
女優さんに例えるなら、吉永小百合さんに似ていた。
その人の通った女学校に入学してその人のお勤め先である電電公社に子ども達が就職したら人生は安泰だと母親は思ったのである。
だからことあるごとにのり子の母親は子どもたちにそれを言っていたのである。
お母さんを喜ばせたくてのり子は母親の言うことを聞いていた。
そして、中学は勉強するしかなかった環境が幸いして、念願の女子高に入学できたのである。
後はそこに就職すればミッション完了のはずだった。
その夢実現のために何をしたらいいのかを理論立てて考えることが苦手だったのり子は漠然と「そうなりたい」と思っていただけだった。
1970年代の当時は、ワープロも一般的ではない時代で、今のように「検索する」という手段もなかった。
調べ物は図書館や本屋さんでするしかなかった。だからのり子は自分の進路について何も調べもせずに高校へ入学した。
いざ就職するにはどうするかと考えるようになった時には既に遅かった。
電電公社が当時は公務員だったのだが、それさえのり子は知らなかった。普通に就職試験を受けられるものだと思っていたのだ。
そして、のり子は学年で30番台で入学したのに1年の終わりには学年のビリから2番目に学力が低下してしまっていたのである。
慣れないクラス委員長という重責と、毎月のように訪れる生理痛の為に保健室で寝ていることが多かったため、のり子は授業についていけなくなっていた。
そんなのり子が公務員になれるはずがない。
決めつけてはいけないが、当時ののり子に現状を打破させるほどの気概は全くなかった。
そこでのり子は電電公社に就職するのはすぐに諦めた。
ではどうしたか。
一番最初に就職試験が行われる会社の試験を受ける、そして、落ちたらすぐに次を受けよう。それだけの基準で会社を選んだ。
その会社は東京に本社があり、日本各地に支店があり、のり子が住んでいる市にも支店がある小売業だった。
そこからは、事務職と販売職の求人が出ていた。
のり子の学校は2年生から進学と就職コースに分かれ、就職コースでは珠算と簿記の授業がスタートした。
ほとんどの人は小学校辺りでそろばん塾に入っていた。
当時の習い事と言えば、習字、そろばんである。
しかし、貧乏で習い事をする金銭的余裕がなかったのり子は高2にして、初めてそろばんを習ったから、スタート地点では周りの生徒より不利だった。
しかし、昔から指先を使うことが好きだったこと、高校入学までは三度の飯よりも数学が好きだったから、珠算は面白くてどんどん上達していった。
暗算は最初、数字を聞き取ることに慣れなかったが、その内、神経を集中させることができるようになった。
何事も繰り返しだと思う。
継続と習慣化なのである。
簿記も最初、「借方」「貸方」が分からず戸惑ったが、数学つながりですぐに授業が楽しくなり、化学や物理などの授業は相変わらずついていけないレベルだったが、簿記は級が上がるたびに面白さを感じるようになった。
結局、卒業までにそれぞれ2級を取得した。
世間を知らない女子高生のほとんどは就職の職種は「事務」を希望していた。
そして3年生になったのり子は就職試験を受けるために寝台列車に乗り、東京に向かった。
その寝台列車の中で見覚えのある人と一緒になり、のり子は目を丸くした。
長くなりましたので、続きは次回にいたします。
※note毎日連続投稿1800日をコミット中! 1782日目。
※聴くだけ・読むだけ・聴きながら読む。
どちらでも数分で楽しめます。#ad
~その高校に入学した理由~
未来を知るためにネガティブな過去を洗い出す
※今回は、こちらのnoteの続きです。
↓
https://note.com/tukuda/n/n58f93d814091?from=notice
のり子は母親から、「その高校に入り、そして電電公社に就職してほしい」と言われていて、何の疑問も持たずに自分はそうなろうと思っていた。
なぜ、のり子の母親はそう言っていたのか。
のり子の家はとても貧乏だった。のり子の家は、両親と姉と弟との5人家族だった。
お米の専業農家だった父は田植えと稲刈りの時期以外は岐阜県に出稼ぎに行っていた。
だから普段の切り盛りは留守を預かる母がしていた。
時々田んぼの草をとり、小さな畑に野菜を植え、掃除婦や中華料理店の皿洗い、食品工場の生産ラインなどのパートをしていた。
いつも忙しい母親は、授業参観には来てくれたことが無い。
ただ黙って子どもたちを見ているだけの生産性のない時間を過ごす余裕は母親にはなかったのだ。
両親ともに尋常小学校しか出ていなかったので、のり子たちは親から勉強を教わることができなかった。
よく、夏休みの宿題を夏休み終了間近に親が手伝うということを聞くが、のり子の家庭に限ってそれはなかった。
小学校低学年レベルの能力しかない両親は、子どもたちに教えることができなかったし、教えている時間も無かったのである。
だからのり子たちは、勉強は自分でするものだと自然に感じていた。
のり子が保育園児のころ、借家暮らしをしていた時期があり、お隣は親戚のお宅だった。
そのご家庭のひとり娘の方は、おしとやかで教養があり育ちの良さが滲み出ていて、のり子の母親はもちろん、のり子達もその人が大好きだった。
女優さんに例えるなら、吉永小百合さんに似ていた。
その人の通った女学校に入学してその人のお勤め先である電電公社に子ども達が就職したら人生は安泰だと母親は思ったのである。
だからことあるごとにのり子の母親は子どもたちにそれを言っていたのである。
お母さんを喜ばせたくてのり子は母親の言うことを聞いていた。
そして、中学は勉強するしかなかった環境が幸いして、念願の女子高に入学できたのである。
後はそこに就職すればミッション完了のはずだった。
その夢実現のために何をしたらいいのかを理論立てて考えることが苦手だったのり子は漠然と「そうなりたい」と思っていただけだった。
1970年代の当時は、ワープロも一般的ではない時代で、今のように「検索する」という手段もなかった。
調べ物は図書館や本屋さんでするしかなかった。だからのり子は自分の進路について何も調べもせずに高校へ入学した。
いざ就職するにはどうするかと考えるようになった時には既に遅かった。
電電公社が当時は公務員だったのだが、それさえのり子は知らなかった。普通に就職試験を受けられるものだと思っていたのだ。
そして、のり子は学年で30番台で入学したのに1年の終わりには学年のビリから2番目に学力が低下してしまっていたのである。
慣れないクラス委員長という重責と、毎月のように訪れる生理痛の為に保健室で寝ていることが多かったため、のり子は授業についていけなくなっていた。
そんなのり子が公務員になれるはずがない。
決めつけてはいけないが、当時ののり子に現状を打破させるほどの気概は全くなかった。
そこでのり子は電電公社に就職するのはすぐに諦めた。
ではどうしたか。
一番最初に就職試験が行われる会社の試験を受ける、そして、落ちたらすぐに次を受けよう。それだけの基準で会社を選んだ。
その会社は東京に本社があり、日本各地に支店があり、のり子が住んでいる市にも支店がある小売業だった。
そこからは、事務職と販売職の求人が出ていた。
のり子の学校は2年生から進学と就職コースに分かれ、就職コースでは珠算と簿記の授業がスタートした。
ほとんどの人は小学校辺りでそろばん塾に入っていた。
当時の習い事と言えば、習字、そろばんである。
しかし、貧乏で習い事をする金銭的余裕がなかったのり子は高2にして、初めてそろばんを習ったから、スタート地点では周りの生徒より不利だった。
しかし、昔から指先を使うことが好きだったこと、高校入学までは三度の飯よりも数学が好きだったから、珠算は面白くてどんどん上達していった。
暗算は最初、数字を聞き取ることに慣れなかったが、その内、神経を集中させることができるようになった。
何事も繰り返しだと思う。
継続と習慣化なのである。
簿記も最初、「借方」「貸方」が分からず戸惑ったが、数学つながりですぐに授業が楽しくなり、化学や物理などの授業は相変わらずついていけないレベルだったが、簿記は級が上がるたびに面白さを感じるようになった。
結局、卒業までにそれぞれ2級を取得した。
世間を知らない女子高生のほとんどは就職の職種は「事務」を希望していた。
そして3年生になったのり子は就職試験を受けるために寝台列車に乗り、東京に向かった。
その寝台列車の中で見覚えのある人と一緒になり、のり子は目を丸くした。
長くなりましたので、続きは次回にいたします。
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※今回は、こちらのnoteの続きです。
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