「輪廻転生、しないとしたら?」
人は、死後の世界に救いを求める。
生まれ変わったら、次はこうなりたい。
そう希望を抱いて今ある人生を
蔑ろにしてしまいがちだ。
なぜ、死後に転生すると確信できる?
輪廻しているのならば、
転生する前の記憶や癖が思い出せる
人がもっと沢山存在しても
おかしくないのではないか。
筆者が考える「輪廻転生」とは、
自然界の循環に類似していること。
然し、再利用であるだけで、
全く同じ存在は循環することは無い。
恐らく自然の摂理とは、
人間が想像している程、
慈悲深くはない。
生きとし生ける者の全ての物質は
死とともに分解される。
腐り、骨になり、微生物たちに
喰い尽くされる。脳細胞が創り出した
感情も記憶もすべて分解される。
そうして、
新たな生命を生み出す為の材料の
一部のエキスとして死んだ者たちは
吸収され、再利用される。
それが、この自然の循環。
人は、そこに意味を見出だそうとする。
自分の感情や記憶が分解されて
無くなるなんて信じられない、
虚しすぎると悲哀になる。
人は皆、自己愛を持っているものだ。
"そこに"意味を見出だそうとしたから、
人々は、宗教を神を創り出した。
天国も地獄も輪廻転生も
無いとしたら?
宗教も神も人が創り出したもの。
存在しない伝説上の生き物と
なんら変わりのない存在。
いにしえの洗脳や既成概念から
自分を解き放ってみよう。
そうすると、たった一人、
自分が数ある一つの生命体である
ことに気付く。生命体はどの様にして
産まれてくるんだっけ。
いろんな成分が混ざり合って結合されて
形が形成されて構築されていく。
その、いろんな成分の中に、
死んだ者たちのエキスが
沢山満たされている。そう考えると、
私たち、生ある者たちは、一つの命から
再構築されたのではなく、複数の命から
再構築された存在なのではないかと
筆者は考える。
神とは、人を慈悲深く護り希望へと導く者
だと人は信じてやまないが、それは、
人間が創り出した存在である。
神と二次元キャラクターは等しい。
こんな事言うと、世界の信者が怒り狂う
かもしれないが、事実であると思う。
筆者が強いて、人類が敵わない相手を
挙げるなら、大自然であり宇宙である。
然し残念ながら、これらは人を特別扱い
などしてくれないし、無慈悲に命も奪う。
この自然の摂理や真理から考えてみると、
輪廻転生など無い気がしてならない。
これは、負の感情論ではない。
絶望感を抱いてしまった読者は多いかも
しれないが、決して絶望的な話ではない。
人生は一度きり!
だと発言される人がいらっしゃるように
そういうことなのではないかと
筆者も思うのだ。
この話はあくまで筆者の持論であり、
信じる信じない信じてほしい等という
ものではなく数ある1つの理論として
受け止めてほしいのだが、
筆者が考える、輪廻転生というものは
存在しないと仮定したとき、
筆者には、死後の世界に意識が向くのでは
なく【今】しか見えなくなる。
今しか自分という概念は存在しない。
今しか自分として思考することができない。
今しか人間関係を築くことができない。
今しか、今だけ、死ぬまでの間だけだ。
そう仮定して考えてみると、
今、自分が生きているこの時間と空間が
儚く尊いものであると思えてこないか。
一瞬一秒一分も無駄にしてはならない…
なんてことは筆者は言わないよ。
そんなに気を張っていると
疲れ果ててしまうでしょう。
自分なりに自分の有限の生を
大切に生きる。長く生きる事も
短く生きる事もどれも素晴らしい。
人が意味を見出だせるのはきっと
生きている間だけ。
それぞれの目の前にある、【今】だけ。
そう仮定して考えてみるのも
悪くないだろう?