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なりたいのは、アートなクリエイターだと思った今日この頃。

つづるです。わたしは仕事における役割について、気持ち的に「アーティスト」「デザイナー」の狭間で揺れ動いたまま、数年過ごしてきましたが、

「13歳からのアート思考」という本を読み、今のところは「アートなクリエイター」でいたいと思うようになりました。

わたしの、仕事への気持ちが本を読んで どのように昇華されていったのかを綴りたいと思います。

デザイナーになりきれない自覚がずっとあった

建築の道に進もうと思ったのは、中学校の時でした。祖父が家具屋さんだったことも影響し、インテリアから興味を持ったのがきっかけです。

職人気質であった祖父が持っていた木やインテリアのこだわりがなんとなくわたしの心にも染み付いていたと思います。

大学も建築の学部に入学しましたが、そこで「アート」という領域を感じました。

自分が感じる「心地よい空間」を追求するという授業の連続で、当時のわたしは「いわゆる潜在的に”センス”がある人しか残っていけない世界」と勝手に決めつけていたと思います。

今思うと、この心地よい空間の要素を自分なりに分析し、体系立てて設計出来るように考えられればよかったのかもしれませんが…大学生だったわたしにはハードルが高かったのです。

そういうわけで、「建築」への若干の苦手意識が芽生えてしまったものの、投げ出すこと無く、向き合いはして、就職も結局「住宅建築」への道を進むことを選びました。

「住宅建築」「設計」という分野を好きになりたいという心だけで、進路を選んだと思います。

10人以下の小さな会社に就職をしたので、住宅設計の仕事だけではなく営業や広報など、たくさんの仕事を進めてきました。

必死になって仕事はしてきたものの「設計仕事一筋」では無かったこともあり「デザイナー」としての自覚はなかなか芽生えないまま、ずっと仕事をしていました。

そんな中【「自分だけの答え」が見つかる 13歳からのアート思考】に出会ったのです。

「アート」という線引を勝手にしていたのは自分だった

13歳からのアート思考を読んだ感想は「アートは分析的で相対的なもの」というものでした。

アートを鑑賞するの視点として、

□ 見た目…色、かたち、輪郭、筆の使い方

□ 時間…描かれた時代背景 などなど

…上記のようなことが本に書かれていました。アーティスト自身が、どう表現をしたかったのかを当てることが重要なのではなく、鑑賞者が自由にアートを感じるのでいいのだとも書かれていました。

そもそも「アート」というものは無く、「アーティスト」が存在するだけ。

わたしが大学時代に苦手意識をもった「建築という名のアート」は「正解・不正解が無いもの」だったからで、「理解できない領域」として ひとくくりにし勝手に線引をしてしまっていたのかもしれないなと感じました。

わからないなら、自分にとっての「建築」とは「心地のよい空間」とは何かを”分析”して「自分なりの正解=設計のルールを自分で作り上げてしまえばよかった」と本を読んで納得しました。

自分が愛したいものが見つかっているなら、あとは興味に引っ張られながら、自分なりの研究を進めるだけ。

この本を読んで、長年くすぶっていた「建築設計」という分野を自分なりに探求の根を伸ばしてみたいと想い、建築家の設計研修に参加するに至ったのでした。

なりたいのは、アートなクリエイターだと思った今日この頃。

13歳からのアート思考を読み、設計の研修を受けて、改めて今日思ったことは、

わたしは「探求の根を伸ばし、問題解決方法を広め、深めるクリエイター」になりたいなと思いました。

今は住宅設計のSE的な仕事を中心に仕事をしているので、

住宅建築の設計の手法を分析し、システム的に何か新たな発見が出来ないかと、考え 実現していくことをひとまずの目標としたいと思います。


本日はわたしのnoteに遊びに来てくださってありがとうございます。今、世の中に当たり前にある仕事も 誰かが作り出した「役割」だとしたら、わたしの役割もいつか 当たり前になるかもしれない。こういう視点をくれたのは「13歳からのアート思考」です。

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