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「選択する」ということ

大人になると子供のころ以上に
多くの情報や人間関係(コミュニティー)、環境を
構築していくことが増えていく。

子供の頃は、与えられた環境の中で
限られた選択肢の中であっても純粋に楽しかった。
周りにはたくさんの友達や夢中になれる部活や趣味
キラキラ輝く学生生活、甘酸っぱい恋の一つや二つ。
こういうと「大人は面白くない」
そう伝えたいのか、とネガティブな意味で
勘違いされそうだけど決してそうではなくて。

私は、大人になるということは
子供以上に(というより比べることじゃないけれど)
素晴らしい機会が与えられてるのだと思う。

働くことができて、お金を稼ぐことができる。
限られた選択肢ではなく広がりのある選択ができる。
行きたい場所に行こうと思えば行けて行動範囲が広がる。
「責任」という大きな覚悟を持つことができる。
心地の良い環境を自ら掴み取れる自由がある。
これからをどう過ごしたいか想像する楽しさがある。

言い出したらキリはないのだけど、
それぐらい可能性と希望に満ちている。
でもそれと同時に悩みや挫折、しがらみもある。

選択肢が増えるということはとても幸せなこと。
だけど、多すぎるとかえって選べなくなったり
何が「正解」なのかをぐるぐると考えだしたり
シンプルに、まっすぐな選択を出来ないことがある。

今までは与えられてた選択肢の中から選べばよかった。
深く何も考えなくてもそれなりにやってこれた。
なのに、自分で”選ぶ”ことができる大人になった途端、
選ぶことが億劫にさえなることを覚えた。

決められたレールを走っている方が楽なんじゃ?
言われたとおりにしていれば安心なんじゃ?
誰かの意見に同調している方が無難なんじゃ?


そういう心理が無意識に働くようになる。
そこに自分の意思や主張はないから「責任」を感じずに済む。
責任を負うという「覚悟」をしなくて済む。
何かがあっても「自分」のせいにならずに済む。

誰しも不安や恐怖、挫折や危険は味わいたくない。
そのためには、そう感じる危険性がある選択肢は除外していく。
だから選択肢がどんなに増えようとも選択をしない。
そういう風に人間はプログラムされてる。
ホメオスタシス(恒常性)が働くようになってるから。

「変わりたくない。」 そう脳が叫んでいる。
「変われば危険だ。」 そう脳が不安を煽ぐ。


でも、ここで少し自分を俯瞰して考えたい。
少し視座を上げて今の自分を離れたところからみる。

まず、この心理は人間に備わっている”機能”だということ。
無条件にホメオスタシスレーダーは”警告”するということ。
だから不安や恐怖といった感情は感じて当然で、
むしろ「そういうものでしょ?」と理解することが何より必要。


これは”コンフォートゾーン”と一緒で
進みたい道を行くには必ず「通る」道順だと思えばいい。
どんな道か全く検討がつかず恐がって進めないよりも、
あらかじめ”恐いと感じるよ”ってわかってた方が
なんだか少し心にゆとりを持てるし
そこはあくまで”道の途中”だということも理解できる。
その通り過ぎた先に行きたい場所が待ってるのだから。

コンフォートゾーンとは、
その人が慣れ親しんでいてストレスや不安を感じずに過ごせる
心理的な安全領域のこと

カオナビ

何かを選択するとき
何かを覚悟するとき
何かを得たいとき

闇雲にただ不安や恐怖を感じるのではなくて、
これは自然な反応であり、ゴールに近付く合図だって
考え方や物事の捉え方を柔軟に変えてみたい。

それだけで選択する楽しさは広がる。
責任や覚悟に宿る「生きがい」が生まれる。
今いるステージ以上に高く上がれる。


見える景色は、また一段と豊かになるということ。








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