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桃 三木三奈6

芸術ってなんだろう。単に功利的な価値を持たないもの。通俗的な価値観に支配されてないもの。新しいもの。その芸術家のみが生みうるかけがえのないもの。人類共通の価値となるもの。良いもの。感動を与えられるもの。ただし、その理解には、一定程度の知性が必要なもの。それは音楽。美術。文学。演劇。文学。古典的なもの。ある時期、芸術であったもの。永遠なもの。一期一会なもの。

亜子は芸術家になりたいのだ。芸術というものを見つけてしまったのだ。

芸術家になるには強くならなければいけない。強くなりたいなら、傷つくことだ。傷の痛みに打ち勝ちたいなら、その痛みに慣れることだ。私はひとりでいたい。みんなの中に、自分の喜びはない。私は大きな喜びの中にいたい。

亜子は、こう書く。(ノート、そのままでは、ない)。私たちが知る芸術家の内面っぽいことが書いてある。亜子は、自分を傷つけるために「嘘」をつく。世界の無理解に傷つくために「嘘」をつく。芸術に目覚めた思春期の若者がしそうなことではある。

たぶん勘違いだと思う。芸術家は強くはないのだ。ただ自分を曲げられないだけだ。そうした芸術家を、世間は非難する。芸術家は傷つくかもしれない。しかし、それは結果的に、傷つくのであって、自ら望んで傷つくわけではない。芸術家に嘘つきは多いかもしれないが、それは結果として嘘になるだけで、その時その時に、芸術家はやっぱり本当のことを言っているはずだ。

生きたいように生きることができたら。そういう生き方に若い人たちは憧れる。そういう生き方ができないで、生活のために生きる大人を若い人たちは軽蔑する。それは低俗な卑しい生き方に見える。集団を頼んだ行動は自主性がなく、常に責任逃れして、傷を舐め合っているように見える。

でも、それが人間なのだ、ということに亜子は気づいていない。

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