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サイパン島の思い出① バンザイクリフ、第二次世界大戦

これは、私が2017年ごろにアメリカ領の北マリアナ諸島サイパン島を訪れた際のお話です。


バンザイクリフは、サイパン島の最北端にある、戦争の際、アメリカ兵に追い詰められた多くの日本人が身を投げた崖。
子供の頃にも訪れたことがあったけど、もう一度見たかった。

そこら辺で捕まえたタクシーの運転手に65米ドルを払い、連れていってもらう。
よく晴れたいつもの暑い日だった。空も海も冴えた青で、ジャングルの緑は凶暴なほど鮮やか。南の島だから、何もかも彩度が高い。
道の途中には、いくつもの戦車や大砲の残骸が無造作に並んでいる。しかし、元はというと赤茶色に錆びて朽ちかけていたそれらに、おかしな迷彩柄のペイントが施されていていた。以前はこんな風じゃなかったはず。街中にある大砲に、ローカルのお兄ちゃん達がペンキか何かで色をつけているのを目撃したのだが、行政の方針なんだろうか。
確かにそれには、辛気臭さを薄れさせる効果がありそう。けれど、戦跡に落書きされているようで、私は複雑な気持ちになった。
しかし、そもそも元々ここに住んでいた島民の立場から見ると、別にどうということもないのかもしれない。それらは、自分たちの島で勝手に戦争を始めた余所の人たちが置き去りにしていった、古い鉄の塊。

到着した目的地は、観光客で溢れていたものの、日本人は私がパッと見る限りいなかったと思う。
ほとんどが、アジア系の若い人。自撮りしたりはしゃいだり、みんな楽しそう。
そこでかつて何が起きたかなんて、きれいに忘れ去られているかのようだった。昔行った時は、もう少し静かで、厳かで、人もまばらだったと記憶している。
大きく聳え立つ日本語の慰霊碑の足下をよく見ると、陶器でできた小さな白い観音様が、首から上が砕け散った状態で座っていた。
私の隣では、アジア系の女の子が石碑に丁寧に手を合わせてくれている。

タクシーの運ちゃんは、
「記念写真でも撮る?」
と提案してきたが、私は
「いらない。そういう感じでもない」
と断った。すると彼は
「ああ、君の気持ちはわかるよ。君は日本人だからね」
と納得したようだった。

バンザイクリフは、南の島のイメージによくある、白くてやわらかい砂浜のビーチとは打って変わって、切り立ったガリガリの断崖絶壁。
そこに荒れ狂った大波が、重く低い爆発音を立てて繰り返し押し寄せる。
そして、信じられないくらいだだっ広くて、見渡す限りどこまでも青い、崖の向こう側。なだらかな孤を描く大海原と、その一面に照りつける太陽光。
この場所から飛び石のように島々が連なって、小笠原諸島、八丈島と続き、日本列島に至る。
泳いだって、ここからじゃ日本に帰れるはずがないのだけど。
崖から下を見ると、目眩がして吸い込まれそうだった。

旅の最終日、サイパン国際空港のカウンターの列に立っていた時、
私の目の前に、お爺さんが1人で並んでいた。
見ると、手には日本のパスポート。
この人は、親族の慰霊で訪れたんだろうか。

私が初めてここに来たのは、本当に小さい頃のこと。
当時はどこもかしこも日本人だらけ、日本語だらけだったのが、今や様変わりしている。
道を歩いていても、まず私が日本人だとは認識されなかった。
話しかけられる言葉は、「你好」か「캄사함니다」。
知らない人に、「あたしゃ中国人でも韓国人でもないよ。当ててみて」って言ったら、
「わかんないよ!」なんて返されたこともある。
サイパンから日本の、ひいては第二次世界大戦の匂いが薄れる。
かといって、元々あったチャモロ文明が戻って来るわけでもない。
ここは、変わるがわる別の国の文化が押し寄せてくるところ。

私は、戦没者の直接の遺族ではない。
海が好きで、歴史に興味がある、日本の観光客。
けれど、なんとなく砂や貝殻を拾い集めてきた。

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Yoshié Tsuzuki
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