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【連載小説】再⭐︎生(23)

「急にごめんねぇ、やっと冬休み取れてさ」
駅を出てすぐの待ち合わせ場所、ガードレールの前でこちらに手を振る熊男は、赤と白の糸で編まれたニット帽を頭に載せていた。
「もう一つごめんだけどさ、弟くん、誰か女の子紹介してくれない? 年齢とか気にしないから。あ、こっちね」
大股で歩き出した熊男に合わせ、慌てて横に並ぶ。
「あの、すみません、いま考えたんですけど、姉くらいしか思いつかなくて」
「さーちゃんは駄目だよぉ、彼氏いるでしょ」
人混みを抜け、雑居ビルの立ち並ぶ通りを歩くと、頭上に〝ゴールデン街〟という看板が現れる。
「ここ、ここで友達が働いてるから」
熊男が小さいドアを開け、窮屈そうに体を押し込んだ。
「こんばんはー! あれ、石井さん」
店のカウンター内には、大人しそうな感じの若い女性が立っていた。彼女のいるキッチンを囲み、L字型のカウンターと椅子が数脚配置されている。いつも行く居酒屋や、ドラマで見るようなバーともまた違う、狭いけれどなんだか落ち着く空間だ。
「弟くん、冷酒いける?」
「はい、いけると思います」
しばらくのあいだ客は俺たちだけで、カウンターの女性に勧められるまま、すっきりとした喉ごしの酒を流し込むうち、だんだんと視界が揺れてきた。
「さーちゃんに聞いたけど、あれ、彫刻さぁ、楽しくやってるみたいねぇ」
熊男も呂律が怪しくなってきている。
「俺、いま大道具メインだからさぁ、もし弟くんが作家になったら、現場で会えたりするかもねぇ」
「いや、そんなまだ、全然ですよ」
グラスに覆い被さるように下を向いていた熊男が、ゆっくりとこちらを見た。
「弟くんさぁ、つらいときもあると思うけど、お互い、がんばろうねぇ」

その後も熊男と俺は飲み続け、店に何人か客が入ってきたため、熊男が手でバツをつくり会計をした。俺も、財布からお札を出して何枚か渡した気がする。すでに視界が回っている状態で近くの店に入り、水を貰ったりなどして少し落ち着いたため飲み直し、気づけば外が明るくなりかけていた。

来たときと同じ細い路地を通って看板をくぐり、人気のない道を歩いていると、熊男が突然「手ぇ繋ごう」と言って俺の左手を取った。
熊男の手のひらは堅いパンみたいに弾力があり柔らかくて、あったかくて、自分がまだとても小さかった頃、父親と手を繋いで公園から帰る途中の景色をぼんやりと思い出した。
靄のかかった頭の片隅で、このまま抱き寄せられてキスとかされたら嫌だなと考えたけれど、そんな展開は起こらず、駅に入る前に熊男はそっと手を離し「じゃあね、その、またなんかあったら連絡してぇ」と言って、のそのそと体を揺らしながら階段を降りて行った。

乗り換えの駅や最寄り駅のトイレに駆け込み、なんとか家のトイレにたどり着いてからも俺は吐きまくり、もう出すものなどないのに嗚咽が止まらず、喉が切れて痛かった。

一体自分は、なにをしているんだろうと思った。半日以上も工具を握らず過ごしたのは、いつぶりだろう。

障子の前で大の字に寝転がると、赤いまぶたの裏で、畳に散らばった大量のおがくずが揺れた。


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