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読めました!遅くなりました!『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー2』【読書レビュ】
ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー2
ブレイディみかこ 著
2021年 9月の本
読めました! 遅くなりました。 すぐに2度読みしてよかった。2度読み目には章の頭のイラストもナルホドと思ってみることが出来ました。
ブレイディみかこさんは、「ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー」で昨年ほんとにどっぷりはまって、それから一気に「推し」なライターさんになって、ほとんどの本をオトナ買いして読んできたぐらい大好きです。 だからこそ、2が出たところで早く読みたかったのに遅くなってしまいました。
しかしながら一回目に読んだ時は、本当に正直に言うと、最近ブレイディみかこさんのほかの本をよく読んできたことから、「ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー」の書きっぷりって、こんな感じでしたっけ?という自分なりの違和感というか受け取り方を感じてました。
もう少し踏み込んで分解すると、その後読み重ねてきた本だとすると、格差社会への提言だったり主張だったり、「他者の靴を履く」の話だったり、アナーキックエンパシーの話だったり、コロナ禍での話であったりで、そういうブレイディみかこさん観点での書籍を読み重ねてきたからだ、ということは2回目後半に改めて気づいた、という気がします。
というのも、2度読みすると、改めて気づくのですが、この本の主人公は、あくまで13歳のティーンのぼく、なんです。 彼の目線なんです。 徹底的に他者の靴を履くことができる、感受性豊かな、エンパシー檄高な、インクルージョンな、ぼく、なんです。
前作からさらにシティズンシップ教育が進んでいたり、日本との違いがよりはっきりしてきて(とくに人種間や経済格差的多様性)、日本での状況にさらに危機感を抱いたりもします。 前回も思いましたが、エッセイの一つ一つの章の「結」のところで主要メッセージやオチを持ってこられ、そこまでの導線のリズミカルなところとか、やっぱり好きです。 ぜひ多くの方に読んでもらいたい。
以下、思いっきりネタバレ引用なので、買って読みたい人は、ここでこの投稿から離れるほうがいいかもです。(ただし、「スキ」ボタンなどのリアクションはしてくれると、うれしいです) 文字数は多いですが、テンポがすごくよいので、お付き合いいただければ幸いです。
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P30
「こういう問題はさ、あれに似てるよね。母ちゃんが日本人だって言ったら、たまに胸の前で手を合わせてお辞儀する人いるじゃん。でも、日本人が誰かに会ったとき、あんな挨拶をする習慣なんてないよね。ただ彼らには日本人はああいう風にするっていう、ぼんやりしたイメージがあるんだ」
「間違ったイメージだよね」
「でも、いちいち『間違ってますよ』って説明するのも面倒くさいし、彼らは彼らでこちらに親しみを示すためにやってるんだろうなって思うから、母ちゃんなんかはそのまま笑って流す」
「母ちゃんは確かにそうだよね」
「でもそれは母ちゃんが、この人たちの日本への理解はこの程度だって諦めているからとも言える。 でも、諦めない人たちもいるんだよ。あなたたちが本当に多様性や寛容さを大切にするのなら、ヒジャブとか手を合わせてお辞儀をするとかで終わるんじゃなくて、その先に進んでくださいって。 本当に日本の人は手を合わせてお辞儀しているのかとか、なぜムスリムの女性たちはヒジャブを被っているのかとか、その先にあるものをちゃんと考えてくださいってね」
テーブルに頬上をついた息子が、しみじみと言った。
「よく考えることって大事なんだね」
「うん。まあ簡単に言えば、そういうこと」
「誰かのことをよく考えるっていうのは、その人をリスペクトしているってことだもんね」
という息子の言葉を聞いて、なるほどなと思った。
息子さんとのやりとりはもちろん英語なんだけれど、この リスペクトしているってことだもんね は、なんというかニュアンス含めてすごく伝わってきた。 リスペクト というカタカナがいい。
P41
「みんな上手だった。みんなで一緒に練習して、みんなでベストを尽くしたからいい演奏になったんだ。あの子はみんなの中の1人に過ぎない」
ターバンの女性はきっぱりとそう言い、満面の笑みを浮かべて廊下の向こう側に手を振った。
白い花びらみたいなフリルのブラウスを着た少女が、数人のコーラス隊の女子たちと楽しそうに喋りながら控え室から出て来たからだ。
あの子はみんなの中の1人。
それは謙遜の言葉ではなく、ターバンの女性にとってとても重要な言葉なのかもしれないと思った。彼女たちも、長い時間はかかったが、ここまで来たのだ。
ここだけ抜粋すると、内容はほとんど伝わらないと思いますが、2度読みしてグッときたシーン。転校してきたが学校にほとんど来られなくなった後、音楽の力で立ち直った少女が、真の意味でみんなの中の1人になるシーン。深い、という感動を与えてくださいました。
P48
「『俺のようになるな』って、そういうことを子どもに言わなくちゃいけない父ちゃんの気持ちを考えると、なんか涙が出てきちゃって…」
「…父ちゃんが、かわいそうになっちゃった?」
「いや、かわいそうっていうか、そういうんじゃない。 ただなんか、あのシチュエーションは悲しかった。言ってる父ちゃんも、言われてる僕も、悲しい」
「労働者階級のもののあわれ」みたいな感覚がこの年齢でもわかっているんだなと思った。ティーンの頃のわたしは、その覇気のなさっていうか辛気臭さがどうにも嫌で、反抗することか脱出することしか考えてなかったが、息子は違う感性を持っているのだ。
エンパシー強烈な息子さんの発言、ブレイディみかこさんに影響を受け、「貧困の連鎖」「格差社会」などの情報の勉強をしはじめているが、『俺のようになるな』の件は、日本では真逆のような印象で、勉強なんかしたってよい会社に入られると決まったわけでもないし、よい会社がすぐ潰れるような時代だよね、という発言を聞くような気がする。 しかしながら、この本であったような、スタートアップのための教育や、各政党のマニフェストを勉強して議論したり、という教育が日本でも施されていくことを祈念したい。
P77
「リーダーの資質」について、息子は「LEAD BY EXAMPLE」という言葉を挙げ、「言葉だけで指示するのではなく、自分がまずやって見せることが大事」と書いている。そういう風なことを面接で答えたと、東京でフェイスタイムをしていたときに聞いていたので、ふーんと思いながら目を走らせていると、もう一つ回答が書かれていた。
「導く(LEAD)ということは、前から引っ張るということだけではなく、ときには一番後ろに立ち、後部が離れてしまわないように押し上げる(PUSH UP)こと」
わたしの耳には、懐かしい人の澄んだ水のように低く静かな声が聞こえていた。
これはわたしの保育の師匠、アニーがよく言っていた言葉だ。
だからわたしもその言葉を息子に言ったことがあったのか、あるいは、むかし底辺託児所でアニーが息子の面倒を見ていたときに言っていたのか、それはわからない。
わからないが、彼女の言葉は息子の中に生きていた。いまはなき託児所の設立理念がそこに通っていた子どもに引き継がれ、いまも息をしている。
教育とは、教え導くことではなく授けることであり、授けられ、そして委ねられることなのかもしれないと思った。
ここも印象に残ったシーン。 僕もラグビースクールのコーチに携わっており、教育に関連しているといってもいい。授けられ、委ねられる、深い概念だなぁと感じました。
P95
GCSEなんて僕には関係ないというティムの、GCSE準備や習い事で忙しくしているメンバーたちとは「違う」ティムの、家に帰ったら鬱の母親が寝ているティムの、その気持ちを息子は考えてしまったのではないだろうか。だから、ほかのメンバーたちに突っかかって行くティムを1人にはしておけなかったのではないだろうか。
ぼく、は、本当に心優しい子なんだなと思って涙流れそうになりました。ここだけ抜粋しても、何が言いたいのか、わかんないですよね。 しかしながら、もし本を読んでいただいた方がこのシーンを見つけたら、オオハシが共感していた、と思いだしてくれたらうれしいです。(すみません長くなってきましたが、あと4つです)
P145
「避難所にいるほかの人たちとか、そこで働いている人たちは、みんなホームレスの人を受け入れたくないはずだと考えたから、追い返したんじゃないかな。ライフ・スキルズの授業で、先生が『社会とは、早い話が、あるコミュニティの中で共に生活している人々の集団』って言っていた。だとしたら、ホームレスを追い返した人は、避難所という社会を信じていない」
「…」
社会を信じる(ビリーブ)と息子は言ったが、それは社会に対する信頼(トラスト)と言い換えることもできる。
これはより大きなスケールでの「社会」にも拡大できると思った。ホームレスの人を受け入れなかった避難所は、メディアや一般の人々からも激しく非難されることになった。そうなることを予見できなかった避難所の職員は、社会を見誤っていた、というか、見くびっていたのだ。
逆にその職員が、社会の人々も自分と同じように感じるはずだと信じることができれば、社会には必ず自分の決断を後押しする人々もいると信じることさえできれば、たとえ規則や慣習がどうなっていようとも、現場や個人の判断で誰かの命を守ることはできるはずなのである。
「社会を信じること、か…。 そのテーマ、スピーチのテストには大きすぎる」
ここもかなりズドーンときたシーンでして、私も小さなころのトラウマがあるので、ホームレスの方を寛容に受け止めることは躊躇してしまうタイプです。 『何とかならない時代の幸福論』の中でも書かれていた、鴻上さんの「『世間』と『社会』」の考え方 の件が関わってくるなぁと感じました。
P147
「そこまで大きなテーマを選んだんだったら、もう点数なんてどうでもいいよ。すごく難しいことは、バシッと言い切れる結論にはならない。何かを言い切ったほうがエンターテイニングだけど、わからないって正直に終わるのリアルでいい」
いつの間にか物書きの立場から真剣に喋っている自分にハッとしたが、こんなことを息子と話せるようになるとは思わなかったのでしみじみと彼の顔を見た(そして、執筆の役にも立つんじゃないかと思って、スピーチ文の構成に関するプリントをコピーさせてもらったのは言うまでもない)
P145からの続きなんだけれど、長くなり過ぎたので、最後のオチの部分だけの抜粋です。 みかこさんらしい記述。
P178
ポップ・ミュージックやロックはもはやミドルクラスの音楽になった、と言われるようになって久しい。子どもに楽器を買ったり、習わせたりするにはお金がかかる。スポーツだって、サッカーやラグビーや水泳を子どもの頃から教室に通わせて習わせるお金のある家の子が上手になる。音楽だって同じことだ。
ティムが音楽部をやめたのは、もちろん楽器ができないせいもあったろうし、女子ばかりのコーラス隊に参加したくなかったのもあるだろう。でも、それ以外の理由もあったのではないか。きっと彼は、この「総中流」みたいな感じがする、いまの音楽部には馴染めなかったのではないか。
ティムとの関わり、ティムの靴を履いてみる、ということができている「ぼく」の心の寄り添いに感動しての抜粋です。
P203
「『なんで君みたいな、いい小学校に行った子がここに来てるんだ』って教室で言う子がいると、ああ僕は大きな間違いを犯しちゃったのかなと思うし、音楽部でバンドの練習をしているときとかは、カトリックの学校じゃこれはできなかったなと思う。どっちが正しかったのかはわからないよ。僕の身に起きることは毎日変わるし、僕の気持ちも毎日変わる」
「…」
「でも、ライフって、そんなものでしょ。後悔する日もあったり、後悔しない日もあったり、その繰り返しが続いていくことじゃないの?」
人生、という日本語に訳したくないぐらい、13歳の息子が「ライフ」なんて言うのは時期尚早過ぎるのだったが、こういう言葉が出てくるぐらい、きっといま、私の知らないところで息子の「ライフ」はいろいろ動いているんだろうなと思った。
エッセイの最後を締めくくるシーン。 息子さんが育って「ライフ」を受け入れ、模索しながら日々判断し、生きて行っているメッセージが伝わってくる。 個人的なことを書くと、自分もいろいろ考えたあげくに「今その瞬間を100%」という価値観につながっていることもあって、ライフって、そんなものでしょ という言葉に、自分が2004年に手帳に書いた下記文言が染みわたってきた。
先のことはよくわからないのだから、目の前の一歩をその時その時の状況と感覚で判断しよう。その一歩には100%でとりくもう。悔いのない様に、今を生きる。
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ここまで読んでいただき本当にありがとうございました。最後は自分のポリシーにしている一部を紹介してみました。 改めてブレイディみかこさんに感謝です。 いつものブクログレビューで〆たいと思います。2021年9月発売本なのに、もう本棚登録2000人以上、すごいね。
(さて、本日10月1日は「護られなかった者たちへ」のスタート日。10時からの開演に行ってきます!!)