連用日記という地層
子どものころ憧れていたものの一つに、連用日記があった。
母が持っていた皮っぽい表紙の分厚い連用日記が、まるで魔法使いが持っている巨大な魔導書のような重厚な存在感を放っていたのだ。
すごいのは見た目だけではない。
「去年の今日もカレーだったみたいよ」
「一昨年の今日は、おばあちゃんちで花火したんだって」
母は流れるような文字でぎっちりと日々の出来事が綴られた日記帳を開き、過去のその日に私たち家族に何が起きたのかを読み上げた。
母の連用日記は5年タイプで、縦軸が年、横軸が日付となっている。日記を書くときに、必然的に5年分の〇月〇日が目に入るのだ。
日記を書きながら「わぁ、三年前の今日はあなたにとって超ラッキーデー!何かわかる?」と占い師のように過去を振り返る母が羨ましくて、私も大人になったら自分の連用日記を持とうとひそかに心に誓った。
そこから時は流れ、2021年。
私はようやく連用日記を書き始めた。
当時26歳。知らない間に、とっくに大人になっていた。
連用日記に踏み切るのが出遅れたのは、大学ノートに綴る日記の気ままさが大きかったからだ。
たくさん書くことがあった日は2~3枚かけてこってり綴り、書くことがない日は数行で済ませる。
そんな自由な使い方が許されたノートの居心地のよさは、どうにも捨てがたかったのだ。
そんなある日実家に帰ると、母がいつものように嬉々として連用日記を読み上げてきた。
それを聞いているうちに「いま買わないと、私はいつまで経っても大人の自覚が持てないのではないか」「大学ノートから、Campusから、いいかげん卒業したほうがいいのではないか」という焦りがにわかにこみ上げて、実家からの帰りに慌てて書店で連用日記を買った。
最初は割り当てられている「一日分の文量」の少なさに戸惑った。込められる情報量があまりにも少なすぎる。けれど書いていくうちに慣れるもので、だんだんとちょうどいい感覚がつかめるようになっていった。
連用日記を始めてから、あらためて母の「〇年前の今日」を注意深く聞くと、彼女と私の日記の書き方はずいぶんと異なっているようだった。
母は家族の話にまんべんなく触れたいタイプで、「私(母)は集会に出たあとピアノのレッスンへ、るるは嬉しげに授業へ。弟1は深夜まで起きていたようだ、弟2は部活で18時に帰宅、足が臭い。父、風呂をサボって臭い!」などと一息に書かれている日が多い。それにしても我が家、悪臭すぎる。
一方私は、その日一番心動かされたことに重点をおきたいタイプであるらしい。
母に「◯年の◯月◯日、あなた嬉しげに大学行ったみたいだけど、なんでだっけ?」と問われて自分の日記を開くと、「ルイス先生の授業!今日もおでこのシワがチャーミング♡学生に“好きなものはなんですか?”と尋ねられ、好きなmono(猿)の種類を聞かれたんだと勘違いして、一生懸命考えて“チンパンジー”と答えたんだそう。日本語難しねぇ〜、と言っていた、かわいい」と詳細に喜んでいた。その日に出席していたはずの他の授業やバイトには一切触れずに。
自由に使える行数はたった5行しかないのに、ベランダで育てていたゴーヤに花が咲いた喜びに4行費やした挙句、最後の一行が「社長、なんか超どうでもいいことでクソキレてる、どした?」だった日もあった。
当時の私の重要度は、
ゴーヤの開花 >>>>>>> 社長ぶち切れ
だったのだろう。
そこからさらに時は流れ、2024年。連用日記を始めて4年目に入った。
母同様、日記を書くときに前の年、その前の年の日記に目を通すことがいつの間にか習慣と化していた。
目を通すたび、書いているときには一本の長い長い道の一部分のように見えていた一日が、実際には次の年にはすでにまったく遠い過去の話になっていることに軽く驚く。
道というより、層の感覚。
去年の私と今年の私は、違う時代を生きている。
2021年の私はぬか漬けを食べて踊り、2022年の私は夫との同棲に浮かれ、2023年の私は図書館司書の必修科目の教科書の奔放すぎる文章に頭を掻きむしり、2024年の私は新しい職場の先輩のかわいさに悶えている。
住んでいる場所も、家族構成も、一緒に働いている人も違う。
その一方で、変わらないものもある。
「去年の今日もニラ炒めなんだ」「三年前もぬかきゅうに狂喜してら」とニヤついたり、「毎年この時期は『ムーミン谷の冬』を読みたい衝動に駆られるんだなぁ……」と例年の傾向に苦笑したり。
どんな環境や人間関係のなかにあっても自分の「好き」を最優先にするさまに、いやもうちょい周りに気を遣ってもいいんじゃないか?とヒヤヒヤしながらも、たぶんこれはこれからも変わらないんだろうなと諦めたり。
毎日、地層の断面を眺めるような気持ちで〇年前の自分の生活を読み、来年には地層の一部になる「今日」の話を書く。
悲しいことも嬉しいことも、永遠には続かない。
「どうせ来年には思い出せないんだから、この感情をちゃんと味わっておこう」と噛みしめる日もあれば、「とりあえず吐き出すだけ吐き出しておいて、来年の私が笑っていることを祈ろう」と勢い任せに書き殴ってしまう日もある。
そういえば実家に住んでいたころ、落ち込む私に母はよくこう言っていた。
「いまはそんなにへこんでるけど、どうせ来年は笑ってるよ」と。
そう言われたときには「とか言って来年もへこんでたらどうするんじゃい」とむくれていたけれど、実際にはその翌年には、まったくへこんでいなかった。というか、そんなことがあったことすら、綺麗さっぱり忘れていた。
連用日記で地層を積み重ねた者たちは、ひょっとしたらみな同じ境地に至るのかもしれない。
【追記】
とき子さんの日記もアップされました☆
歴代の日記や日記に添えられたイラスト等々、とき子ファン歓喜の作品です♪