【小説】栃栗毛のペガサス
事の発端は、狸とアマビエの喧嘩だった。
狸は最近アマビエがやっている動画サイトに度々出演し、人気ボーカロイドやアニメのキャラクターに化けてさまざまな歌を歌っていた。
その声の野太さと音痴な歌声に「見た目とのギャップがウケる」と固定のファンがついたが、次第に飽きられてしまうであろうことをアマビエは見越しているらしい。
「おめえもそろそろさ、なんか新しいことやろうよ。このまんまじゃ飽きられちまうから、有名な妖怪とコラボするとかさぁ」
そうアマビエが勧めると、狸は憤然と冬毛を逆立てた。
「ふん。おれっちの何が悪いってんだい。今だって“この下手さがクセになって毎日聴いちゃう”なんてべらぼうな美女がコメントくれたっぺよ」
「いやおめえ、それはアイコンが美女なだけで実物はどうせおっさんだろ。ともかく、視聴率やチャンネル登録者は増やし続けなきゃ意味ないの。増やすためには目新しいことやんなきゃなんないの。わかるだろ?」
オミクロンなんて変な名前の変異株が流行り出した途端、アマビエはこの疫病を鎮めることを諦めた。
そしてそれまでの預言者めいた動画配信をやめ、エンタメ色を強めた動画へと方向転換を図った。
別に私は彼のやることに関心はないのだけれど、この静かな所沢の森でピーチクパーチク騒がれるのは迷惑だ。
川越あたりまで散歩に行こうと軽く翼を震わせて彼らの後ろを通ろうとしたら、「よう、グリフィン!」とアマビエに呼び止められた。
「なんだ」
「おめえさんの周りにさ、誰かいねえかな。視聴率を稼げそうな大物妖怪!」
「……私に友だちはいない」
もう何度も奴に説明したセリフを繰り返す。自分で口に出すとけっこう傷つくから、もう言わせないでほしい。
「あー、ごめん!そういや、いつもそう言ってたっけ!」
毎度おめでたいほどにそれを忘れてしまうアマビエは、今回も悪びれることなくあっけらかんと謝った。
だからここを通してくれ、と続けようとしたら「じゃあ親兄弟は?ていうかグリフィンの家族ってどんな感じなん?」とアマビエが追いすがってきた。
本当に困っているらしい。
「弟が、ペガサスだ」
今にも泣き出しそうに鼻の穴を膨らませた奴の顔を見ていたら、ついそう、答えてしまった。
「「ペガサス!!!」」
アマビエと狸が声を揃えて驚く。
「でもたぶん、お前らが思ってる感じじゃないぞ」
「いいよいいよ!ペガサス会いたい!!めっちゃコラボしたい〜!」
私の心配をよそに、アマビエはウキウキと話を進めようとする。
「どこ住んでんの?」
「生まれはアグィーラだが、ギリシャの森に引っ越したと聞いた」
「へえ。グリフィンみたいに隠居生活かな」
「うるさいな。どうせ乗せていけと言うのだろう」
「もちろん。何時間で行ける?」
すると、それまで黙っていた狸が口を開いた。
「おれっちは行かないよ。明後日、うさぎとデートだから」
……うさぎと、デート。
「死ぬなよ」と言うと、「ひひひ、心配性だなぁ」と狸は笑った。
かくして私はやたらと大荷物なアマビエを乗せて、ギリシャへと羽ばたいた。
彼の棲む森に来るのは初めてだ。
「おおお!いかにもな森じゃん!映える〜!」
さっそくスマホで動画を撮り出すアマビエにため息をついていたら、背後から高いいななきが聞こえた。
次の瞬間突風が巻き起こり、力強い翼の音が響く。
弟のお出ましだ。
「兄貴兄貴!久しぶりだね!遊びに来てくれて嬉しいよ!」
私と少し歳が離れていることもあってか、ペガサスは人懐こく辺りを跳ね回った。
「兄貴兄貴!おいしいヨーグルトとおいしいにんじん、どっちがいい?どっちもあるよ!」
「お前なぁ。私はライオンの身体だから、野菜は食べないんだよ」
「そうだっけ?ごめんごめん!じゃあヨーグルトだね!乳製品だし、とにかくとってもおいしいんだ!」
ふと弟の登場からアマビエが一言も発していないことに気がついた。
「どうした」と声をかけると、案の定奴はいかにも残念そうに「栃栗毛だ……」と呟いた。
ペガサスというと、どうしてもみな白馬をイメージするらしい。
昔から弟は「ペガサスなのに茶色なんだ」と不躾な視線を浴びせられてきた。
「お前は誰よりも速く空を駆けるし、誰よりも力強く羽ばたいているじゃないか。なにも気に病むことはない」
そう声をかけたら彼は「そうだね」と笑顔を見せ、以降何を言われても気にしない素振りを貫いていたけれど。
内心どう思っているのか、私にはわからなかった。
「やっぱりみんな、ペガサスといえば白だよねえ」
弟はアマビエの呟きに軽やかに答えると、「よかったら白馬のペガサスの友だちがいるから、紹介しようか」と言った。
「いいんすか!?」
アマビエの目が一気に輝く。
「うん。でもその子は北欧に住んでいるから、ここから少し遠いんだ。少し休んでから行こう」
みなでお茶を飲んだあと、出発準備をする。
日中の気温がマイナスになる日もあるからと弟に言われ、アマビエが慌てて厚手のコートを羽織る。
道を知っている弟が前を飛び、その後ろを私がアマビエを乗せて飛ぶことにした。
「じゃあ行こうか、兄貴」
「うむ」
ともに後脚で強く地面を蹴って、翼を広げる。風を捉えてその流れに身をまかせると、前を飛んでいる弟が振り返って笑った。
「誰かと一緒に飛ぶのは久しぶりだ」
「私もだ」
「楽しいな」
弟は前に向き直り、そのままチェコの上を滑らかに通り過ぎる。
いよいよ北欧に入って街並みを眺めながら飛んでいたら、ふいに弟が速度を落とした。
「どうした?」と問うと、「兄貴、あれ」と彼は一角を顎でしゃくった。
指された方に目を凝らすと、カゴいっぱいにマッチを持った一人の少女が通行人に売ろうとして断られているところだった。
「あんなに薄着で、よく街に立てるな」
思わず呟くと、「このままじゃあの子は死んでしまうよ」と弟は高度を下げた。
「お嬢さん、早くこれを着て」
私から滑り降りたアマビエが、それまで自分が着ていたコートを手渡す。
震える手でそれを受け取ったその子は、ぼんやりとした顔つきのまま袖に手を通した。
長時間立っていたのだろう、手袋をしていない両手は寒さで紫色になっている。
「このマッチ、ちょっと借りるね」
地面に置かれたカゴを器用に持ち上げた弟は素早く前脚で辺りの枝をかき集めると、歯で挟んだマッチを一本擦って、枝に火をつけた。
パチパチと枝が燃え上がり、周囲が一気に暖かくなる。
突然上がった炎にそれまで俯いて家路を急いでいた通行人がハッと足を止め、炎の周りにいるペガサスと私、アマビエと少女へと順に目を留める。
「マッチなんて時代遅れだとお思いのみなさん、どうです?クリスマスくらい、本物の火にあたりませんか?」
すかさず商魂たくましいアマビエが声を張る。
その声につられて、よろよろと通行人たちが近づいてきた。
彼らはそれぞれの手に銅貨や銀貨、金貨を握りしめていたけれど、私たちはマッチの値段がよくわからなかったのでただただそれを受け取り、マッチを渡した。
一人の老婦人が私と弟を見て、
「あなたたち、見るからにあたたかそうな素敵な色ね!ちょっと触っていいかしら」
と微笑んだ。
「もちろん」
私たちは顔を見合わせて、少し笑った。
道路の火が収まっていくとともに、人の賑わいも静まっていった。
かなり売ったつもりだったが、カゴを覗き込むとマッチはまだ半分ほど残っていた。
「なんだ、まだこんなにあるのか」
「もともとの人通りが少ないからだよ。今度はもっと大通りに行こうか」
弟の言葉に頷いて私たちが歩き出そうとしたら、それまで寒そうにコートに包まってベンチに座っていた少女が口を開いた。
「もう一本だけ、擦っていいですか?」
「もちろん。もともとはあなたのものですし」
弟から一箱受け取った彼女がマッチを擦ると、炎から不思議な光景が立ち上った。
それは、暖炉のある暖かそうな部屋だった。丸いテーブルには七面鳥やケーキがところ狭しと並び、その横にはこれでもかとばかりに飾り立てられたクリスマスツリーが立っている。
「なんだいこれは?」
みんなを代表して、アマビエが言った。
「……たぶん、私の願望が幻影となって現れたのでしょう。これまで私が想像していた通りだもの。きっと神様からのプレゼントだわ」
彼女は驚きながらも神の力とすることで自分を納得させたらしい。
マッチの火が消えると、その暖かな幻影も溶けるように消えた。
彼女は次に、一気に二本火をつけた。
最初の時よりも部屋を映す面積が広くなった。まるで自分もこの部屋にいるかのような、くつろいだ気持ちになってくる。
幻影を見て少し元気が出たのか、彼女は自分の境遇を話し始めた。
マッチ職人の父親は、時代の波に置いていかれたことに気づいていながらも転職しようとはせず、日中はマッチ作り、夜は酒を飲んでばかりいること。
彼女にマッチを売り切るまでは家に帰るなと命じていること。
たとえ今日売り切ったとしても、彼女の家には今見たようなご馳走を囲む経済的なゆとりはなく、これからもずっとマッチを売り続けなくてはならないこと。
彼女の話から、自分たちの助太刀は焼け石に水だったのだと知った。
今日売り切っても明日がくる。明日売り切っても明後日がくる。
彼女の地獄は終わらないのだ。
「このマッチなら、もっと売れるんじゃないかな」
それまでじっと黙り込んでいたアマビエが、ゆっくりと言った。
「だって火をつけたら望んだものが映るんだぜ?妖怪だってびっくりな目玉商品だろ」
「でもさ、ちょっと待ってよ」
興奮し出すアマビエに、弟が口を挟んだ。
「僕が燃やした時には何も出てこなかったよ」
「ペガサスは火をつける時、何かほしいものあったのか?」
「ううん。つい最近までは兄貴に会いたいなぁと思ってたけど、そう思った矢先に君を乗せて来てくれたから」
「薄々気づいてたけど、お前かなりブラコンだよな。だから映らなかったのか」
私たちはそれを確かめるべく、ポケットに手を突っ込んで早足で歩いてきた男にマッチを擦ってもらうよう頼んだ。
怪訝な顔をしながらもマッチを擦った彼は、途端に相好を崩した。
「おおお!!猫だ!俺の家にふわふわの子猫が!!かわいいなぁ!にゃ〜〜ん。こっちおいで、にゃ〜〜〜ん」
「よかったな、ほしいものがある人には効くみたいだ」
アマビエは腕組みしてそう呟くと、スマホ用の三脚を立てた。
「どうするんだ?」と聞くと、「動画に撮って世界中に売りさばく。マッチ自体は時代遅れかもしれないけれど、いつの世も人は持ちきれないほどの欲望を持っている」
「さすが、江戸時代から市井にいる妖怪は言うことが違うな」
「よせやい。照れるじゃないか」
録画ボタンを押したアマビエは、いつも通り声を張った。
「やあやあみなさん、“アマビエの部屋”の時間だよ〜!今日はなんと、デンマークに来ています!そして今、すっごいものを見つけちゃったんですよ!」
アマビエは少女に手招きすると、マッチを画面に映すように促した。
「そうそう、この子の持っているこのマッチ。これは実はただのマッチじゃあないんです。シュッとひと擦りすると、あら不思議……」
アマビエのジェスチャー通り彼女が擦ると、マッチの先から幻影が揺らめき出す。
「ほらみなさん、これ見えてます?この子がほしいと思ってる、あったか〜いお部屋とご馳走が今映ってるんですけど。
このマッチはすごくてね、擦った人がほしいと思っているものを映し出してくれるんですよ。すごくないですか?
そして僕の一番のアピールポイントとしては、火が消えるとみなさんのほしいものも消えるところですね。
断捨離やミニマリストが流行っているとはいえ、なかなか好きなものを捨ててしまうのは惜しいことでしょう。
ところがこのマッチがあれば、場所がなくてもお金がなくても大丈夫なんです。
幻影だから場所も取らず、好きな時に好きなだけお楽しみいただけます!」
アマビエの熱弁は、そのままさらにヒートアップしていく。
「この不思議なマッチはなんとこの子のお父さんが作っているんですって。今どき珍しいですよねぇ。
この道ウン十年のお父さんが作った魔法のマッチ、“アマビエの部屋”が通販いたします!
このチャンネルをご覧いただいた方で10箱ご注文いただいた方には、特別にもう一箱プレゼント!」
おいおい。勝手に調子のいいこと言ってるけど、あれでいいのか?
小声で少女に問うと、彼女は嬉しそうに頷いた。なら、いいか。
アマビエがその場で動画を投稿すると、さっそく「なにそれほしい!」「10箱お願いしまーす!ペガサス便希望♡」とコメントが入った。
「ええっ、僕が運ぶの!?」と弟が叫び、少女が初めてくすりと笑った。
アマビエと少女を背に乗せた私たちは街を駆け、彼女の家の戸を叩いた。
しばらく待つと、無精髭が伸び放題の小汚い男が小さく戸を開いた。
「なんなんだあんたら。こすぷれか?」
そう訝しげに問うた男に、アマビエが簡潔にマッチの販売代行を説明する。
「なんだいそれは。そんな怪しい取引、絶対に裏があるに決まってる」
「そりゃこちらもボランティアじゃないんで、売り上げの何パーセントかはいただきますけど。でも販売地域を増やすという意味で、けっこういいご提案なんじゃないかと思いますよ」
怪しむ男にアマビエは動画のコメント欄を見せた。
「ほら親父さんのマッチ、みんなほしいって」
目をすがめてスマホを凝視していた男が、ふいに「そういやあいつはどこだ!?ちゃんとマッチ売ってんだろうな!」と叫んだ。
「この人たちに売ってもらおうよ。さっき街で売ってくれた時、すごかった」
おずおずと後ろから出てきた少女は、きっぱりと父親にそう言った。
「ふん、こんな妙な奴らにほだされおって」
男が鼻を鳴らすと、「これ、この人たちが売ってくれた分」と彼女はカゴに入れていた売り上げを掲げた。
その中に何枚もの金貨や銀貨を見つけた男は、急に目を輝かせた。
「すごいな、これを全部あんたたちが?」
「そうだ。もし俺と手を組むなら、これ以上に儲かるぞ」
アマビエがそう畳み掛けると、男は「ぜひ頼む!」と頭を下げた。
「ところで、今日のこの売り上げは……?」
物欲しげに尋ねた男に、アマビエはにやりと笑った。
「この子の願いを叶えるために使う」
父親を加えた私たちは再び街を駆け回り、暖炉にくべる薪を買い、モミの木を切り、ケーキ屋と肉屋に駆け込んだ。
男たちの家に戻ってそれらを並べると、少女のイメージしていたクリスマスにやや近づいたような気がした。
歓声を上げる二人とともに、私たちはそれらを囲んだ。
外まで見送りに出てきた二人を見て、弟が口を開いた。
「僕たちはなるべく頻繁に仕入れに来る。その時この子がまた気の毒な暮らしをしていたら、許さないからね」
静かだが力がこもった声に、父親はブンブン頷いた。
大量のマッチをリュックに詰めたアマビエを乗せて、私は弟と同時に地面を蹴った。
大きく手を振る父娘が、みるみる遠くなっていく。
「そういえば、メリークリスマスを言い忘れてしまったな」
彼らの姿がすっかり見えなくなってから気がついた。
「うお、ほんとだ。メリークリスマス!!」とアマビエが大声で叫ぶ。
すると後ろから「メリークリスマス!!」と声がやまびこのように返ってきて、巨大なそりがびゅうと私たちの頭上を過ぎ去っていった。
「なんだ今の……?」
「サンタクロースじゃないかな?初めて見たけど」
アマビエの問いに、弟が答える。
動画を撮っておけばよかったと悔しがるアマビエに、「そういえば白いペガサスの件はいいのか?」と聞いた。
「ああ、そういえばそれが目的だったな」と思い出したように奴は言い、「でもなんだかんだ動画は撮れたし、なんかお金になりそうな展開だし。今回はもういいや」と結んだ。
「そういや、栃栗毛のペガサスが素敵ってさっきからコメント欄が盛り上がっているんだ。俺はおもしろいとは言われても素敵って言われたことはないのに!」
少し悔しそうなアマビエの声に、弟の朗らかな笑い声が重なった。
* * *
最後までお読みいただきありがとうございました。
こちらは今年の夏に開催された橘鶫さんのコンテスト【グリフィンの物語】への応募作品『所沢のグリフィン』の続編となります。
リクエストして鶫さんに描いていただいたペガサス。
いただいた瞬間から「彼が登場する物語を書こう!」とは思っていたものの、わたわたしている間にクリスマス間近になってしまっておりました。
相変わらず商魂たくましいアマビエに振り回されるグリフィンが、なんだか気の毒でなりません。ピリカグランプリのお題を見て「おっ!もしかしてこの話提出できるんじゃ……?」とアマビエのごとくがめついことを考えたのですが、字数はぶっちぎりの6400字。どう見てもショートショートじゃないじゃん。これまで書いたエッセイも含め、たぶん一編の長さとしては最長です。ひい。
そんなちょっと長めのクリスマスの物語、お読みいただき本当にありがとうございます。
そして物語を生み出すきっかけをくださった橘鶫さんに、あらためて心から感謝申し上げます。
ちょっち早いですが、メリークリスマス!!
↓ 【グリフィンの物語】表彰式
始祖鳥、ペガサス、「壱貫亨治さん+風来詩を鳥の姿に」等々……。受賞者からのリクエストが多様すぎるにもかかわらず、全部素晴らしく描けちゃう鶫さんがひたすらにすごい。
↓ 本作の前日譚?にあたる『所沢のグリフィン』。グリフィンが安住できる地を探していたら、所沢に行き着きました。