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私の師匠はゴーヤ推し

私は今、全力でゴーヤを推したい。
よっしゃ、今年こそはゴーヤ育てたるでぇ!」と奮い立ったきっかけは、偽本文学編作品「ゴーヤいじり」である。

偽本文学編no.72「ゴーヤいじり」
ゴーヤづくりの名人比嘉高安の隣家にこの世ならぬ妖艶な女と亭主が越してきた。体を洗う美女の誘惑、立ちこめる獣の気配。「それは宮古馬かマングースさあ」明らかに怪しい状況にもゴーヤにしか興味のない高安はまったく動じない。

見てくださいなゴーヤづくりの名人、比嘉高安のこのつぶらな瞳。そして周囲の無頓着度合いからも窺える、ゴーヤへのひたむきな愛。

それにしても、体を洗う妖艶な女や獣の気配って、どっかで読んだ気がするなぁ……。
「ゴーヤいじり」「ゴーヤいじり」としばらく口の中で転がして気がついた。

泉鏡花の『高野聖』だ。
そんな感じで名著のタイトルをもじって切り絵にしちゃうこの偽本シリーズが、私はとても好きでして。

他の作品も気になる方は、ぜひきりえや高木亮さんのホームページを見てほしい。
とにかくかわいいんですよ。
名著パロディもウケるけど、猫好きうさぎ好き獏好きには特に響くはず。

記憶を遡ると、一番最初の高木作品との出会いは大学生協に置かれていた猫のポストカードだった。
去年の夏、大型書店での「偽本まつり」で初めて「猫のきりえやさん」が「偽本の作り手」でもあることを知った。

見覚えのある愛くるしい猫のポストカードと『罪と獏』や『長靴をかいだ猫』を見比べた挙句、「やばい超ウケる好き!」という思いが暴発して家族と自分と友だち用にブックカバーやポストカードを大量に買い込んで帰った。

それ以来、時折Twitterをチェックし過去作や新作を見てニヤニヤしていたのだけれど。
まさかブックカバーの影響でゴーヤを育てることになるとは思ってもみなかった。

高安効果でいつしか「涼を求めるならゴーヤでグリーンカーテン。育てるなら、全力で愛すべし」と刷り込まれていた私は、5月終盤に苗を探して近隣をうろついた。
けれどすでに本格的に蒸し暑くなっていた頃だったからか、苗はどこにも見当たらない。
慌てて神奈川の家族にSOSを出してようやく、苗を二株手に入れることができた。

6月6日、ゾロ目の日だった。
買ってくれた母いわく、一つは普通のゴーヤだが、もう一つはスーパーゴーヤという品種(?)らしい。
たくさん実が生るのか、大きな実が生るのか、はたまたアパート全体を覆い尽くすほど葉が茂るのか。
よくわからないけれどスーパーなゴーヤと普通のゴーヤを育て比べられるのは楽しそうだ。
とりあえずスーパーゴーヤを「スーちゃん」(右)、普通のゴーヤを「フーちゃん」(左)と呼ぶことにした。

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近所のディスカウントショップで土と鉢を買い、植えた翌朝。

スーちゃんに、花が咲いていた。

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いくらスーパーだからって、早すぎません?

仰天して家族LINEに写メを送ると「さすがスーパー!昨日お父さんのワクチンに付き合いました…(その後3行にわたって綴られる祖父の近況)」
と母に一瞬で話題をすり替えられた。
まあ、いいや。

ともあれその日から、ゴーヤは私の家族になった。
それまであまり植物を積極的に世話したこともなく、枯らしてしまったらどうしようかと思っていたのだけれど、そんな心配は杞憂だった。

帰宅するたびに、ゴーヤの成長が目に見えるのである。
それも、スーちゃんだけではない。
もともとは少し小柄だったフーちゃんも、みるみる成長して今では二人ともほぼ同じ身長である。
ある程度蔓が伸びてきたところで百均にネットを買いに行った。
まずはネットをベランダの柵に結びつける。
次にベランダの柵とネットを巻き込むように茎をパンの針金で留めた。
針金で留められた頂点からだゆゆんと葉を垂らすゴーヤたちの姿は、まるで磔になったキリストのようだった。

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しばらく胸が痛んだが、ほどなく柵にもネットにもうまく絡んでくれるようになった。よかった。
高安に取り憑かれたかのごとくゴーヤを愛でていたある日、新たに家族が加わった。

プチトマトのプーチンである。

プーチンはボトルシップのような格好で、友人宅から我が家へ運ばれてきた。

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友人は種として売られていたものではなく、食用トマトから種を取り出してここまで育てたという。
プチトマト愛が熱い。
プーチンの幼少期は彼女のnoteに詳しいので、ぜひそちらをお読みいただければと思う。

食用トマトから取り出されたとは思えないほどに、プーチンもすくすくと育っている。嬉しい。


それからというもの、朝夕にベランダを眺めて、彼らに一言二言かけるのが私の新しい日課になった。
そして19日土曜の朝、私は雨音で目を覚ました。
窓の外を見なくてもわかる、どしゃ降りである。
そこで初めて自分があまり落胆していないことに気づいて、ハッとした。
その日は朝から外出する用事があったにもかかわらず、私の心は野菜たちに向いていたのである。
たんとおあがり」とスーちゃん、フーちゃん、プーチンに微笑みかけて、自分は長靴にポンチョに大ぶりな傘のフル装備でいそいそと池袋まで献血に出かけた。

暑い日だって、そうだ。
あんなに嫌いだったのが嘘のように、今の私はかんかん照りが好きだ。

最近よくある、がーっと降ったと思ったらいきなりビカビカに晴れるような日。
コロコロ変わる過剰な天気」は、これまで私の中の嫌いな天気ランキングではずっと一位だったのに。
水を滴らせながらつやつやと太陽を喜ぶゴーヤの葉を見ると、「よかったねぇ。フルコースだねぇ(?)」としみじみ頬が緩んでしまうから不思議だ。
野菜と暮らすと、心が変わる。

ひょっとすると私は、少しずつ師匠高安に近づいているのかもしれない。
スマホの待ち受けに設定したスーちゃんを眺めながら、時々思う。

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私の師匠の高安を含めた偽本ブックカバーたちは、この夏一冊の書籍になる(宣伝)。
その頃にはスーちゃんもフーちゃんもプーチンも、食べごろを迎えていてくれたらいいな。
偽本に笑いながら夏野菜パーティができたら、それはもう、最高の夏だ。

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つる・るるる
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