プラーナヤマによる真我実現「呼吸の停止」

呼吸の停止について、まとまった聖典の記述を見つけたので、ここで共有しておこう。

「ヨーガ・ヴァーシシュタ」では、解脱への三つのアプローチを示している。
①真理の実現
②心の終焉
③条件付けの終焉

ここで「条件づけの放棄とプラーナの抑制は同等の効果をもたらす」とされる。

そして、ヨーガの二種類の方法として、第一に真我の知識と、第二に生気(プラーナ、呼吸)の制御が挙げられている。

ある人々にとっては、探究を通して真我の知識を得ることは難しい。他の者にとってはヨーガが難しいのだ。
だが、真我探究の道こそすべての人にとってもっともやさしいと私は確信している。
なぜなら、真我の知識は永遠に存在する真理だからだ。

また、重要なこととして以下は何度も繰り返される。

「解脱に達した賢者との交際(サットサンガ)と導きを得、聖典の教えに沿って真理の本質を調べたとき、はじめて純粋な存在であるブラフマンの中に確立される」と賢者は宣言する。

ここから、生気(プラーナ、呼吸)の制御のヨーガが説明となる。

ハートの蓮華の中で振動するエネルギーが、プラーナと呼ばれるものです。

身体の上方に確立された生気=プラーナ
身体の下方に確立された生気=アパーナ

生気(プラーナ)は、努力なしに自然にハートの蓮華のセンターで起こり、鼻先から発散されます。それはレーチャカ(呼気)と呼ばれています。
鼻から指十二本分下方から上昇し、プラーナの流れを遡ってその源であるハートの蓮華のセンターに触れることはプーラカ(吸気)と呼ばれています。
アパーナがハートセンターで動きを止め、プラーナがまだ湧き起こってこないとき(呼気と吸気の間)を、クンバカ(呼吸維持、いっぱいに満ちた壺)と言います。

呼気=レーチャカ(プラーナ)
吸気=プーラカ(アパーナ)
停止=クンバカ

三つの要点
①鼻先
②ドヴァーダシャーンタ(鼻先から外に指十二本分離れたところ)
③プラーナの源(ハートの蓮華)

①から②まで(鼻先からドヴァーダシャーンタまで)=外的
①から③まで(鼻先からハートまで)=内的

では、努力せずに自然に流れる生気(呼吸)に耳を傾けてください。

プラーナの動きが外側で止まり、アパーナがまだ起こってこないとき、それは外的クンバカと呼ばれます。
そしてアパーナが内側に流れて源に戻り、プラーナがまだハートから湧き起こってこないとき、それは内的クンバカと呼ばれます。

これらのクンバカを知る者に再誕生は起こりません。

何をしようと何を食べようと、クンバカを知る者はそれらの行為の行為者ではなくなるのです。

ハートと心から不純性を消し去って、プラーナとアパーナに専心する人は、妄想から解放され、内なる目覚めに達し、為すべきことを為しながらも真我の中に安らいでます。

もしプラーナとアパーナが合一する空間に到達するなら、その人はもはや不幸を体験することも再誕生することもありません。

賢者はプラーナが太陽の質を棄て去って月の質へと変容するまでの間に、プラーナの本性を探究します。
自己のハートの中で太陽と月が昇っては沈んでいくという真理を知った人に再誕生は起こりません。
ハートの中に神である太陽を見た人は、真理を見たのです。

プラーナとアパーナの動きが止まったところを見て、その静寂の状態をとらえるなら、二度と悲しみを体験することはなくなります。

プラーナが動きをやめ、アパーナがまだ動き出す直前に、努力を要しないクンバカ(呼吸維持)が起こります。
賢者はその瞬間を重要な状態と見なしてきました。
呼吸が努力なしに静止したとき、それが至高の状態です。
これが真我であり、純粋な無限の意識です。

私はプラーナとアパーナが動きを止めた、プラーナとアパーナの中間にある無限の意識に瞑想します。

以下に、呼吸の停止についての考察をまとめた。

私自身の体験と考察は以下にまとめている。


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綱川哲郎|瞑想と対話
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