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8年間本気で続けた読書記録をやめてしまった件
4年前、このような記事を書いた。
読書記録管理サイト『読書メーター』に投稿した感想を振り返り、文章力の成長を追いながら、レビューを”自分のための記録”から”本の魅力を伝える手段”として捉えていった経緯を語った。
「都村つむぐ=読書する人」と認知してもらうきっかけであり、開設したてのnoteを軌道に乗せてくれた思い入れ深い記事である。今読み返しても、これから読書に触れてみたい、本ともっと深く向き合いたいと願う人たちの手がかりになると信じている。
ただ、私はこの記事をこう締め括った。
私はこれからも”本気のレビュー”を投稿し続けるだろう。
誰かがかけがえのない1冊と出会うその日まで。
おそらくこれを読み、レビューと向き合う私に期待しフォローしてくださる読者が一定数いると思われる。メールボックスにスキとフォローの通知が届くたび、地面に額をこすりつけ「ごめんなさあああい」と返答したい気持ちでいっぱいになる。
あのとき私は8年続けた読書記録をやめるなんて、露ほども想像していなかった。私にとっては読書歴とほぼイコールだ。大学を卒業して社会人になるという人生のスペシャル転機を乗り越えた習慣だ。それを手放すことになるなんて、どうして信じられよう。
どれだけ弁明しても、この浅すぎる意志表明からほどなく感想の発信を絶やしたのは事実である。数年は思い出したように投稿することもあったが、今や切り口を見失ったサランラップのように再開のきっかけを見つけられずにいる。
さて、私はなぜやりがいを感じていた習慣をやめてしまったのか。読書記録をつけることでなにを得、なにを失っていたのか。今回は「読んだすべての本の感想をまとめる」という目標に挫折してからの約3年を贖罪を兼ねて振り返っていきたい。
▶︎どのようにレビューを書いていたか
私が感想を登録していた『読書メーター』には255字の字数制限がある。概要をまとめるには長く、愛を語るには短いその枠の中で、最低限のあらすじと自分の感想がうまく収まるよう格闘する。表現上の工夫については、前述の記事で詳しく紹介しているので、今回は255字に起こすまでのプロセスを振り返る。
①印象に残った文章や物語の起点となるセリフをノートに抜き書きする
②キャラクターや作品のバックグラウンドを整理し、テーマを読み解く
③関連して思い出した体験や物語を通じて考えたことを書き出す
④①〜③をもとにプロットをつくる
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▶︎なぜ挫折したのか
お察しの通り、めっちゃ時間をかけていた。やったことがある人ならわかると思うが、①だけでも「これ終わるんか」と途方に暮れ、残りの分厚さをちょくちょく確認してしまうくらい大変。たった255字に長ければ2〜3日。これを平均50冊/年。
読むペースが書くペースを上回る。仕上げていない感想がたまる。時間が空く。詳細な内容や読後の感情が遠のく。書くのにより時間がかかる、の悪循環。
noteを始め、エッセイや小説にかける時間も必要になった。新卒で入社した会社をコロナ禍に辞め、環境の変化にも呑まれた。目の前の生活に気を取られ、優先順位はどんどん下がり、比例するようにモチベーションも落ちていった。
▶︎読書記録をやめたことの弊害
後回しにした背景に、たとえ感想を形にしなくとも、同じ真剣さで本と向き合うことはできるという呑気な自信があった。が、変化はすぐに実感できるレベルで現れた。
①忘れる
記憶力はいい方だと自認していたが、年末にベスト本ランキングをつくろうとしてはっとする。この本読んだの今年だっけ?おもしろかったのに、オチ以外の具体的なシーンが浮かんでこない!考えたことがあったのに思い出せない……。昔に読んだ本のあらすじも説明できるのが小さな自慢だったのに。
まれに目を通したそばから一文字一文字脳に焼きつくような読書体験もあるが、記憶の定着は主に書いているときに進むように思う。どこをピックすればあらすじを簡潔に伝えられるか、どのワードを盛り込めばテーマを表現できるか、自分の感情が本のどこと結びついているのか。感想をまとめながら、作品と向き合い整理しているうちに、享受は体験に変わる。その作業がごっそり抜けたのだから、記憶が褪せやすくなるのも無理はない。
②感度が落ちる
感想を書く前提で読むのとそうでないのとでは、アンテナの感度に雲泥の差が出る。
頭の片隅にうっすらと「どうまとめるか」を置いておくだけで、初読の解像度はぐっと上がる。何気ない表現ひとつに意味を見出し、自分の感情の変化に敏感になる。
感想を書く必要がなければ、緊張も自然と緩む。掴めたはずのものを取りこぼしたような、潜りきれずに浅瀬でもがいたような感覚が、読み終えたあとに残るようになった。
③語彙力が伸びない
レビューとは、仕入れた語彙をすぐに実践で試せる絶好の機会である。読んで意味を学び、書きながらその言葉ニュアンスや効果を自分のものにしていく。同じフォーマットで継続することで、よく使う言い回しや展開の癖も可視化しやすい。
私はnoteでエッセイも書くし、ZINEの編集もするが、読書メーターに一生懸命だった頃が一番豊かに言葉を操れていた気がする。
④本を手放せなくなる
私には「読んだ本すべてを並べて飾っておきたい」という欲望がある。物理的に叶えるのは不可能なため、読書メーターに登録することでヴァーチャル上の人生の本棚を獲得した。感想を登録すると同時にその本を手放す踏ん切りがついた。
だが、よりどころを失った今、捨てようと手に取ると、忘れちゃうかもしれない不安が押し寄せ、思い切りがつかなくなってしまった。棚から溢れた本が積み重なり、滋賀に再びびわ湖タワーが出現しつつある。本のためにもよくないし、スペースの限界も迫っている。
▶︎代わりに手に入れたもの
こうして見ると、読書記録をつけることは丁寧に読むことに繋がっている。乗せられるがまま楽しむのもひとつの醍醐味ではあるが、手元の一冊を隅々まで味わい尽くして得たものは今もしっかり血肉となっている。
一方で、記録することには自分の中にルールをつくる側面もあるように思う。そこから解き放たれて初めて味わった感覚もある。
①謎ルールからの解放
私の行きつけの本屋は都会の大型書店に比べるとどこも決して広くはないが、感想を発信するのをやめてからずっと広々と感じるようになった。これまで踏み入れることのなかったコーナーに赴くことが増え、文字通りスペースの隅から隅まで堪能している。
読書メーターで発信していた8年の間、誰に決められたわけでもなく謎ルールをつくり出し、知らず知らずのうちに苦しんでいた。読んだ本にカウントしない(ことにしていた)漫画からは遠ざかり、読書メーターに登録のないZINEやリトルプレスは後回しになった。フォローしてくれた人に「人気や評判に左右されず自分の興味のおもむくまま本を選ぶ人」と思われたくて、無作為に棚の一番右端にある本を買ってみたりした。
余裕がないときは絵や漫画が豊富な本を、アイディアが欲しいときは文フリへ、考えるより振り回されたいときはベストセラーを、翻訳されるまで時間がかかりそうなら原文で読んじゃえ。目まぐるしい変化の中で読書を続けてこられたのは、気分に素直に選べるようになったのが理由のひとつだと思う。逆を言えば、記録することを手放さなければ、読書習慣ごと社会の大海に呑まれていたかもしれない。
②冊数に惑わされない
記録をつけていた当時、年に何冊ペースで読んでいるかをいつも気にしていた。気にしていないと思っていたけれど、今思えばめっちゃ気にしていた。見るからに時間がかかる巨編には手を出しづらかったし、英文学科卒のくせに海外文学はノーマーク。
今も本のタイトルだけはメモしているので自然と冊数は意識に上るが、他の人に知られることはないからか、前よりも穏やかな気持ちで向き合えている。「知識が足りない」と判断すれば、関連書籍を取り寄せて調べる。今は時機じゃないと直感が働けば、間をあけてまた一から読む。その本が必要とする時間を捧げることに、焦りはほとんどない。
③感想の出来に本への評価が左右されない
感想をうまく言語化できたり、レビューに良い反応をもらえたりすると、作品自体の印象もよくなる。言葉にするだけでお気に入りが増えるのはうれしい。「読書メーター」は大切な本と出会うきっかけを、本を大切に思える心の土壌を整えてくれる素敵なコンテンツだ。
だけど、新しい発見をもたらしてくれた、自分の悩みや不安に寄り添ってくれた、言葉にできないくらい感情を揺さぶられた、そういう読み終えた瞬間の思いをそのまま持っておける今の環境もまた結構好きだ。
友達と話を合わせるために両親にせがんだ『ハリー・ポッター』(J.K.ローリング、静山社)。誘われた座談会に参加するために手に取った『ぎぶそん』(伊藤たかみ、ポプラ社)。ゼミで発表するために読解した数々の英文学作品たち。思い返せば、読書メーターを始める以前から、私にとって読書は感想を共有することとセットだった。自分がこの作品をどう捉え、なにを思い、なにを提起するのか。言葉にして褒められると、まるで自分そのものが認められているような気がした。私は本が好きなんじゃなくて、感想を共有することが好きなのかもしれないと思うときもあった。
だけど、今、私は感想どころかその本を読んだことすら誰にも知らせず、読書を楽しんでいる。それがなんだか新鮮で快い。
▶︎感想って、ありがたい
一方で、企画編集したZINE『犬島の岩井さん』を今年の6月に刊行し、つくり手視点で気づいたこともある。
感想って、本当に本当にありがたいのだ。意図した思いは伝わっただろうか、素敵な時間を提供できただろうか。その答えを知るためには「買ってもらう→読んでもらう→感想を言葉にしてもらう→発信してもらう」と気の遠くなるようなプロセスを越えてもらわなければならない。読み手が感じている数百倍、私は感想のひとつひとつに喜び咽び乱舞していると思ってもらって構わない。
Xにいいねやリポストをしてくださる作者さんや出版社の方々も、きっと同じ気持ちにちがいない。出版業界の盛り上がりに少しでもつながるなら、感想を言葉にすることを惜しむ必要はないのではないか。
気が向いたらXに感想を上げる、テーマを設定して10冊選書してつぶやくなど、自分で自分を縛らない程度にやれることはあるはずだ。これはまた読書記録と向き合うタイミングがやって来たのかもしれない。
読書歴10年。まだまだ本との付き合い方は試行錯誤の途中。
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