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3ヶ月ぶりに稼いだお金が4円だった話



 "無職"にも、向き不向きがある。


「いってらっしゃい」

 いつも通り妻を見送る。妻は生き生きと日々働いている。「たくさん怒られたけど、今日も楽しかった!」と言っていたり、「助けて!と言ったらみんな今日も助けてくれた!」と朗らかそうな妻。見ていると、私もそうなれたらと思い、なんだかこちらの影が濃くなっていく。


 私は家事に頭を切り替える。

 まずはシーツと枕カバーをベッドから回収した。最近できるだけ毎日洗うようにしている。肌にもいいらしいが、何より清潔にしていると気持ちがいい。キッチンやお手洗い、洗面所のタオルも全て回収し、洗濯機を回す。わずかな機械の振動と、私の心が連動リンクする。


 手が小刻みに震えた。

 それに気づかぬふりをして、私は食べ終わった朝ごはんの食器を洗い、炊飯器をセットする。炊いた後は冷凍しておく。どれも何も苦ではない。

 今度はスーパーへ買い物に行く。近頃は秋の食材が豊富で、買い物が楽しい。働いていた頃も自炊はしていたが、ここまでの余裕はなかった。最近だと例えばさつまいもで大学芋を作ったし、ケーキも作った。モンブランもいつか挑戦してみたい。最近のお気に入りは栗ごはんと、キノコをとにかく食べることだ。からだの調子がすこぶる良い。すこぶる良いのに、どうして手が震えてしまうのだろう。



「こんなこともできないの?」

 それは3ヶ月前、自分自身に問いかけていた。

 適応障害で休職に至った。もうこれで"こんな感じ"になるのは果たして何度目だろうと思う。仕事に就いたら責任に潰され、人間関係に苦しみ、ずるずると辞めていく。そもそも働くことに向いていないのでは?とも思うが、まだまだ諦めるには早いだろう。生きているわけだしと自分を抱きしめてみる。

 スーパーから帰ってきて、手を洗ったらすぐに冷蔵庫に食材を仕舞っていく。ハイターに浸けておいた食器は見とれるほど輝きを取り戻していた。窓から差し込む光で、夕方までゆうゆう過ごしていける。



 ここで私はようやく、ノートパソコンをひろげる。通知欄は光っていない。

 また公募に落ちてしまったようだ。

 私は日々エッセイを書いては何かしらに応募する毎日であるが、こうもうまくいかないと、文字を書くこと自体が恐ろしくなってしまいそうだった。

 何も時間を無駄にしていないのに、と思うが、無駄にしていないからこそ報われていかない自分に焦る毎日である。

 前半、丁寧に生活をこなしていそうに見えたかもしれないが、内心、頭の中では文章のことでいっぱいになっている。次は何を書こうか、どうしようか。今度はこれを書こう、あれを書こう。不思議と"書きたい材料"はなくならなかった。10年と文章を書いてきたのだ。商業的な話を度外視すれば、私は家事をこなし、文章を書いているだけで一生を終えても良いと思っている。ほしいものもない。そりゃあ好きなだけ買っていいよと言われたら小説を10冊くらい一気にほしいものだが、そういう話は偶発的にやってくることはない。

 あとはそうだな、私は妻とともにずっと暮らしていたい。子どもを授かれたらと思う。そして、なにもかも、文章もなにも考えずに家族で旅に出たい。そういう夢はある。



「このまま無職だったら ——— 」

 だからこそ、そういう想像を何度もした。それは底のない深淵のそばで足を滑らせたような感覚。今も私は落ちている途中で、宙に浮いている。壁に手を伸ばしたり、足をばたつかせてみるが、どこにも身体がかからない。漏れている光はいつも上のほうにあって、どう足掻いたって届かないのだ。


 そんな現状を変えたかった。

 私が今できるのは、書くことくらいだ。むしろ書くことをやっていきたいと思っている。だったらと思い、ずっと気になっていたクラウドソーシングサイトを"もう一度"開いてみた。実は先日、登録だけ済ませて放置していたのだ。

 このサイトに聞き馴染みのない方に簡単に説明をするのであれば、「外部に仕事を発注したい企業と、仕事を探しているフリーランスの方を結ぶマッチングサービス」みたいな感じだ。ググってみたら、どこも同じように書いてあるので間違ってはいないはず。とにかく、そこには私にもできそうなライティング案件が並んでいた。

 以前登録をして、結局なにもできずに終わってしまったのはやはり、怖かったからだ。

 仕事をする、というのは全身に汗が流れるような不気味さがある。きっとこの情景や心象を変えることが私の一番の課題なのかもしれない。生き生きと働くこと、それを切望する理由はそこにありそうである。



「是非書いてください!」

 そう誰かから自然と声をかけられたらよかっただろうな。けれどももうそんな想像、虚しくてやっていられない。私は何者にもなれない。そう思ったら身体が少しずつ動いてくれた。私が私をずっと縛りつけていた。


 画面をスクロールしながら、少しずつ案件に目を通していく。できそうなものもあるが、どうしてもり好みが発生してしまう。なにより応募文 —— いわゆる、「こんなことが書けます!私に書かせてください!」と自己PRするための文章を送らなければいけないわけだが、どうにも難しくて手が止まってしまった。自己PRできないわけではない、送る手が止まってしまう。

 そんな中、ひとつの項目に目が止まった。それは「アンケート」の仕事だった。ライティングの仕事とは違い、クライアント(依頼者)とやりとりをしなくとも、こちらに与えられた仕事をこなし、送るだけでいいようだった。



「こ、、これならできるか…?」

 私は眉を"へ"の字にして、片方の口角だけをあげ、にちゃにちゃとしていた。この世で必要のない仕事などない、そういう話だとは思うが、私がわざわざやる必要はないとも思えてしまった。

 それに「1件/5円」と記載がある。そして「1人1件まで」とも。

 つまりこれをこなして、私は5円稼げるというわけだ。おかしくて、とても、甘酸っぱいような嬉しさがあった。


 私はとにかく、やってみることにした。

 【利用したことのある施設についてのアンケートに答える仕事】をクリックする。「仕事をする」のボタンを押した。アンケートに2問答えたあと、最後に「200字以内で、施設を利用した感想を教えてください」と書いてあった。

 私は200字、びっしりと記載した。

 多分こんなにしっかり書いている人いないだろうな。構成を考えて、オチもつけた。きっとためになるアンケート結果である。画面が生き生きとして見えた。ぴちぴちと跳ねる真鯛が見える。

 終始私は笑いながら「仕事」をした。書くことはとてもたのしかった。エッセイであろうが、他のことであろうが、何だろうが。もしかすると私は「文字」そのものが好きなのかもしれない、という不思議な感覚がした。気づけば手の震えは止まっていた。

 何度も読み返し、私は仕事を納品した。胸の高鳴りを感じる。



 数時間後、通知欄が光る。

 久しぶりに光って見えた。

「ありがとうございました」というメッセージとともに、入金されていた。手数料を引かれて、私の手には「4円」の煌めく文字があった。



思わずスクショした



 秋の木々のように紅葉した。気分良くなった私は、夕飯のおかずを一品増やしてしまった。


 働くのはやはり面白い。

 私は別に、働きたくないわけではない。働くこと、それが馬鹿らしいなんてことも思わない。働いている人を心の底から尊敬しているし、私もそうなりたい、ありたい。かといって、働かない人をぞんざいには思わないし、そもそも世には働けない人もたくさんいる。

 ただ私は、私に関しては、自分に合った仕事をして、自分の心をなるべく健康なまま過ごしていたいだけなんだ。これは贅沢な望みだろうか。そうでないといいな。私は少しずつ、大丈夫になっていけると思った。私には仕事も、仕事以外のことも、できることがたんまりとある。

「とりあえずやってみる」が達成できた。とはいえ、搾取されない冷静さも持っていたい。


 今度はライティング案件にもしっかり目を通していこう。それができた頃には、夕飯のおかずをさらにひとつ増やしてやろう。

 ここまで文章を読んでくれてありがとう。4円で何言ってんのと言われてしまうだろうか。笑いたければ笑ってくれていい。別に、こっちはこっちでやっていくよ。

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