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創作大賞2024中間発表を聴いて、自分の夢の大きさを知り嗚咽する壮年男性のあれこれ


 私のnoteを開いてくださり、誠にありがとうございます。
 こちらの記事はnote創作大賞2024中間選考を通過できた内容となっております。ご承知の上、読み進めていただけたら幸いです。

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 壮年…25歳〜44歳(厚生労働省の資料より)
    社会的に重責を担う働き盛りの時期。



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「そろそろじゃない?」

 先に言ってくれたのは妻の方だった。

 妻が仕事の日の朝ごはんは、いつも卵かけご飯と我が家は決まっている。清貧に甘んじる。簡単でいい。窓から差し込む光は鬱陶しいほど力強く、爽やかであった。正方形のテーブルに、向かい合わせではなく、角を挟んで斜めに座り合っている。L字型だ。こういう配置にした理由は単に間取りの問題、というだけではない。

「確かにもうすぐ中旬だね」

 創作大賞2024の中間選考の発表日が近づいていた。noteを書いている人であれば多くの方が知っているのではなかろうか。選ばれると、連載や出版のチャンスがある。今回応募が計52,750作品あったようだ。私はエッセイ部門に作品を応募をした。



 選ばれたかった。

 とにかく選ばれたかった。書いて、仕事にしていきたいと明確に考えていたから。連載もしたい。出版もしたい。このnoteを始めたのは今年の2月末からだが、私がエッセイを書き始めたのはおよそ10年前。そこからずっとブログを書いたり、エッセイを書いたり、日記をしたためてきた。

 書き始めたきっかけは「孤独」だった。

 会社でボロ雑巾になった私の生きる意志はぼやけていた。誰かに発信したいなどの考えはなく、それは出てきた吐瀉物に似ていた。

 休職したり、退職したり、転職したり。アルバイトもやった。職場を円満に辞められたことが一度もない。私は逃げ出すようにか、もしくは、体の四方に見えない壁が突然できあがったかのように身動きが取れなくなった。

 いまでも、私は"会社で普通に働ける"のであれば、それが一番いいとは思っている。週5日、一日8時間。残業もこなし、責任もある。上司も同僚も後輩もいる。そういうところにいたい。目を真っ赤にしてしまうほど、いたいだろう。

 しかしだ——、できない。

 私は自分を明るい人間だと思う。何かを見て、笑うことができる。楽しめる。意見がある。人とコミュニケーションが取れる。できることがたくさんあるが、私が自分の中で出した結論は、"できない"であった。

 10年前に初めて発症したうつ病、パニック障害。そして30代に入ってから今向き合っている発達障害、ASDなど。私はふとした瞬間、涙がこぼれ落ちることが普通だと思っていた人生であったが、どうやらこれは普通ではないらしい。これを「おかしい」と人に言われるようであれば、私はやはり、向いていないのだろうと思う。

 たとえば「よく笑うね。素敵な笑顔だね」と言われている人に「もう笑うな」と伝えたら、相手はどう思うだろうか。ひどく自己を否定された気持ちになるに違いない。散々な雨が降っている。わがままでもあるだろう。「もう泣くな」と言われたら、私は自己を表現も、肯定もできなくなってしまうと思った。


 書いているときだけ、私は翔んでいけた。

 こぼしながら書いた。嗚呼、なんて私は弱いのだろう、強いのだろうと思いながら。楽しい、苦しい、痛い、寒い、熱いと感じながら。書き続けたのはやはり、私にできるのは"これ"だけだと思ったからだ。これは前向きな消去法である。


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 中間発表の時期は当然覚えていた。

 結果を望むと同時に、恐れてもいた。だから妻が「そろそろじゃない?」と言ったとき、心臓が少し青くなった。知りたくもあり、死にたくもあった。

 私は私を選べなかった。

 noteで文章を書いても、何か違う気がした。中途半端な気持ちで記事を公開してみれば、当然と言われているかのように、想像を越える声は湧いてはこなかった。

 これはいけると思い、時間も熱量もかけて書いた記事を公開してみるが、自信がなかった記事よりスキ数が伸びなかったとき、わかりやすく落ち込んだ。「ああ、やっぱり私は駄目なんだ」と思った。何者でもない私に確実にいた一人ひとりの読者と向き合う余裕がなかった。noteにあるハートのボタンをそっと押してもらうことだけを望んだ。その押された回数が増えていくたび、不安が少しずつ溶けてくれた。私は私の意志で、自分の記事を肯定してやることができなかった。

 私のこの不安を完全に溶かすためには、noteの創作大賞で選ばれるか、また別の方法かもしれないが、その先、書くことで生計を立てられること他ならなかった。


 現在の私は会社を休職している。この期間は永遠では当然ない。復職は難しい。だったら私は、書いていくしかない。残ったこの道が、私の暗い希望だった。

 note創作大賞だけが作家になる道ではないこと、それがわかっていても、"その道"であれば、挑戦し、期待し、切望するのは至極私にとって自然であった。



 そして、Xでnote公式からのポストを読んだ。

 来週か。私は考えすぎないように過ごし、自分の生活をひたすらこなした。起き上がり、食事を取り、シャワーを浴び、眠った。出勤する妻の弁当も変わらず作り続けた。

 9月15、16日は日曜祝日のため、発表はないだろうと踏んだ。それは予想通りだった。16日の夜、私の身体はわかりやすく震え始めていた。夜中何度も目を醒ました。選ばれなかった道も選ばれた道も、どちらも想像し、どちらも痛むものだった。呼吸は浅く、手足は痺れていた。目の横をあたたかいものが流れていった。胸に手を当てると、右も左も振動しているように感じた。

 17日の朝、私はいつも通り仕事へ向かう妻に弁当を渡し、見送る。「どんな結果でも、すぐLINEするね」と私が言うと「どんな結果でも大丈夫だよ」と応えてくれた。からっとしている妻の瞳は、私と同じくらい"望んでいる"ように見えた。


 昨年の発表時間が11時だったこともあり、私は同時刻になると予想していた。11時になるまでに、私はまた生活をこなした。洗い物をし、洗濯をし、トイレや風呂場を掃除した。そのものを綺麗にしようとする意図とは別に、心についたものを振り落とすようにして過ごした。


 10時半頃。note公式のアカウントホームに飛び、じっと私は待っていた。何度も下にスクロールをし、ページを更新した。汗が止まらなくなり、息をうまく吸っていけない。

 その時間になったが、発表されることはなかった。18日もnote公式は静けさを保っていた。その間、私は自身の応募した作品を何度も読み返した。どう考えても、直せる箇所がなかった。一文字もだ。改行の量も変えられない。「よく書けている」と何度も自分を激励した。だって、何度も見てやっただろうと言わんばかりに。

 私は自身のXでも「創作大賞の発表いつだろう」と呟くことはできなかった。それは後の結果によって、格好悪くなる自分に耐えられそうになかったからだ。選ばれるのを望んでいることを、誰かに悟られるのが怖かったのだ。

 そうして——19日。

 私は自分の夢に溺れていく。


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「さすがに、そろそろだろう」

 今度は私の方から言った。

 卵かけご飯は喉をつかえていたが、噛まずに飲み込んでやった。「どんな結果でも大丈夫」とふたりで唱えた。それでも私は時折、目を閉じながら「それでも選ばれたいよ」と声を落とした。妻が頷く音だけが聴こえた。


「どんな結果でも、すぐLINEするね」

 また私はそう言って妻に弁当を渡し、見送った。玄関が閉まり、鍵をひねる。その瞬間、私は立っていることができなくなった。

 生活ができなくなった。

 私は玄関でぼおっと、うなだれた。壁に寄りかかり、次第に身体は横になっていき、丸くなっていった。口から空気が吐き出されていく。鏡を見ていないのに、目が血走っているのがわかった。洗っていない顔は地割れしていく。喉の奥に、ヘドロのようなものが詰まった感じがした。

 うだるような暑さだ。おかしい。冷房をつけているはずなのに、私の汗は止まらなかった。全身を蛆虫に這われている気分だ。それを嫌味のように冷気が通りすぎていく。

 そうして、あっという間に"時間"が来た。

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 私はnote公式のホーム画面を更新し続ける。早く教えてくれ。効かせてくれ。どんなに痛む針であろうと、たぎる確信があった。

 呼吸はとんでもない速度で走っていく。胃液が食道のあたりで竜巻のように揺れた。唾は喉と衝突を繰り返し、詰まった排水溝のような響きだ。目脂めやにが卑劣に張り付いてくる。脇汗が腕の方を流れていった。


 そうして、11時。

 発表された。

 しぶきが私の眼球を襲ってくる。コップ一杯分くらいの唾を飲み込む。私は「中間選考結果」と書かれた部分を力強く押した。



 発表はいきなりエッセイ部門から始まった。私が応募した部門だ。一呼吸も置くことなく、私は下へ下へとスクロールしていく。必死に自分の名前を探した。望んだ。頼む。あってくれ。

 最初の20作品をスクロールした時点で、私の名前はなかった。「奇怪おかしくなってしまうよ」と叫んだ。唾を飲み込むのは、その時点で忘れ、抜けていた。


 あれ——。あれ——。

 ない。私の名前がない。怖い 苦しい 痛い。どんな結果でも大丈夫じゃないよ。暗い 怖い どんな結果でも大丈夫だと思っていたけれど、どんな結果でも大丈夫なわけがなかった。


 もう終わりだ。終わり——。

 それは何の終わりを示していたかわからない。私は全然、どんな結果であろうと正真正銘の灰になることはないのに。

 そうして、諦めかけた、いや、諦めた瞬間、飛び込んできたのは私の名前だった。




 唾を全てこぼした。

 私だ。私の名前だ。ある。あるぞ。私の名前が。私が選ばれたんだ。私が選ばれた。歯が砕けそうなほど力んだ。頭を掻きむしった。眼球が、勢いを込めた地球儀のように回っていく。まぶたの裏で水風船が弾けた。やった。やったんだ。大賞に選ばれたわけでもない。中間選考を通っただけだ。いや、"だけ"なんて言ってやるものか。草食動物のように吠えた。私は自分の獰猛どうもうさを体中からだじゅうで転がした。



 すぐにLINEを開いた。

 妻に送った。

 やった。やったぞ。やったんだ。

 私は嗚咽した。熟れた果実がぼとりと地面に落ちるようにして、零れた。その果実はマグマのように熱かった。こんなに私は望んでいたんだな。達観するには、億万年早いだろう。壮年を生きる"俺"は、天井を見上げ、へたくそなスキップみたいにしてしばらく笑っていた。



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 選ばれた自分のエッセイを、私は何度もまた読み返した。死ぬほど、と言ったらあまりに陳腐で凡庸だが、それくらい推敲してきたのだ。

 プロの作家や編集者が私の文章を添削したら血まみれのように赤く染まるであろうが、私がこのnoteという世界で初めて、自分で自分を"最初に"選んでやれたエッセイだった。

 こんな台詞、中間選考を通った後だから言えるのかもしれない。しかし私はどんな結果であろうと、創作大賞についてのエッセイを書くつもりでいたし、どう想像しても、肯定"は"できたように思う。



 発表された後、私は自身のXで創作大賞の中間選考通過をしらせた。いままで不恰好に口数少なくしていた男は、己の喜びを謳っていた。


 私は私が憎いであろう。

 もし自分が選ばれていなかったら、Xもnoteも、どちらもしばらく開かなかっただろう。私のように喜びを表す人間が湧いてくるのは想像容易い。

 手のひらに指が食い込み、歯茎からは泥が流れるようにして、悔しがっただろう。嫉妬しただろう。

 誰のことも祝ってやれそうにない。私のnote相互の方々も、創作大賞に作品を応募しているのは知っていた。その文章を私も読んできた。その文章が、なるべく自分より影が濃くならないよう望んだ。矮小わいしょうな人間だ。どうぞ蔑んでくれていい。とはいえ別に、誰かを誹謗中傷していたり、陰口として何かをたれ込んでいたりもしていないぞ。ただとにかく悔しかっただろう。嘆いただろう。なぜなら、闘ったからだ。悔しく思うことが、闘った証になるわけではない。私にとって、軌跡と涙が証明になっただけだ。


 私は喜んだ。

 X上で喜んだ。フォロワーの方がおめでとうと言ってくれた。嬉しかった。当然だ。私が望んだ扉がひとつ、開いたのだから。だが素直に喜んでいられたのも束の間、ひとり、またひとりと祝福してくれた。その中には私と同じように創作大賞に作品を応募していた人がいた。

 応募した人から来る「おめでとう」という言葉の重みを、私は勝手に想像した。私は人を祝えそうにない。「おめでとう」と言える気がしない。顔すら出せなかっただろう。どう脳内でシミュレーションしても、私は全身を真っ赤にして嗚咽していた姿だけが映る。冒頭に注釈を入れたのは、通過した人のnoteなど、私だったら読んでやれないからだ。


「どうしてそんなに強いんだ」

 勝手にそう思った。全部勝手だ。創作大賞に臨んだ気持ちは人それぞれだろう。どう臨むのが正解だとかそんなものは当然ない。ただ"自分だったらできない"と思い、それでも私は平静を装い、「ありがとうございます!やったー!」と返事をしていた。私は、強くなりたい。なり続けたい。だから書き続けるしかない。



 自分が選ばれていなかったら「どうして私を選んでくれないの」と赤子のように、そこまではしなかっただろうが。

 ただ悔しくて、苦しくて、涙がとめどなくあふれ、生活に支障をきたし、過呼吸が収まることをじっと祈っていただろう。応募した自分のエッセイを何度も何度も読み返してきた。中間発表がされた後も読み返した。「ここをもっとこう直せばよかった」なんて微塵も思わない。絶対によりよい文章になる修正箇所があるのに、どこも直せない、直せると思えなかった。

 先程も書いたように、プロの方に見てもらったら私の文章はとんでもない量の「赤」が入れられるに違いない。だが私は私だけで推敲し続けるしかなく、とにかく、自分にとっての最大限を出し尽くしたと言えた。


 1秒1秒、待っていた。

 たとえば誰かが結果を後から知って「なんだ私受かってたのか。応募してたの忘れてたわ」と言っていたとしたら。怯えていたから、忘れていたと嘘をついていたのかもしれないが。

 でも、でも、だってもう人生かかってるから。もしもそういう姿勢でその方が大賞など取られてしまったら、私は暴れ狂っているだろう。せめてどっしり、「席」に座ってくれよ。それをここに記すことは正しいことではないかもしれないけれど、だって、脳も臓器も口の中も胸のあたりもこんなにぐつぐつとしていて苦しい。

 もちろん受賞した人がどんな方だろうと、どんな文章を書いていようと責めるつもりなんてないし、私にそんな資格あるはずない。ましてやnoteという場所があって、大人たちが真剣に選んで、選ぶ方も胸の中で嗚咽するほど苦しんで——、でも、選んでくれるんだ。そう勝手に想像している。現場を見たこともないし、私はnoteの中の人たちで親しい人はひとりもいないけれど、ずっとそう信じてる。信じていないとやっていけないよ。 


 結果より、過程が大事だ。言いたいよ。それが"本当"だよ。そう思う。でも自分の納得した結果を摑む前に「過程が大事だもんね」と抱え続けて冷静に歩めるほど私は強くなかった。10月の最終結果発表がどんな結末を迎えようとも、そして私は、夢のような出版を果たせたとしても「結果」を求め続けて嗚咽するだろう。なんか、それがぜんぶ、わかってしまって生きることそのものが苦しい。


 それでも、自分を出し切れたことが今回、一番大きかった。

 "消去法での道"から進化し、私は"自分で選択した道"を歩んでいたことに気づかされる。読まれなくて当たり前。読んでもらえること、当たり前では決してない。寄り添いの言葉コメントをいただけたら、頭を地面に擦り付ける勢いだ。唾を飲み込むのを忘れても、感謝を、尊敬を、反省を、忘れてはならない。

 仕事から帰ってきた妻となるべく冷静に、私は喜んだ。だって、中間選考を通ったくらいで私が涙を流してしまうのであれば、先が思いやられ、不安に思われてしまうかもしれないだろう。

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 翌朝。私は呼吸を落ち着かせたつもりでいた。

 いつも通り茶碗にご飯を盛り、卵を箸でかき混ぜるが、思うように力が入らなかった。


 妻の瞳を見る。私は、零してしまった。

 やった、やったんだ、と。これは本当に、すごいことなんだよ。これからも、やっていくよ、と、気づけば私は妻の腕を跡がつくほど掴み、黄身は水滴で薄まる。ふりほどかれることなく、手の甲を撫でられていた。その時間は数分と続いていただろう。

 ありがとう。助かっている。救われている。変わっていくよ。やはり、テーブルの座る位置をL字型にしておいて、よかっただろう。

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