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私の敵は、私です
「お前異常だよ」
つまらないことに、いつまでもこだわっている。
ぜんぶ私は、他人の材料を見たり、手に取ったりしないと自分を評価できない。比べている。疲弊し、自分が未熟であることの証明で必死になる。逆に自分の調子がいい時、自分より低い位置にいそうな人を眺めては、どこか安心していた。どちらにしても私は未熟だっただろう。なんというか、全てにおいて浅はかである。
「自分らしく生きましょう」
そう誰かが言った。私もそうしようと思った。だけれど、私の自分らしさは、怠惰だったり、卑屈だったり、自己肯定感が低かったり、マイナス思考だったり、落ち込みやすかったり、報われたいと思うのに行動できなかったり、夢を諦めるのに必死だったり、やりたくないことこそ、すすんでやろうとするところだったり———
いくらでも出てくる。私の自分らしさ。さあどれを前面に携え、生きていこうか。そんな前向きな気持ちでいるのに、まぶたのあたりに、ぶくぶくと水が溜まっていくのはなぜだろう。
* * *
「これやっておいてくれ」
そう上司に言われた。私のまだ苦手な仕事だった。仕事を振っていただいた瞬間に、ちゃんと聞かないと。わからないところがたんまりとある。メモもとって、いつも上司の話を聴いているけれど、ついていけない。同期は皆当たり前のようにこなしている気がする。どうしてこんなに私はできないのだ。
「お前こんなのもできねえのかよ」
私の後ろを通り過ぎるついでに、先輩に言われた。表情は見ていないけれど、うすら笑っていただろう。ほんとそうですよねと、また私はうすら笑った。胸の前の皮膚が開いて、中にある名のつけようのない感情がぼしゃりと出てきてしまいそうだった。そのぐちゃぐちゃの、きっと内蔵みたいなもので、書類もキーボードも全部駄目にしてしまいたかった。
もっと振り切って、弱い自分をさらけだしたかった。そしたら"うすら"ではなく、皆笑ってくれるかもしれない。私は必死で戯けた。それでも、どんな所作や言葉を取り扱っても、ぜんぶ、濡れている。だから引かれてしまう。気持ち悪がられてしまう。
もうとっくに、自分が弱いことは見透かされているのに、聞くことができなかった。断ることができなかった。「できない」と言えば、きっとみんなに弱い人間だと思われる。私は、そんな風に思われる自分が怖くて仕方がなかった。
仕事終わり、飲み会に参加してみた。というか、私が幹事だ。皆の粗相を拭き取る、私はボロ雑巾のようにせっせと動いた。汚れたって役に立った。「捨てる」とわかっている、そのつもりでいる雑巾だと、結構気軽に使えたりしないだろうか。お気に入りのハンカチで、溢れた醤油やソースを拭いたりしない。上司も先輩も、そういうハンカチをみんな持っているのに、私の汗や涙は拭いてくれなかった。かわいくて、頑張り屋さんのあの子をいつも丁寧に拭いていた。
私は新入社員だから、みんなの注文を取ったり、お酒を注いだり、焼き鳥を串から外したり、上手に笑わなければいけない。
周りは自然体で楽しんでいるのに、私は居心地がわるくて、その「居心地がわるい」という思いすら、私はスリッパのようなもので引っ叩いた。
「足、崩していいんだぞ。今日は無礼講だ」と言う上司が、私をどす黒く審査しているような気がして、私の足の神経は死んだ。酔っているふりをして、また情けなくなって、吐き気がして、トイレで便器の穴と、時が止まったかのように重なり合う。
朝の4時。タクシーに乗る上司を、先輩を見送った。見送ったけれど、誰も私の顔を見ていなかった。「おつかれさまでした」という言葉が、幽霊のように消えていく。誰も、私がいることに気づいていないみたいに。
家に帰った。あと2時間後、私は休日出勤をしなくてはならない。なぜなら私は弱くて、仕事ができないからだ。少しでも仕事を進めておかないと。クレーム処理もぜんぜん終わっていない。誰かを怒らせたままでいるというのは生きた心地がしない。払うべきお金が払えていない。どうせ破られるのに見積書を作ることを、もうしたくない。だけれど、それくらいしか私にできないのであれば、するしかない。私は弱いと思われることが怖いから。
熟れた果実を手で握りつぶすようにして、目を瞑った。とにかく強く、目を瞑った。ただ様子がおかしい。
家に帰ったら涙が出るかと思ったのに、涙が出てこなかった。涙が出てこなかったのが怖かった。私は今きっととてもつらいだろうに。だから泣いてしまえばいいのに。私は、涙すら枯れてしまった。でてくれ、でてくれと心の中で叫んでも、眼球は砂漠のように凍てついていく。
* * *
私は会社を退職した。
鬱になって、パニック障害を患って、何ヶ月も休職したのち、辞めた。
死んでいるみたいに生きていた。映像も、本も、景色も、鏡も、何も見れなかった。何も生み出していないし、何も働いていないのに、生きてしまえた。私の分まで汗水垂らして働いている人がいるのに、私はじっとして、冬の石ころのように冷たくなっていた。
病院は薬を出してくれるけれど、たいして話は聞いてくれないし、カウンセラーは聞いてくれるけれど、薬を出してくれないし。誰もわるくないのに。私だけが悪いのに。私の、働けた気がして、それで得たお金がどんどんと吸い取られていく。なんだこれ。この人生、なんだ。私には好きなことが何もない。何の得も価値もない文章を書くのだけは得意だ。駄文で苦しい。
「大丈夫だ、今のままでいい」
そうどこかで聴いた、誰かが言ってくれそうな言葉を自分の口で言ってみた。何もせず、ただ死ぬこともできず、ただただ存在しているだけ。働いてもいないなら、叫んでみた。大丈夫。大丈夫。今のままでいい。誰も言ってくれないから。誰かが言ってくれたかもしれないけれど、耳が、鼓膜がちぎれてどこかにいってしまったから。身体中の信号に砂嵐が走っている。絞って、絞っていく———
そしたらやっと、またでてきた。
やっとでてきた。髪の毛が落ちて、埃が落ちて、ずっとそのままだった汚い床に一滴、落ちた。落ちてくれた。安心したら、もう海になっていた。
大丈夫。私は大丈夫。誰もこの部屋にいないけれど、大丈夫。私は闘っている。誰とかはわからないけれど、闘っている。闘っているよね。わからない。だって、独りなのにこんなにつらいなんて、考えられないじゃないか。
かたい床に額をつけた。
どうしてこんなに深く沈んでいってしまうの。どうして今更出てくるの。遅いよ。溺れてしまうよ。そんなかんたんに強くなれたり、受け入れられたら苦労しないよ。やっぱり私は弱い。私は、光かがやくような文章が、どうしても書けない。私は私のままで十分素晴らしい。私は私のままで十分素晴らしい。私は私のままで十分素晴らしい。どれほど唱えたって虚しくなるだけだ。違うよ。そういうことじゃないみたいな、やさしいふりしてそばにいてくれやしない人間の目が怖い。それもぜんぶ、あなたはわるくない。私の敵は、私です。
誰かの瞳に自分が映ると、それだけで、責められて、見透かされて、心を根っこから手でむしり取られてしまうような恐怖があった。「大丈夫?」というやさしすぎる言葉すら、私は咄嗟に手でのけるように体を動かしてしまった。そんな自分を認識し、相手を傷つけてしまったかもしれない現実に、脳みそが、焼け焦げてしまうくらいに。このままぜんぶ、落としていってしまえば楽なのに。それすら許してくれない。いや、許さない。だって私はこんなに頑張っているのに。たくましいのに。麗しいのに。私は自分が大好きで、愛らしくて、こんなに、苦しい。中島みゆきの『ファイト!』を掻き鳴らす。
自分がどうしてこんな人間になったのかよくわからない。あたたかく、つめたく、いろんな風に育ててもらったけれど、どうして私がこんなに弱さを見せることに恐怖を覚えるのかわからない。理由がわかる人が羨ましいのに、誰かに私のこの気持ちの理由を決めつけられるのも怖い。
かなしいわけでも何でもないのに涙がでてくるようになった。新卒で鬱になって、私はあれからも何度も鬱になって、今は30歳を越えて、こんな文章を書いている。
「弱かったら駄目なんですか」と声を荒げそうになったけれど、誰も私のことなんて責めていなかった。ぜんぶ、自分で責めていた。誰かに責められているせいにしてしまいたかった。泣いている理由を、他者のせいにしたかった。自分で認めて、抱きしめてあげられなかっただけのことが、人生に、山ほどある。
はやくじぶんを、たすけてあげたい。
私を救えるのは、私です。
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