見出し画像

一度鬱になると、自分の「本体」がわからなくなる


 鬱をまだ「落ち込む」くらいに思っていた頃、私はあかるかった。

 べつに、虹のように色鮮やかな心の持ち主ではなかったし、皆を引っ張っていくような麗しさもなかった。ただ人前では笑みを朗らかにこぼし、気の合う友人がいて、たまに愚痴を吐きながらも、与えられた課題に挑む心の体力があった。

 学生時代、私は学級委員を何度も務めていた。

「誰か学級委員やってくれないか」と年度の始めに先生が呼びかけると、おおくの人が私の方に目を向ける。

 期待されていた。

 ただこの「期待」に込められていたものは、私の類稀なるリーダーシップだとか、意見をまとめるのが上手だとか、皆に愛されているだとか、そういったものではない。というかそもそも、私はそのようなものを持ち合わせていなかった。"汚れ役"、頼むよと言わんばかりに、差し出されていただけだった。阿呆だった私は、まんまと、この「期待」が煌めくものだと勘違いしていた。

 月日が経ち、私は就職を果たした。

 私はまた期待されていた。またここでも、勘違いをした。

 入社試験の筆記の点数は高かったし、面接でもかなりのアピールができた。入社前、同期の集まりでグループワークがあったのだが、そこでも私は積極的に舵を握り、皆を引っ張っていた。快活な表情を見せ、私は生き生きとしていた。人と会話することがものすごくたのしかった。コミュニケーションを好んだ。これが「私」だ。と思っていた。

 だが私が適応できたのは、そこがまだ「学校」みたいなものだったからかもしれない。頑張っていたら褒めてもらえた。積極性があればいい。手を上げると、皆が拍手した。私が喋ると、皆こちらを向いてくれる。"内容"が重要だ。

「社会」は違った。

 頑張っているかどうか、あかるいかどうかは途端に重要ではなくなる。暗かったとしても、数字を手にし、それを持って帰って来られる人間が賞賛された。私に能力がなかったというより、自分の履いた高すぎる下駄からの降り方がわからなくなってしまった。さらには履かされていたことにも気づかず、足元のぐらつきは日々激しさを増し、狼狽した。賑やかしているだけの私は、ここが日向だと勘違いしながら、陰で踊るピエロのようだった。


 だがこれら、私が受け取っていた景色は、本当に真実だったのだろうか。期待だとか、学校みたいとか。社会だと内容や過程は評価してもらえないとか。それら全てが本当に当てはまっていたのだろうか。私が勝手に問いを作り、気に入らない回答を自ら導いていたのではないだろうか。

 書いていて頭が締めつけられるように痛い。せめて人にやさしくありたいなどと思っていた自分は、もしかするととてつもない、自分にも相手にも配慮のない化け物だった気もしてくる。

 私はあらゆることを比べ、他者より自分が優れていれば、人にやさしさを渡すふりをして、見下していたのかもしれない。劣っている自分を認識することで、他者を心の中で責めていたのかもしれない。だめだ。書けば書くほど、私は自分自身がわからなくなる。だけれどこの手を止めることができない。

 思い込みのはげしい私は、鬱が育ちやすような土を耕していたのかもしれない。

 職場環境が劣悪だった時もあっただろう。だがその後、私はなるべく穏やかな職場を探し、事実そういった場所に辿り着けたこともあった。だがどこへいっても鬱になった。私は陽だまりを見つけて飛び込む小鳥のようにして、嬉々と苦しみの渦中に足を入れていたようだ。

 鬱になるたび、私は「自分」がわからなくなった。鬱の時、基本的にひとりで過ごしていた。一人暮らしの部屋で、私はあらゆる自分の感情の真偽を確かめようとする。

 あの日笑っていた私は、本心だったのだろうか。あの憤りは、私自身から生まれた正当なものだっただろうか。あの日の悲しみは、過剰だったのではないだろうか。私は深い海に潜るように息を止めた。溺れ出した私は、天井を見上げ、ただただ目から水を零した。それだけで一日疲れ切ってしまった。もう鬱になる前のように笑ったり、怒ったり、泣いたりできない気がした。私は確かにこの体の中で意識を持っているのに、信号をいくら送っても動いてくれない。私は自分の「本体」がいつもわからなかった。

 
 たったひとりで、何ヶ月、何年も部屋で過ごしていると頭がおかしくなってくる。笑いながら涙が出るようになった。哀しいのに、苦しいのに、物に当たっていかった。カレンダーをめくれないから、今日が何日かわからないどころか、何月かもわからない。身体は老けながら、精神は幼くなっているような気色の悪い季節だった。


 生命の危機に陥り、やっとご飯を食べようと思った時、私は冷凍食品のナポリタンを電子レンジに入れた。温め終わったそれを取り出す。だが体にうまく力が入らない。私はナポリタンを皿からひっくり返すようにして床に落としてしまった。その時、私は大きく笑って、裂けるように憂いた。

 床に落ちたナポリタンを皿に戻さず、床に落ちたまま手で掴み、それを口に入れた。

 血のような味がした。臭くて、苦くて、いがいがした。それでも生きるために完食した。この姿こそ、私の「本体」なのではないかと思った。どこまでもどこまでも、醜い自分を持ち上げることでしか、私は生命を保っていけなかった。

 そして私は貯金が尽き、また働きに出た。何も治っちゃいない。それでも働いた。また鬱になった。ナポリタンを食べた。私はよく笑い、よく泣き、よく自分に対して怒った。雨風を凌ぎながら、飯を食らい、通報されない程度に衣服を纏うことが、おぞましいほど難しい。私は今でも、自分のことがとても嫌いだ。

 毎日「死にたい」と思いながら働いていた。

 鬱とか鬱じゃないとか抑鬱状態だとか、こまかい分析などしている間もなく、生きるために生き、死ぬことをしたことがないから、存在するしかなかった。

 あらゆる、人の話を聞く余裕がなく、生きている、全てが憎かった。髪の毛も抜けた。叫び、喉も潰れた。耳の奥がちぎれるように痛んだ。脳内から常に異音がした。

 それでも、それでも、私は人にやさしくできる自分が、とてもすきだった。それが自己犠牲の上に成り立っていたとしても、私の手放せない、大事な「本体」だった。勘違いしていたって、私はあれだけ魅せていたじゃないか。

 私は棘を出しながら、日々自分を抱きしめ、刺していく。血のような匂いがしたが、それもまた愛する自分の一部だと誓って。


いいなと思ったら応援しよう!

詩旅 紡
作家を目指しています。

この記事が参加している募集