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妻のネックレスを修理して、心の傷のなおし方を覚えていく


「どうしよう…」

 駅の化粧室から、しおしおと妻がうなだれながら歩いてくる。先日ふたりで役所に行く用事があり、その帰りでの出来事だった。

「切れちゃった…」

 手で集めた砂をこぼさず持ち上げるようにして、その手のひらには小さく丸まったネックレスがあった。ふたりで出かけるときに妻はよくそれをつけてくれる。小ぶりだが、それがいい。風によく揺れ、笑顔の光が煌めき反射する。「似合ってる?」と毎度言う妻を見るたび、笑わせないでくれと穏かに思っている。


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 今年の7月、私たちは結婚した。

 結婚指輪は妻と一緒に買いに行ったのだが、それ以外にも私は妻に何か贈りたいと思っていた。10年前は鬱病×パニック障害。電車の踏切の前で生きるか死ぬかを苦悩していたのに、まさか私の人生にこういった時間が訪れるとは想像もしていなかった。

 私はいまも幸せに怯えている。

 いそいそとひとりで慣れないブランド店に足を運び、丁寧で、あたたかな接客を受けた。購入したネックレスを鞄にしのばせ、家の気づかれない所にそっと仕舞っておいた。私は入籍した日の夜、サプライズでそれを渡していたのだ。

 ほんとうによく似合っていた。当然である。私が選んだのだから。誰彼かまわず自慢して回るわけではないのだから、ここでくらい誇示させてほしい。どれくらい似合っているかといえば、俳優ではない私が、そのネックレスをつけた妻を想像しただけで涙をこぼせるくらいだ。一生、その姿を見せてくれと思っていた———


 そんな、私の愛した妻は正直で爛漫らんまんである。では先日の駅の化粧室場面シーンに戻ろう。


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「ごめ〜〜〜〜〜ん!!」

「ちょっとシャツから前に出そうと思ったら、すんって切れちゃったの。ほんとうにごめ〜〜〜〜ん!!」と妻はいつもの調子でいたから、私も朗らかでいられた。もともと結婚指輪を手にしたときも、なくしてしまったときは正直に言おうねとお互いで話していたところだった。それもあってか(?)、妻はすぐに報告してくれた。


「ちゃんとすぐ教えてくれてありがとう」

 そう言葉をこぼした自分に、違和感があった。「そりゃあ言うでしょうが!」と言う妻を見ていると、私は自分のおかしさに徐々に気づいていく。


———— 言えない。

 私が妻の立場だったらもしかしたら、すぐに言えていないかもしれない。ずっと私は"言えない人生"だったから。


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「契約できるまで帰ってくんじゃねえ!!」

 そう怒鳴られて会社を弾き出されていた10年前の私。これが普通だと思い、乗り越えていけない自分は"おかしい"のだと思っていた。

 新卒で入った会社は、売上至上主義だった。そんなこともわかって入社していたし、私ならやれると謎の自信に昔は満ち満ちとしていたわけだが、ほんとうに勘弁してくれと未来(今)の私が言う。

 毎日ボロ雑巾のように扱われ、残業を繰り返し、休日出勤もザラ。「明日までにこれ、できるよな?」と聞かれれば、「できます」と震えながら答え徹夜でこなしていた。涙を流し切った目はよく乾いていて、まばたきをするたび地割れした目尻が痛んでいたのをよく覚えている。できない人間、弱い人間というレッテルを貼られるのが至極怖かったのだ。もうとっくに、そうだったというのに。

 弱音を吐けなくなった。「できません」と言っても良いことを、もろく、知らなかったのだ。


「まさか、もう限界?」
「まさか、泣きそうになってる?」
「まさか、この程度でつらいなんて思ってないよね?」

 言われてすぐさま否定した。上司はわらっていた。

 ほかにも、部署で社用の鍵が紛失したときには「まさか、鍵がなくなったなんて言わないよな?」と支店長に詰められ、血眼になって部署全体で探し回った。スーツにつける社章をなくした先輩は、メルカリで10万円で売られている同じものを買っていた。


「なくしたって言うより全然マシだ」

 先輩はそう言って笑い、酒を飲んで忘れようとしていた。「今日も付き合ってくれよ」と言われ、私も朝まで飲んだ。つまみはなかった。つまみにされていたのかもしれない。私は何かを我慢し、隠し、それは土砂のように日々堆積していった。そんな私を尻目に、先輩は生きるのがむごく上手だなと思った。

 そういう「世界」で染まっていた私の心は、10年経とうがなかなか簡単には剥がれてくれない。別に私の今の性格のようなものを、誰かのせいにしたいわけではないが、あの頃の出来事のせいにすることでしか、私は結局いま、平静を保てないのかもしれない。



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「これ、なおせるのかな」

 切れてしまったネックレスを妻とふたりで凝視する。「絶対なおす」とすでに私は心に決めていたわけだが、実際になおせるのは私ではなく技術者なわけで、私たちはネットでなおし方を調べていった。

「お店でなおしてもらえるっぽいね。今度行ってくる!」

 そう妻が言った。ただなおせる店舗が限られているかもというのと、妻は仕事が忙しいという話を無理くりつけて、私が後日行ってくるということで話がまとまった。妻になおしてもらいに行くのは気が引けたし、ふたりで行くには仕事の関係で日程が先延ばしになってしまう。何よりこのネックレスを贈った私がすぐに足を運んでなおしに行きたかったという気持ちが大きい。この思い、なんとなくでも伝わるだろうか。

 夜も近いし、今日は帰ってご飯を食べよう。ふたりで並んで、いつもの帰り道。正直で、逞しい妻を横目に、「私もそうなれるだろうか」と心の隅で私は零していた。


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「いってらっしゃい」

 翌朝、いつも通り会社へ向かう妻を見送った。

 私はというと適応障害で休職中の日々だ。10月末で退職するため、実質無職と言っていい。やることが明確にある、というのはいまの私にはかなりの安心材料であった。家事を適度に済ませ、私はまたあの慣れないブランド店へ向かうべく、電車へ飛び乗っていた。


 目的の駅に降り立っただけで、7月の情景が鮮明に思い出された。

 極端に都会なその街は、私を簡単に非日常の世界へ連れていってくれた。ほんとうは刺激を求めている性分であるが、しょっちゅう傷ついている自分との矛盾に苦しんでいる。

 目的のブランド店、その脇のあたりまで到着した。

 ふぅとまずは一呼吸置いた。初めて向かった日はそれはそれはとても緊張した。30歳も越えてブランド店で恥じらっているなんてみっともないかもしれないが、私はこういう自分が実は嫌いではない。

 2回目の来店。初めてのときより、幾分緊張感がなかった。私はなんともスマートに店に入っていく。気弱だが、わずかな自身の成長でほころべる、そういう自分も実は嫌いではない。



「ご来店ありがとうございます」

 そんな風にまずは言われたような気がする。正確には覚えていない。スマートを装っているだけのため、余裕があるというわけではない。「ネックレス、ナオシタイ」とつぶやくだけの私にも蔑む表情を一切見せずに笑顔でスタッフさんは対応してくれた。これこそ真のスマートである。感謝しかない。


 奥のテーブルまで案内され、私は引かれた椅子におどおどと座る。私はネックレスを取り出し、「なおりますか」と自信なさげに提示する。そんな私を見て、スタッフさんは神々しい雰囲気で私に言葉をくれた。

「大切なネックレスをお持ちくださりありがとうございます」


 なおしてほしくて来ただけなのに、とても、それはとても感謝された。修理代がかかるので私は当然「お客様」なのかもしれないが、それでも私には違和感を覚えるほどやさしい言葉だった。それはきっと、切れてしまった、傷ついてしまったことを正直に伝えた経験の浅さからきているのかもしれない。"壊れたこと"を報告するのは、ひどく恐怖だったからだ。


「まさか、壊れたなんて言わないよな?」


 あの頃の記憶がフラッシュバックした。手足が震え、冷や汗がどっと吹き出してくる。壊れたことを隠して、嘘を渡す。その類いの過去の映像が再生される。「限界です」「私にはできません」「心が、壊れてしまいました」。全部言えなかった。言わせてもらえなかった。深い傷として残り、行方もわからなくなっている。


「切れてしまったこと、伝えに来てくださりありがとうございます」


 過去と現在の映像が何度も切り替わる。いま現在、目の前にいる人は、私に感謝をしてくれた。壊れたのは私なのに、あなたはとてもやさしそうに見えた。

 色々とネックレスの細部まで確認し終えたスタッフさんは「なおせます」とそう柔らかく言葉をくれた。

 なおる、とは思っていたが、実際になおることがわかった私は不器用に息を漏らした。お金は関係なく、買い直したくなかった。"そのもの"がちゃんとなおる、それだけで安堵して涙が出てきてしまった。


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「言っていいんだ…」

 店を後にした私は電車に揺られながら、ネックレスとは別のことを考えていた。苦しいこと、痛むこと、私はいまもまだ上手に人に伝えることができない。

 相手の顔色を伺って、嘘で乗り切ろうとした。帳尻を合わせようとした。元気がなくても元気なふりをした。できなくても、できるふりをした。心が壊れていても、壊れていないふりをした。そうした方がその場が好都合で、隠し通せたら、自分が弱いことが暴かれない。けれどもその暗示と逃避は、いつも脆かった。醜い自尊心も混ざっていたかもしれない。


 それらでうまくいくことも多分にある。

 だけれど、言い合える仲、生活、職場、家族、社会をつくっていく。自分自身もその世界に足を踏み入れ、健やかに肥大させていく。

 人を頼っていい。そしたらまた、自分が誰かのためにと動ければいいのだ。しがない私だって10年色々働いてきた。自分に対しては許せなかったが、誰かの心の声を聴くのはとてもお互いを安心させた。私の職場がおかしかったのだ。

 苦しいということ、痛んだことを言ってもいいのだ。これは別に、相手に迷惑をかけることではない。言わないことこそ、誰かの重荷になる可能性もある。壊れたら——、いや、心が壊れる前に言葉を零し合いたい。


 言えない人生は終わりだ。

 これからは、える人生でいたいと想う。

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