反省するのは、自分が"悪い"からではないんだよ☺️
おはようございます☀
つくるでーす!
今日は、"自分ってダメだー!こんな自分は嫌だぁぁ!"って
落ち込んだ時に思い出して欲しいことを、
私自身がこの考え方を知れて、救われたな
世界ががらっと変わったなって思ったことを書きたいと思います。
高橋佳子 著 「新 祈りのみち」を
大いに参考にさせて頂いて書いています。
失敗したときや
思ったような結果が出なかった時、
誰かを傷つけてしまったとき
私たちは振り返りの時を持とうとします。
でも、反省の目的は、
自分自身に"ダメ!" "私が悪い" というレッテルを貼るためにすることじゃないんだよ。
「反省のとき。自らを振り返る時。
それは心と行いの再生のいとなみです。」
自分の未熟を知って、今とは違う新しい未来を作っていくためにするんだ。
今起こっている出来事は、自分に未熟な部分があって起こった出来事かもしれない。
相手の気持ちを考えず、自分の気持ちを通すことに一生懸命だったかもしれないし、
考える範囲が狭かったかもしれない。
だけど、それは「ダメなこと」「悪いこと」
それだけなのだろうか。
悪いことだと思うと、目を背けたくなりますよね。
自分の未熟をダメ!!って思ってしまうと、
すごく落ち込むし、元気が無くなるし、そう思いすぎると、私は体も動かなくなってきます笑
自分には未熟な部分がある、そう思える人は、
相手の未熟な部分も認めてあげられるんじゃないだろうか。
"自分はそんなことはしない!"そう思う時に、相手のことを責めたくなる。
自分の未熟を知るからこそ、
同じ失敗を超えていくことができる、
失敗があったからこその自分に変わっていくことができる。
だから、自分の未熟を知ることってとっても大事なことなんじゃないかなって、
自分の未熟を知れる出来事って、とっても大事なんじゃないかなって思います。(嬉しいことではないかもしれないけど🤭)
「自分のここがよくなかった」「あそこが悪かった」と分かることもめちゃくちゃ大事だけど、
自分の非を口にすることで終わってしまっては、また同じことを繰り返してしまう。
わたしは同じことを繰り返したいのかな?
どんな未来をつくっていきたいのかな?
どんな自分になっていきたいのかな?
自分の未熟な部分って、
そこから色んなことがわかる
ダイヤモンドの原石みたいなものかもしれない💎
自分の未熟を知り、認めて、
相手の未熟も認めてあげられる
自分の成長も、相手の成長も願ってあげられる
そんな温かな世界をつくっていきたいな〜〜て
思います。
そうなるには、私にはまだまだ修行が必要でーす!笑笑
今日も励むぞ💪
読んでくださってありがとうございました🌱🌱