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人間にしかできない仕事ができるようになるには『AI vs.教科書が読めない子どもたち』新井紀子著

「AIができない仕事ができる人間がいない」

『AI vs.教科書が読めない子どもたち』より

つまり、高度な読解力と常識、人間らしい柔軟なコミュニケーション力を持ち合わせた担い手がいないということ。

「いくつになっても読解力は養える」と書かれていますが、その方法はまるで読者に委ねられているようでした。ですから、考えてみました。

私は中学のころから国語の成績が悪く、半分の点数しか取れないことが続きました。他の教科でも、テストの問題がよく理解できず、挙手をして「これ、どういう意味ですか」と質問をしていたくらいです。優しい先生は「こういうことだよ」と教えてくれましたが、手厳しい先生は「書いてある通りです。ちゃんと読みなさい」とピシャリ。今振り返ると、読解力に乏しい生徒だったのだとしみじみ思うのです。

本書には「読書の好き嫌いが読解力には影響しない」と書かれていたことに、正直なところ納得してしまいました。中学のころも、小説や漫画は読んでいましたから…。

ただ、最近になって、なんとなく昔よりも、人と会うのが楽しくなったとは感じています。読解力というのは、文章を正しく読み解くだけの力ではありません。人とのコミュニケーションの中で、相手の気持ちを汲み取るものでもあります。

私なりの見解ですが「興味を持って話を聞く」ことにヒントが隠されているのではないかと考えます。どんな人からも学べることはある、と思うようになってから、自分が無関心だったり苦手だなと感じる分野でも、耳を傾けるようになりました。

「何をしているときがリラックスできる?」
「どんなところが楽しいポイントなの?」
「それはいつから初めて、今はどのくらいのペースでしているの?」

質問ばかりすると、相手も疲れてしまうので注意が必要ですが、口に出さなくても、こんなことを考えながら、話を聞いていくと人となりが見えてきます。楽しそうに話す姿が、その人の本来の姿だと、私は思うのです。

仮に読書ができなくても(もちろん読書のリットは様々あり、した方がいいに越したことはないのですが)人との触れ合いで、読解力やコミュニケーション力は向上していけるのではないかと考えます。

私のそれらが向上したか否かは、テストを受けたわけではないので、本当のところよくわかっていません。しかし「相手も楽しいし、私も楽しい」それが一つの判断基準となっています。AIは「楽しい」とは感じることはできませんので。


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