エッセイ|夢のアンソロジー
窓を開けると、蝉の声もずいぶん遠くなっていて、今朝の風は次の季節の匂いをほんのりと乗せていた。
深く深くゆっくりと息を吸って、長く長くゆっくりと息を吐く。
ふだん無意識にやっていることをしっかりと味わうように繰り返してみる。
目を閉じ、風を感じながら。
一日のうち一回はこうゆう時間を取るようにしたい。たった三分でいい。呼吸を意識することは、今ここに在る自分を感じることだから。
ふわあああ。
さっき起きたばかりだというのに、すでにもう眠い。毎日ねむい。寝ても寝てもねむいのだ。
わたしはよく眠る。
眠れない夜もあるけれど、昼間はとにかく眠い。
昔のわたしは、たとえ仕事が休みで家にいても、昼寝だなんてとてもできない。なんかザボっているみたいで罪悪感を感じてしまうから。
頑張らない自分はダメな自分。
怠惰な自分を許せなかったから。
しかし今は、時間が許す限り寝たいときは寝る。というスタイルを自分に許している。そうできるようになるまでは時間がかかったけれど。
でも基本的には眠りが浅い。
だからよく夢を見る。
現実ではありえないような登場人物のコラボレーションに笑ってしまう。そしてシチュエーション。夢ってそこがおもしろい。夢を見ながら途中で、「あ。これ夢だな」って気づいている自分がいて。夢の中で夢と気づきながら夢を楽しんでいる時間が好きだった。
目を開ければ一瞬で夢から覚める。
だから怖い夢ならすぐに目を開けてしまえばいい。素敵な夢なら、そのまま目を閉じて物語の続きを楽しむことにしている。
最近は、遠い記憶の中の懐かしい人達がよく登場する。
きっともう会うことのない人やもう絶対に会えない人。そういう人達が昔のまんまの姿で登場するのだ。そしてそこにいる私も昔のままのわたし。かと思えば、シーンは幼少期であるのにそこにいるわたしは今のわたしのままだったりとか。
夢ってほんとに自由だ。
夢の中で、「匂い」を感じることがある。
匂いは、記憶と直結しているから遠い昔の記憶に似た夢を見た時は、必ずその時の「匂い」もセットでやってくる。そういう時ってたぶん、確かにあった「あの頃」に連れ戻されているのかもしれないと思った。
時間という概念はこの地球だけ。
そもそも今という点が散らばっているだけの世界なのだから、過去や未来を行ったり来たりするのはもしかしたら思ったより簡単なことなのかもしれない。現にパラレルを行き来できる人もいるのだから。
だけど。
わたし達は「今」という一瞬を味わうためにこの地球に来たはず。だからやっぱり、今は今を今、楽しむことにしている。
#なんのはなしですか
わたしは時々、夢ノートを書いている。
今日もまた本を読みながら、うとうとしてしまって。夢を見ていたのはたぶん、ほんの数分だったと思う。その数分の間に私は、いくつもの夢を見た。
シーンも登場人物もそれぞれに違っている。でもその何編もの物語の中で私は、ちゃんと"わたし"を生きていた。泣いたり、笑ったり、怒ったりして。
目を開けるとそこで物語は終わる。
鮮明だったシーンたちはどんどん薄れていく。あっという間に薄れてしまうから、覚えておきたい夢はすぐにノートに書き留めておく。記録として。素敵な夢ならば、また見れますようにと祈りを込めて。
たぶん見返すことなどないのだけれど。
だって私達は、今を生きているから。
今しか生きられないのだから。
きっと夢だって、見ている瞬間だけが今で。
夢も現実も新鮮な今だけを味わっていたい。
夢を書き記したノートがいつかわたしの夢の欠片でいっぱいになった時、それが夢のアンソロジー小説のようになっていたらいいなと思う。
その時はきっと読み返すだろう。
途中眠くてウトウトしながら。
夢と現実の隙間をウロウロしながら。
さて今夜はどんな物語を生きてみようか。