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写真日記

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2023年9月の記事一覧

時間

時間

極端な二択を選び悩むことに時間を消費してしまい、結局気力が尽きて選択を諦めることがある。何をするか、何をしたいのかばかりを考えていると高い目標に対する自分の点数をつけ始める。期待を越えようと無理をしたり、偏った理想で自分を縛りながら行動することは末広がりの未来を臨むには必須かもしれないが、時間には限りがあるのも事実だ。

不完全

不完全

帰る予定を考えられる山は散歩気分で入ることができる。疲労の回復は後回しにしてひたすら歩けば良い。そうやって気ままに立ち寄って構わないと判断する傾向がある。一方、身構えて挑むような山へ向かう前日は満足に眠ることができない。万全な状態で入ることができないからこそ、異なる視点や考え方に対してより寛容になる。自分の弱さや不完全さを痛感してより崇高でありたいと強く思うことは生命活動における最大の原動力だ。

反抗

反抗

所詮僕ら一人一人の力は小さく、心の底で互いに頼りなく思うのは仕方がない。でも、そんな瑣末な存在を己が利のために供するかのようなやり方には徹底的に反抗しなければならない。たとえ表立った行動ができず、影響力が皆無であれ、変貌していく景色の片隅に存在さえし続ければきっと良い巡り合いがあると信じている。

旅路

旅路

高い山を登るには時期を選ばなければならない。山に関して無知である以上、登らないという選択を常に宿していなければ、いつか大事なものを失ってしまうだろう。今五体満足で歩けていること、歩きたいと思えることは誰かの血と汗、力と技術、計算と偶然に助けられているからだということを忘れてはいけない。確かに憧れや挑戦は美談にするに易い。ただし、手の加えられたものを避け、全て自力で乗り切ることは能力的に不可能である

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天候

天候

天候なんて予想しても予報に従っても、結局分からない。空の色、雲の顔色を窺って動くのは窮屈極まりない。リスクなんて常に測るものなのだから、とりあえず外の世界へ出るべきだ。撤退する道が残っている限りは進まなければ何処にも辿り着かない。

露

露垂れる水辺を駆けているうちにすっかり頭が冴えた。太陽が昇ると次第に霧が晴れ、蒸し風呂のような暑さが戻る。さっきまでの静けさは何処へやら、逆さ富士が揺れ、生き物が活発に動き始める。そんな朝を迎えれば良い一日にせざるを得ない。

脈

立ち枯れたような木でも、その芯に脈を感じる。頑強な根が周りの岩や渇いた土を掴んで幹を立たせているのだろう。触れることで覆る印象があるなら、一生知り得ない真実が足元に潜んでいることも否定できない。

位置

位置

景色を見下げる位置に立つと、世界が縮小したと体感しやすい。自分がいつにも増して優れていると信じ込んだ結果、見当違いな解釈をしたり、不毛な争いを起こす大人はどこにでもいる。観る角度と距離の違いで何がどう変わるのかを知り、無力ながらも過去の自分より楽しむ術を得ようと足掻いた経験こそ評価するに値する。

羽

迫る雲よりも高く背負い上げた荷物を降ろした瞬間、岩の感触だけを両足裏に残して体重が消えた。擬似的に宙に浮いたその状態を浮世離れと称することは誇張のしすぎだろうか。僕の目には誰もが羽を伸ばしているように見えた。

命

枯れたような見た目だからといって何も考えず水を加え続けても、それが本当に意味のある行為だったかを問えば、大抵は運だと言えてしまえるほど効いている確率が低い。たまたまそこに新芽が芽吹いていれば命が巡るのだろうが、如何なる死もその事実を覆すことは不可能だ。

偏り

偏り

人間は何に対しても本能か理性のどちらかで判別している。ただし、本能と理性は並行して存在し得るため、主観的な偏りもそれに基づいて実際に体現する行動も人によって大きく異なる。同じ時、場所で一つのものを見聞きしたとしても意見の食い違いや対立が発生するのはちっともおかしなことではない。よくある他人との温度差もどちらに偏って物事を捉えているかに依る。

武器

武器

大人になっても未だに強くありたいと思い続けている。子供の頃は気が向く方へ進むことに限度があった。親の責任下でやる気の起こらないことにも努めたが、中途半端で無気力な状態で成功できるほど世の中は甘くなかった。そこで出来上がったのが自他ともに価値を認められない僕だ。社会人になってから、何のために存在しているのかが尚更見えなくなり、自分を責めた続けた結果、期待値が下がっていった。それが功を奏したのか、役を

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浄化

浄化

綺麗な姿しか見ていないうちは幸福を得たとしても疑う必要があるし、理想を求めるのはあまりにも早急だ。好きであり続けるには汚い部分を知った上で自分がどこまで許容できるのかを探らなければならない。それは愛し難い要素を如何に肯定的に捉えるかということであり、すなわち矛盾と向き合うことだ。短絡的な欲求の発散は、その世界に住む者に肩の荷を押し付ける行為だと言える。たとえその間に金銭のやり取りがあったとしても、

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適応

適応

手に入らないことを理解した時、ようやくそれを無視できるようになる。どうして今まで懐で温めていたのかさえ分からないほど情熱が薄れている現状は、僕にとって心地よい価値観を修めたとも、負け犬としての生き方に適応したとも言える。それでも稀少で在ろうとする意志を体現することに躊躇しなくていい環境と力量を体得した事実一つだけで、全ての否定的かつ悲観的な観点を一蹴することができそうだ。