謙遜と自己肯定について
長い間、謙遜することが良いと思って生きてきました。
人から褒められても、そのほとんどがお愛想であるから、調子に乗ってはいけないよ、と小さいころから母に教えられてきました。
学校で先生に褒められても、会社で上司に評価されても、「いやいや、私なんて…」とか「〇〇さんの方が素晴らしいですよ」なんていうふうに返すことが多かったように思います。
自信がないゆえに誰かに認めて欲しい、と強く望んでいたはずなのに、律儀に母からの教えを守り、喜びをぐっと噛み殺し、これは社交辞令や、お世辞であると言い聞かせていた自分を、今なら抱きしてやりたい気持ちになります。
そんな自己肯定感が低かった私ですが、社会に少しづつ慣れ、ささやかではありますが成功体験も増えたことで、人に褒めてもらえたときは、素直に「ありがとう」と言えるようになりました。
また自分自身もいいなと思ったことは相手に伝えるよう心がけました。
「今日のお洋服の色とネイルが合っていて素敵だね」
「あなたが居てくれるだけで、周りが明るくなるよ」
「カレーのルーとライスの食べる割合が最高だね」
最後の褒めに関しては、無理やり過ぎて笑われましたが…
大したことを言わなくても、ピンポイントでも、心から出たポジティブな言葉は、場の空気を柔らかくし、温かな気持ちにさせてくれます。
こういう瞬間に出会えたとき、人間ていいな、言語という高度なコミュニケーションがとれる人間に生まれてよかったな、と本気で思っちゃう私は単純なホモサピエンスです。
3、4割くらいの確立で「私なんて」の世界の住人に出会うことがあります。私も人生の大半はそちら側だったので、彼らの気持ちはとても理解できます。
理想に追いついていない自分、他者と比べて劣っている気がする不安な気持ち。誰でも、できなかったり、負けたりするのは嫌です。
謙遜するのは、自分が傷つかないようにフィルターをかけているから。
けれど、その世界にいても成長できないことを私は知りました。
自分は選ばれた人間だから、才能があるから、と自惚れるのではなくて、周りからの信頼を糧に、自分を信じて肯定することで、新たな価値の発見や成長につながっていきます。
そして、その先には素敵な未来があることを、自分の身をもって彼らに伝えていければいいな、と思っています。