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「不惑」を問い直す


主に読書記録です

そして、覚え書きです


佐渡島庸平『観察力の鍛え方 一流のクリエイターは世界をどう見ているのか』(SB新書) 新書 2021

※このページの出典は全て上記書籍です。


著者について

佐渡島庸平
株式会社コルク代表取締役社長。編集者。
1979年生まれ。中学時代を南アフリカ共和国で過ごし、灘高校に進学。2002年に東京大学文学部を卒業後、講談社に入社し、「モーニング」編集部で井上雄彦『バガボンド』、安野モヨコ『さくらん』のサブ担当を務める。03年に三田紀房『ドラゴン桜』を立ち上げ。小山宙哉『宇宙兄弟』もTVアニメ、映画実写化を実現する。伊坂幸太郎『モダンタイムス』、平野啓一郎『空白を満たしなさい』など小説も担当。12年10月、講談社を退社し、クリエイターのエージェント会社・コルクを創業。インターネット時代のエンターテイメントのあり方を模索し続けている。コルクスタジオで、新人マンガ家たちと縦スクロールで、全世界で読まれるマンガの制作に挑戦中。



 著者は編集者の方ですね。

 そして、自分と同世代の方です。


 いきなり脱線ですが、以前は本を読むと、ほぼほぼ人生の先輩のものだったのですが、最近は同世代の方や、あくまで生活年齢だけですが後輩の方々のものが増えてきました。

 自分もいくつか本の原稿を書きましたが、単著ではないので、ただただすごいなぁと思うばかりです。



 この書籍は、「観察」の重要性、「観察」をする上でどのようなことが起こっているか等が、筆者の編集者としての事例を元にわかりやすく述べられています。


 そして、あくまで自分の感想ですが、急に(笑)第5章で核心に迫ってくる、そんな印象でした。

 とても刺さった部分を引用します。


40歳になったときに、なぜ論語で「不惑」というのだろうかと考えた。自分は惑わなくていいような正解を知らないと思った。でも、ふと、そうではないかもしれないと気づいた。あれが正解かもしれない、これが正解かもしれない、と惑わなくなる。それは、絶対的な正解を手に入れるということを意味しない。まったく逆で、「わからないこと」「あいまいなこと」を受け入れられているから、惑わず、なのだ。正解を思い求めるのをやめること。わからないに向き合い続けるのが、不惑、40歳頃なのだ。


編集者が作った本が売れるのも、結果であって、目指す正解ではない。あいまいさを受け入れ、わからないと向き合うとは、目的を手放すことでもある。目的があると、目的が正解になる。わからないへの向き合い方だけに集中する。起きることは、すべてその向き合い方の結果だ。結果を見て、向き合い方を変える。結果を目的にしない。「わかる」は全く理想の状態ではない。「わかる」から遠ざかろうとして、世の中を観察すると、違う世界が見えてくる。


 何だか、今このタイミングで、この文章に出会えて良かったと思いました。


 まさに自分の30代をふり返ると(まだ終わってないですが笑)、正解を追い求めて、がむしゃらに突っ走ってきた、そんな気がするからです。


 特に、2021年に学会誌に掲載された論文は、自分が就職したときからぼんやりと思っていたことを仮説とし、実践、統計を介して効果を明らかにし、一定の理論化を経てカタチにしたものでした。(共著の先生の力をかなりお借りしました)

いわば、10年以上に渡り、追い求めてきた正解にたどり着いた訳です。


 そのため、どこかあいまいなものが許せなかった面が多々ありました。

どんなものであっても、必ずといっていいほど、根拠となる法令や理論を漁っていました。


 ただ、今現在思うのは、それも正解の1つではありますが、例えば自分が論文化した「社会科教育」というカテゴリーにおいても、他にも正解と言われるものは多々ある、ということです

 カテゴリーを「授業」に広げれば、さらに正解は多様になるでしょう。

「教育」に広げれば…

と、いうわけで、ある程度力を入れて研究してきたものであっても、それは自分が向き合ってきたものの結果であって、世界の絶対にはなり得ない。


 それを肌で感じていたのが2021年の後半、そして年末のタイミングでこの表現に出会え、とても腑に落ちました。


 さて、「不惑」の40が足音を立てて近づいて来ています。


 本当の「不惑」に近づけるかどうか、試される1年なのかもと感じました。


とりとめのない記事ばかりで申し訳ないです^^;


最後までお読みいただきありがとうございました★



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