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アイ・アム・キッチンドリンカー | エッセイ
片手にフライパン。もう片手に菜箸、そして時々ビール缶…を交互に繰り返しながら調理をこなしていく。こうした作業もまた、一人暮らしにして独身貴族でいられることの醍醐味なのかもしれない。
私は、今現在勤めている職場に入社して以降も、自炊する日々は相変わらず続いている。物価行動など、一連の煽りを受け続けている昨今の情勢を踏まえたうえで、宅配ピザやファミレスといった外食などを、極力控えるようにしている。
金銭面では何方かと言えば、いまひとつ余裕が取れていない方だと思う。昨年の夏まで私は、およそ半年間無職を過ごした中で失業保険を貰う傍ら、高くついた税金などを支払うために、貯金を切り崩していた。
加えて、年末近くには愛車を入れ替えるという、自分にとって一大イベントもあった。それらのおかげで、自分自身を取り巻いている家計とやらは、もはや火の車にして圧迫寸前といったギリギリな部分で保ち続けている状態だ。
そんな中で、今日も今日でキッチンを前にして、アルコールを片手に調理をおこなっている。本日の夕食は、豚肉と卵のもやし炒めだ。いつからか私は、キッチンドリンカーと成っては調理に励んでいるのである。
前述にあげた献立からにして、少々質素な内容なのかもしれない。それでも、予め備えている食材と咄嗟に思い立った料理で作ろうとするだけでなく、禁断の飲料物に手をつけている以上、心にある程度のゆとりが出てきたのだと思う。
それでいえば、今から数年前に一人暮らしを始めると同時に、自炊をやり出した頃は、ほとんど不安でしかないうえゆとりも持ち合わせていなかった。もちろん最初からすべて、調理する上でのレパートリーが豊富にあったわけではない。
何せ、私は一人暮らしを始める前から、調理の経験は全くと云ってもいいくらい無かったからだ。精々あったとしても、カップ麺に沸かしたお湯を入れるぐらいの、いわゆる初歩的以前のスキルだけしか身に付いていなかった。
そのうえで例えば、火の通りはちゃんと良くできているか、味付けはちゃんと整っているかなどと。まるで、指差し確認でもするかの如く、一から十までの至る所に注意を向けていた。
が、現在も何から何まで器用に作れる自信は、自分で云うのも難だがこれといって無い。手の込んだ料理なんて尚更、一から経験したこともない。実際に作るよりも、近くのスーパーでお勤め品になっているものを買い込んだ方が、お金の面でも時間の面でもコストパフォーマンスが高い…と、今でも勝手にそう思っている。
しかしながらそれらに頼りっきりじゃ、栄養面や健康面でも偏りが生じてくるのは、至極当然のことだ。最近じゃ帰宅の時間帯に寄っても、なかなか思うような品に巡り合える機会が少なくなってきている。
だからこそ節約するならば、調理に磨きをかけるならば、まさにこのタイミングなのだろう。今の自分の手元にある「焼く」「炒める」の他に「煮る」「揚げる
」というスキルが加われば、それこそ向かう所敵なしである。
が…結局のところ「いつか本気出す」なんて、誰かさんのお決まり文句を拝借するように、いつもの手慣れたメニューへと走ってしまう。そして極め付けには「お酒」を呑みながら調理していく所業だ。
火の通り方や加減を間違えていなければ、その後はどうとでもなる。肝となる味付けは、意外と何とでもなるかもしれない。現に、いつも使っている塩胡椒などの調味料の加え方も、芸能界一のテキトー男として知られる高田純次ばりの適当さである。
そんな適当さで持ってすれば、酔った勢いで手の込んだ料理に自然と手が行くかもしれない。なんて思ったが、流石に本やウェブを介してレシピなどを用いて、一通り目を通した方が良いのだろう。
そう思った翌日にはもしかしたら、昨日までやろうと考えていたことを、綺麗さっぱりに忘れているであろう。体の中からアルコールが抜けていくと同時に、情熱が蒸発していくように。
けれど、いつかはやってやろうと意気込みを持ったことを思い出せるよう、此処にひとつ書き記しておくのである。
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