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じょーじ
2024年8月31日 13:56
なんという恵みでしょう。このような景色が見られるとは。なんという素晴らしい日でしょう。皆さんに出会えるとは。ワタシは昔、大罪人でした。ニューヨークで生まれてすぐに親に捨てられました。物心つく頃には、スラムの少年たちがワタシの家族になりました。悪いことはなんでも、皆さんが思いつくようなことはすべてしていると思います。生きるために。生きるためにたくさんの人を傷つけました。
2024年8月22日 17:33
二週間に一度、ぐらいのペースで公園に行って絵を描いた。娘のおかげで全然怪しくない。孤独もない。ブランコぐらい押しますよ。こんなに助かってるんだから。そうすると、学校帰りの小学生が公園の横を通る。絵に引き寄せられるように近づいてくる。「なにしとんー?」「あ! 前もおったおっちゃんや!」「前、ここでギター弾いてたやろー?」僕も有名になったもんである。高学年の女子は、娘のブランコ
2024年8月16日 06:41
俺は天才だった。昔から神童と呼ばれ、村では誰よりも優秀やった。高校に上がって街に出てきた時も、その鼻は折られなかった。だれよりも賢かった。だれよりも勉強ができた。また論争にも負けたことがなかった。京都の大学にトップの成績で入ると、そこでも負けることはなかった。大学闘争の激しい時代だった。経済学の観点から見ると、それはまるで幼稚なものだった。何度か集会に行って討論をした。
2024年8月13日 09:15
大阪の汚ない街で生まれた。小学校に入った頃、父ちゃんが死んだ。おれは死んだの意味がわからんくて、周りがワンワン泣いてるのが不思議で、ずっと父ちゃんの仕事場にあった機械の絵を描き続けた。1年後、母ちゃんが働き始めた。父ちゃんの写真の前で泣くことがなくなった。でもおれと一緒にいる時間も少なくなった。おれは寂しかった。その頃おれはおっちゃんと会った。おっちゃんは黙ってそばにお
2024年8月9日 13:49
「自然農法」そんな言葉が飛び込んできて、僕は飛びついた。肥料も農薬も使わない「ほったらかし」農法だという。これは僕らにぴったりじゃないか。なまけものでルーティンが苦手な僕らに。と、いうことで、あんまり詳しく調べる前に、僕の秘密基地で始めることにした。衝動的なのだ。僕は。とりあえず種を蒔けばいいらしい。「水も肥料もやらなくていい野菜」で、検索をかける。そしたら枝豆が出て
2024年8月7日 00:20
教会にはたくさんの「悩み」が集まるらしい。僕らはあの黒人神父のところに頻繁に通うことになった。教会にはいろんなところから人が集まっていて、おじいさんおばあさんが多かった。それは僕らにとって都合がよかった。おじいさんおばあさんも、子どもに負けないぐらい、友達になるのが上手い。僕は助かった。その人たちの悩みには、あの町工場の小さな発明たちが役に立った(第8話参照)数学女子のセナ