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勉強は最高の娯楽である、という話
こんにちは、シロツサです。
noteを始めて2つめの投稿になります。
このnoteでは、勉強は最高の娯楽であるという話をしたいと思います。
気づいたきっかけ
さっそくですが、タイトルの《勉強は最高の娯楽》は自分が考えたわけではありません😅
僕が尊敬する結城浩先生が以下のようなツイートをなさっていました。
本を書いていると《勉強は最高の娯楽》だとつくづく思う。本を書くために学ぶ。知らなかったことを知る。理解していなかったことを理解する。自分が正しいと思い込んでいたことの誤りを知る。その喜びたるや。《勉強は最高の娯楽》ですなあ。
— 結城浩 (@hyuki) February 12, 2021
このツイートを読んだとき、僕は頭が太平洋の彼方に飛んでいってしまうぐらい激しく頷きました。まさに、「自分の頭の中にはなんとなくあるんだけど、言語化はされていなかった思考」がそこに書かれていたからです。
詳しくは、上記ツイートおよびそのツリーを参照してください。
僕のように「うんうん、そうなんだよなあ」を体験してほしいです。
勉強とは
そもそも、勉強とは一体何でしょうか?
ちょっとだけ考えてみましょう…
もちろん、この質問に対する答えは人によって違うでしょう。
ある人は、試験に合格するためにやること。
またある人は、学校で無理やりやらされたこと。
別の人は、人生そのもの。
他にもたくさんあると思います。
また、同じ人であっても人生のステージによって答えが異なるでしょう。
なので、現在の僕が思っている「勉強」について言語化します。
結城先生のものとかなり近いです。
勉強とは、未知を既知にすること、およびそのプロセスにおける咀嚼と理解である。
言葉足らずなところを説明すると、
・知らないことを知ること。
・その過程においてわからないことを自分なりに咀嚼すること。
・咀嚼し自分なりに噛み砕いたものを自分の血肉とすること。
とこのように勉強を捉えています。
娯楽とは
一方で、娯楽とは何でしょうか?
こちらは勉強よりもわかりやすく、イメージも湧きやすいかと思います。
現在の僕が考える「娯楽」について言語化します。
娯楽とは、心を楽しませるとともに人生を豊かにするものである。
娯楽に優劣はありません。各個人の心を楽しませ、人生を豊かにするものであればそれは立派な娯楽です。
娯楽はすべて一緒くたにされるものでもありません。
一つの区別としては、心理的な刺激による娯楽と、身体的な動作による娯楽に分けられるでしょう。前者は映画・マンガの鑑賞やゲーム、後者はスポーツや旅行などが例として挙げられます。
また別の区別としては、能動的な娯楽と、受動的な娯楽に分けることもできます。前者はスポーツや読書、後者はテレビやゲームなどが例として挙げられます。
自分は、特に能動的な娯楽を好む傾向にあります。
ここで僕は、能動的な娯楽と受動的な娯楽の違いは何か?に着目しました。
この2種類の娯楽を2種類たらしめているものは一体何だろうと。
そして繋がったのです。
勉強だ、と。
勉強は最高の娯楽である
僕の勉強の定義は以下の通りでした。
勉強とは、未知を既知にすること、およびそのプロセスにおける咀嚼と理解である。
すなわち自分が言いたいことは、「能動的な娯楽には勉強が多分に含まれている」ということです。
能動的な娯楽の例として、スポーツを取り上げます。
スポーツには、たくさんの勉強の過程があります。
・身体の動かし方
・道具 (ボールやラケットなど) の扱い方
・ルール
・個々人の戦術
・チームとしての戦略 etc...
また、読書も同じく能動的な娯楽の例でしょう。
・知識の吸収
・内容による思考領域の拡張
・内容を吟味し自分なりに解釈するプロセス
・批判的に捉え方 (クリティカル・シンキング)
もちろん、受動的な娯楽にも勉強の過程は含まれるでしょう。
しかし、勉強の回数が多いのは能動的な娯楽であると思います。
結論
勉強は最高の娯楽である。
すなわち、生きていく上で学び続けることは至上の喜びである。
ここまで読んでくださりありがとうございました!
また、気づきを与えてくださった結城浩先生に心から感謝申し上げます。
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