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イラストエッセイ「私家版パンセ」061 「ルーティンについて」 20241028

 ルーティンというのは、日本語では「日常の決まりきった仕事」という意味です。ちょっと面倒な、義務的なニュアンスがあって、昔は余り良い響きがなかったように思います。
 今は、打席に立つ野球選手が、集中力を高める動作として、プラスの評価がされるようになっていますけれど。

 判でついたような生活。
 毎日同じことの繰り返し。
 毎日同じ時間に同じことをする。
 ぼくはこれがそれほど嫌いではないんですよね。
 ルーティンに固執する生活ですぐに思い出すのは、イギリス人の生活です。例えばアフタヌーン・ティー。1年365日、三時にお茶を飲む。アフリカのジャングルを探検中でも、戦争の塹壕の中でも決して欠かしません。
 あるいは、哲学者のカントの日常は余りにも時間通りだったので、彼が散歩する姿を見て、人々は自分の家の時計の時間を直したと言われるほどでした。

 若い頃は、締め切りの直前に徹夜してレポートを書く、みたいなことが、よくありました。
 ところが歳をとると、そういう馬力が出なくなって、むしろ毎日少しずつやるというリズムの方が体に合って来るようです。
 勉強にしても、試験前に丸暗記、みたいなやり方から、毎日少しの時間を使ってコツコツ勉強するみたいな。
 例えて言えば、短距離走から長距離走に変わってくる。
 毎日コツコツというのは、日々の変化はあまり実感できませんが、10年、20年経つうちに結構すごいことができているんですよね。

 一日のルーティンを決めて、コツコツ何かに取り組むことは、精神の安定の上にも良いようです。
 「何をしようか?」と考えることって、脳がものすごく疲れることだと最近知りました。スティーブ・ジョブスが毎日同じ服を着ていたのは、「何を着ようか」と考える労力を節約するためだったといいます。
 「今日はなにをしようか?」これを毎日考えるって、結構大変なんですよ。休日になったらあれをしよう、これをしようと思っているのに、いざ休日になると結局家でゴロゴロしていた、ということがありますが、それは選択肢が多すぎると選べなくなる。選ぶことに疲れてしまうことが原因だそうです。
 主婦が、毎日の献立を考えるのが大変と言われますが、確かに毎日何を食べようかと考えることは非常に脳がつかれますよね。

 ルーティンはまるで宗教的戒律のように生活を律し、今日為すべきことを教えてくれます。
 「パーフェクトデイズ」という映画には、人間にとってルーティンの大切さが良く描かれています。ヴィム・ヴェンダース監督が、主人公を修道僧から着想したというのはとても興味深いですね。
 同じことの繰り返しの中には、一種の宗教性があるようです。
 余談ですが、ミニマリズム音楽の、スティーブ・ライヒの楽曲も同じことの繰り返し。そこにぼくは宗教音楽のようなものを感じることがあります。

 ダラーッとした生活をしていると、なんだか鬱々としてくるのものです。ルーティンは心を安定させる働きがあることは、これを見ても分かります。毎日遊んで暮らしていても同じ。疲れてくるんですよね。毎日アドレナリンを出しっぱなしにしていると、人間の脳は鬱になるとも言われます。

 もちろん、ルーティンしかない生活は味気ないものです。
 興味深いのは、ルーティン大好きなイギリス人が、世界中を冒険して、植民地を経営していたことです。ルーティンに守られた生活から、時々大冒険に飛び出し、再び家に帰ってルーティンの生活に戻る。
 ルーティンと冒険のバランスが大切なのだと思います。

 ルーティンは習慣と言っても良いと思います。
 習慣は第二の天性と言われますが、習慣は人間を変える力を持っています。努力が努力であるうちは長続きしません。努力が習慣になると、それは雨水が岩を穿つように人間を形作ってゆきます。

 ぼくのおすすめのルーティンはいくつかあります。
 まず、読書。読みたい本があるから読むのではなく、読書の時間が来たから本を読む。何かの勉強でも良いと思います。
 それから散歩や運動。
 そして、決まりきった食事。
 一日八時間の睡眠。
 週末は、ルーティンを一切取り去って、好きに過ごす。たまには外食をしたり、映画館に行ったり。

 毎日まいにち、同じことの繰り返しだなーとぼやくのは自然なことです。でも、実はそれが幸せなのだということも確かなんですね。そしてそこに宗教性すら見出すことができるのかも知れません。

映画「パーフェクトデイズ」より。ルーティンが宗教性にまで高まることを描いた映画です。


 



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