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イラストエッセイ「私家版パンセ」0078「権力とは何か 笑」20250212

 ぼくは政治オンチです。笑
 そもそも政治ってなんだろう?
 130万円の壁問題とか、政治資金問題とか、いつも何やらかにやら騒がしいですよね。最近は、SNS選挙も話題になりました。
 ちょっと考えなきゃだめだなって思いました。
 それで自分なりに初歩の初歩から考えてみることにしました。
 恐らく多くの方には当然のことだと思います。
 でももしかしたらぼく以上に政治オンチの人がいるかも知れない。そういう人と、一緒に考えるきっかけになればと思ってこの記事を書きました。
 政治、すなわち、権力をめぐる問題を思いつくままに。

 人間は一人では生きられません。出産、言語の習得から始まってあらゆることを他者と協力して行う生き物です。
 そこで、必然的に社会が生まれます。そして社会の在り方は、時代によっても地域によっても文化によってもさまざまです。
 しかしどのようなものであれ、人が社会で生きる限り、社会の都合と個人の欲求の間には永遠に矛盾が生まれます。人間はさまざまですから、全員が満足する社会というものは存在しません。
 これが人間の宿命です。

 人間の集団が大きくなると、「権力」が生まれます。
 一人ではダムを作れません。大勢の人を束ねて大きな事業を行うために、権力が必要になります。あるいは外敵と戦うことにおいても、個人で戦うより軍隊で戦った方が強い。
 人々は自分の権利の一部を手放し、権力にゆだねることで、より大きな恩恵を受けることができます。

 「権力」の機能は、まず「立法」、最大多数の最大幸福を目指して、社会のルールを定めること。そして税金の使い道を決めることで社会の進むべき方向性を定めること。
 次に「行政」。内外の安全を守り、インフラの整備を行い、富の再分配を行って社会を安定させること。
 そして「司法」。ルールに基づいて違反者を罰し、社会の公正さを保ち、人々の間で起こった争いを裁定すること。
 民主主義社会では、この三つの機能を分立させて、健全性を保つようにしています。

 「権力は腐敗する。」という言葉があります。
 強力な力を持つと、人がすり寄ってきます。自分に有利にしてもらおうと頼みに来ます。頼む時には何かしらの利益を約束します。そこから腐敗が起こります。これは絶対に避けられません。
 それが人間の本質だからです。
 権力が腐敗すると、社会的公正が損なわれます。すると、「真面目にやる人は損をする。」とか「真面目に努力しても報われない」社会になってしまいます。そうすると結局その社会は衰退、滅亡します。
 いわゆる失敗国家というのは、政治家が腐敗し、警察が賄賂をとったり、裁判所が不公正だったりします。こうなるともうその社会は終わりですね。

 民主主義社会では、選挙と報道が、権力の腐敗をチェックする機能を持っています。
 だから、投票率が下がり、報道が信頼を失うことは、その社会にとってとても危険な事態だと言えます。
 フジテレビの問題は、スキャンダルというよりも報道の信頼の失墜という意味でより大きなダメージを社会に与えると思います。
 ずっと以前から政治と報道は癒着していてチェック機能を果たさなくなっている、とSNSは主張します。
 しかし問題は、SNSには無数のフェイクが存在するということです。
 ぼくたちはもう何を信じてよいのか分からない。このこと自体が社会の危機と言って良いと思います。
 人々が正しく判断できなくなれば、その社会は衰退するか滅亡するしかありません。

 権力を監視するもう一つの存在は野党。
 野党が、「総理大臣はボケナスだ!」なんてことが普通に言えるということ自体が、健全な社会であることの証拠です。
 言われた方は気の毒ですけれど、独裁国家では、権力批判が許されていないんですから。
 野党なんかいらない!という考えは、実は独裁国家を作ることになってしまい、結局は自分に跳ね返ってくるんです。強制収容所に入れられてからでは遅いんです。
 もちろん、野党を批判することは全く問題はありません。

 格差社会と言われますが、これは権力の分配機能が衰えている証拠です。
 分配よりも、上位に集中したほうが社会が豊かになり、結果的に全ての人が恩恵を受けるという理論のもとに、自由主義経済を推し進めましたが、結果的には格差が広がりすぎてしまった。
 アメリカのように、上位10人の財産が、人口の下位半分の総資産と等しい、というのはちょっとゆきすぎだと思います。
 こうなると社会が不安定化して、既得権益層への不満が高まり、トランプさんが権力の座につくなんてことが起こります。
 トランプさんの登場は、ですから、クリントンさん、オバマさんやバイデンさんという民主党の大統領たちが格差社会を放置した結果でもある、とも言えると思います。
 普通の人がむくわれない社会になれば、結果的にその社会は衰退します。大企業は多国籍ですから、一つや二つ社会が滅びても困りません。しかし政治家は社会がなくなれば存在できません。だから、恐らく頑張ってくれるだろうと思っています。笑

 社会がさまざまな考え方の人々の集まりだとすると、立法は最大多数の最大幸福の原則を採用します。
 長い歴史を持つ社会は、時間をかけて人々の中に、「これぐらいが妥当だろう」という善悪の価値判断が生まれ、伝統、慣習になります。
 立法は、正義ではありません。
 立法は、こうした人々の一般的な価値基準、道徳観、倫理観から形作られるのであって、絶対的な善、悪の基準に照らして作られるものではありません。
 しかし同時に、フランス革命以後、人間は普遍的な正義を信じるようにもなりました。伝統を打破し、理性的に考えて不合理なものを変えようという考え方で、これがリベラリズムというものだとぼくは思っています。基本的人権という考え方もその一つです。
 基本的人権は認められるべきだ。だとすると、女性の権利も認められなければならない。こうして女性に参政権が与えられました。そして当然、マイノリティーの権利も。
 合理的思考というのはこういうものです。論理的整合性が求められます。
 そしてこの合理的な考えはしばしば、伝統的価値観とぶつかります。伝統的価値観は必ずしも合理的とは限らないからです。あるいは、当時は合理的だったかも知れないが、状況が変わったということもあるでしょう。
 リベラルな合理性と伝統的価値観がぶつかりあう中で、妥協点が生まれ、やがてそれが立法に反映されてゆきます。
 どちらが正しいということはありません。
 今、少数与党で、予算案にも野党の修正案がたくさん入るようになりました。与党だけで決められず、野党と妥協するしかない。
 これ、ぼくはすごく健全な形だなーって思っています。
 余談になりますが、バイデンさんなどのリベラル派って、「自分たちが正しくて、他のやつはアホだ」みたいなオーラが出てるんですよね。
 これも政治は妥協であって正義ではないという原則が分かっていないなって思います。

 ぼくは学校の先生でしたが、昔は~さん、~くんと呼んでいました。ところが今では、全員を~さんと呼ぶことが義務付けられました。ぼく自身はリベラル派だと思っていましたが、その時に違和感を覚えたのを覚えています。個人の中にもリベラルと保守的なものが共存していることを自覚しました。「不適切にもほどがある」というドラマも大好きだったし。笑
 でもトランプさんの、アメリカには男と女しかいない、という発言を聞くと、「やれやれ」と思いますしね。

 結局のところ、完全な社会はありません。すべての人が幸福である社会もありません。毎日、話し合いながら妥協を重ねるしかない。
 いつも問題だらけで矛盾だらけ。これが社会というものです。
 そういう未解決の問題に耐える力、ネガティブ・ケイパビリティと言いますが、これが必要なのです。
 そして出た結論も正解ではないし、暫定的なものでしかない。
 分断が危険なのは、そもそもこの人間社会の原則が分かっていないことです。
 それぞれの立場が自分たちを絶対に正しいと思っている。
 すぐに正解を出したい。問題を片づけたいと思う。
 これって、受験勉強の影響かな?受験勉強は絶対答えがあるじゃないですか。答えのない問題を受験で出すわけに行きませんから。
 答えのある問題に早く正解を出す訓練ばっかりさせているから駄目なんですよ!と肩に力が入っちゃったりして。

 ぼくたち一般人の感覚って大切だと思うんですよね。
 「これはやだな、行き過ぎだな」という保守的な感覚も大事だし、「これは改めなくちゃだめかもな」というリベラルな感覚も。
 ぼくたちのような一般人が、納得する線みたいなものがあって、それが要するに様々な意見の妥協点みたいなものなんじゃないかなーって思います。
 もちろん、これも完全ではなく、間違うことも多いのですけれど。

 あと、選挙には行かないとね。

オリジナルイラスト チャップリン「独裁者」







私家版パンセとは

 ぼくは5年間ビール会社のサラリーマン生活を送り、その後30年間、キリスト教主義の私立高校で教師として過ごしました。多様で個性的な生徒と出会い、向き合う中で、たくさんのことを学ばせていただきました。そんな小さな学びの断片をご紹介します。これらの言葉がほんの少しでも誰かの力になれたら幸いです。


 
 




 
 



 
 


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