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"ぼくの好きな先生"

あのひとは、いつもくしゃくしゃの顔で笑う。ぼさぼさの髪の毛に埃をいっぱい纏わせて、「今日はどしたん」と訛りの強い関西弁。白衣はクタクタになっていて、あちらこちらに汚れをつけている。

「先生、今日はね」からはじまる、二人の時間。広大なキャンパスという人の海で、ここだけはまるで陸の孤島。閉じ込められた空間で、わたしはただ泣きながら、怒りながら、今日のことを話しだす。口から流れる言葉を、まるで水を眺めるように穏やかに聞く先生。「それはアホやなあ」「それはえらいしんどかったなあ」ぽつりぽつりと言葉を発してくれる、その診療室がだいすきだった。

そこは、大学の精神科。月に一度の診療室だ。



先生に出会ったのは、鬱真っ盛り、希死念慮が満開の時期だった。まるで桜のように鮮やかで恐ろしい"うつ"という病。休学明けに知らぬ病院へ通う気力もなく、近くを探しまくった挙句、我がキャンパスの精神科にたどり着いた。

正直に言えば、最初は小馬鹿にしていたのだ。大学がそもそも嫌いだったのもあるのだろう。綺麗な病院、最先端のクリニックへの憧れもどこかあった。それで、なにも期待せずに診察室のドアを開けた。

ちょこんと小さな椅子に座る、恰幅のいいおじさん。分厚い黒縁メガネをかけて、髪の毛はあまり切らないのだろう、すこし伸びている。白髪混じりで、埃がついた頭をガシガシ触りながら「お、ようきたね」と言う。

銀河鉄道999に出てきそうな見た目の先生は、昭和!という感じ。そこの角から今にもメーテルと鉄郎が飛び出してきそうだ。

こわばった表情のまま、わたしは話しだす。何回精神科に行っても慣れない、自分の傷をえぐり見せる作業。何度も堕ちてゆくその暗闇に、溺れてゆく。濁流のように流れ出す言葉に、ただ先生はやさしい相槌を打つ。「大変やったなあ」と言ってくれた瞬間、思わず涙がこぼれ落ちた。そんなわたしに「あー…ハンカチあるで」と、これまたくしゃくしゃのハンカチを差し出してくれるから、笑ってしまう。

春の日、穏やかな午後。それがわたしたちの出会いだった。



先生とわたしは、正反対の見た目。やせっぽちでド派手なファッションのわたし。先生はいつもシワシワのチェックシャツを着て、ゆるゆるのズボン。「先生にもうちょっとちゃんとして!ってたまに言うんですけどねえ」と看護師さんも笑うほど、先生は自分の見た目に無頓着だった。

けれど、わたしたちはよく似ていた。わたしがファッションの話をすると、先生は前のめりで聞いてくれる。このファッションはこういうイメージで…なんて語り始めると止まらないオタク気質のわたし。それをまるで変な生き物を見るようにおもしろがってくれる先生。

そのうち先生が「今日のテーマは?」と聞いてくれるのがお約束になった。「今日はイギリスのパンク好き、タバコをよく吸うちょっとグレてるガールです!」とか「今日はアメリカの夏休み前、テスト終わりのはっちゃけた女子高生です!」とか、わたしもノリノリで細かく設定を決めて登場した。

まるで気分はファッションモデル。診察室のカーテンを開ける瞬間が、わたしのオンステージだ。

先生は「たしかに、このなんか穴開いてるのは、パンクっぽいなあ」とか「あーなんかミニスカートやしはっちゃけてる感じするわな」といつも律儀にコメントをくれる。それがいつもニヤニヤするほど嬉しかった。

その当時わたしは映画サークルに入っていて、自分の中の暗闇を埋めるように映画を摂取していた。それは先生も同じで、たくさんの映画を観ていた。

ファッションと映画の話、それがわたしたちのお決まり。最近観たこの映画はどうだった、ああだった、そんな話を繰り返す。先生は怪獣映画ばかり見ていて、ゴジラの話になると熱くなる。「ギレルモはゴジラ好きやからこう、怪物の解像度が高いわなあ」なんて、アカデミー映画までゴジラ目線だ。



もうすぐ夏休み、という時期。毎年のとおり、わたしは実家に帰省するのが心底嫌だった。家庭環境は複雑で、親への愛憎でいつも転げ回っていた。

そんな時、教育関係の授業を受けた。担当の教授は、「僕になんでも相談してきて!」と豪語するひとだった。生徒から大人気で、優しそうな人。わたしは淡い期待を込め、過去の苦しかった話を含め、相談をした。

返ってきたのは、「許してやったらどう?あなたも楽になるし、親も人間なんやからさ」というもの。今思えばそれもまた真理なのだろう。けれどその当時は、どうしても、どうしても許せなかった。

わたしの苦しみや悲しみを、この人は一つもわからないのに!体験したこともないのに!なぜ許せなんて言えるの?わたしの気持ちを踏みにじるの?

怒りと悲しみで余計に深まった孤独に沈み、しばらく授業はボイコットした。それほどまでに、落ち込んだ。



診察室で泣きながら話をした。先生はひと通り叫ぶように話すわたしを眺め、ひと言言った。

「許さんでええよ」

私もわかってる、許した方がいいことなんて。その方が大人だってことぐらい。

「大人にならんでええやん」

でも、大人にならないと…大人に、ならないと…

「映画の世界もファッションの世界も、いつまでも子どもみたいなひとばっかりやんか」

そう笑ってくれる先生を見て、わたしはいつのまにか泣き止んでいた。呆気に取られながらも、先生のその言葉はまるで光のようだった。

今まで精神科はいくつも通った。正論を振りかざす先生もいたし、ただうんうんと聞くだけの先生もいた。

でも、"先生"は、違った。ただ、なんでもないことのように、許さなくていいと言ってくれる。それは、わたしにとってまさに救いだった。

ああ、許さなくていいんだ。

そう思えただけで、なんだか胸のつかえは下りていて。それだけで、今日を生きてよかったと、心から思えた。



結局休学を繰り返し、留年をしたりしながら、7年近く過ごした大学生活。ひとよりも長かったモラトリアムは、今ではわたしの大切な糧になっている。

その思い出が光っているのは、間違いなく先生がいてくれたからだ。目を閉じれば、ボサボサの頭をガシガシ触りながら笑う先生が見える。大丈夫や、大丈夫、と肩を叩いてくれる気がするのだ。

バタバタしながら卒業してしまい、先生にも会えないまま。お礼も言えずにいたことを、今でも後悔している。

でもきっと、先生は気にしないだろう。いつも通り何軒も映画館をはしごして、ゴジラ映画を観ているだろう。

わたし、ゴジラ-1.0を観たよ。先生、アカデミー取ってよかったね。今度会えたら感想聞かせてね。わたし泣いちゃったよ、先生も泣いたかな。こうやって、きっとゴジラを観るたびに先生のことを思い出すよ。

その度に、わたしはきっと、明日を向けるよ。

今度会った時は、とびっきり素敵なファッションで。またね、

そんなことを思う夜更け、わたしは今日も、明日も、生きてゆく。許さないまま、許せないまま、そんな自分を許しながら。

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