辻 諭

224porcelain 代表。 佐賀県嬉野市出身。 磁器という素材と向き合い、人の心を豊かにするようなモノ造りを心がけています。

辻 諭

224porcelain 代表。 佐賀県嬉野市出身。 磁器という素材と向き合い、人の心を豊かにするようなモノ造りを心がけています。

マガジン

  • 本当の肥前吉田焼とは何なのか、私はそれを知りたい。

    コロナ禍をきっかけに自分の仕事や肥前吉田焼という産地について考え、行動した記録です。

最近の記事

Vol,18 肥前吉田焼復刻プロジェクト⑪

さっそく礬土と思われる土をそのまま焼いてみました! 鉄分が溶けてハマにくっついて取れません。 金槌で叩いたら底が割れてしまいました。 表面と中の色がかなり違います。 カタチはそのまま保っているので不要な鉄分を取り除けば耐火度も問題なさそうです。 先日採った陶石の乾燥が終わったら窯業技術センターでスタンパーをお借りして粉砕し、粘土を作る予定です。 単味でロクロが挽けるのか、また耐火度はどうなのか、 この礬土を混ぜないといけないのか、 とにかくテストしないと進みません

    • Vol,17 吉田焼復刻プロジェクト⑩

      礬土と思われる土がこちら。 しっとりとして柔らかいです。 グッと掴んでみるだけで、 このように固まります。 可塑性が高い! さっそく水と混ぜてみると簡単にお団子ができました。 先日作った押し型でテストピースを造ります。 礬土を混ぜていたという記載があり、 この礬土の役割は可塑性と耐火度です。 可塑性は問題なさそうですが、あとは耐火度がどうなのか、 さっそく次の窯に入れてみたいと思います。 続きはまた次回に。

      • Vol,16 吉田焼復刻プロジェクト⑨

        唐津の作家であり、友人の健太郎窯の村山さん、三藤窯の三藤さんに協力して頂き、もう一度、吉田の陶石を採りに行きました。 とにかく暑い。。。 蚊も多く、トゲの木や伸びた雑草を掻き分けて山へ入っていきました。 この時期に行くものではないとお二人にも言われましたが、どうしても行きたかったのです。 お二人も一緒に掘ってくれました。 土のう袋3つ分を採り、全部の石を水で綺麗に洗って泥を取り除きます。 とにかく疲れました。。。 お二人にも感謝です。本当にありがとうございました

        • Vol,15 吉田焼復刻プロジェクト⑧

          さっそくテストピースを作ってみました。 左が②グレーの石、右が③白い石です。 Vol,7の記事にある②と③です。 1300℃の還元焼成で焼いたところ、驚きの結果に。。。 奥が②グレーの石、手前が③白い石です。 破片を焼いた時は大丈夫だったのですが、粘土に生成したら③が溶けてしまいました。 ②のアップ ③のアップ 文献にある通り、やはり単味で作るのは難しいのか、 もしくは②のグレーの石の単味でいくか。 佐賀県窯業技術センターの研究員の方に相談したところ、 ミル

        マガジン

        • 本当の肥前吉田焼とは何なのか、私はそれを知りたい。
          19本

        記事

          Vol,14 歴史の話。④

          先日、頂いた資料の中にビックリする文言がありました! 礬土??? 鳥居原??? 「礬土」。調べたら 「ばんど」、もしくは「はんど」と読むようです。 しかもネットで調べたところ、 酸化アルミニウムとなっています。 私たち窯業界では通称アルミナと呼ばれる酸化物です。 耐火度が高く、棚板との接地面に塗ったり、急須の蓋などの合わせ焼きをする焼き物の際によく使います。 しかし、アルミナとは。。。 天然原料の土に珪酸分とアルミナ分を含んだものを混ぜていた、という事実。 つ

          Vol,14 歴史の話。④

          Vol,13 吉田焼復刻プロジェクト⑦

          早速、データをNC切削機に取り込み、切削開始です。 私の場合、データはライノセラスで制作し、STLに変換します。 NC切削機に繋いでいるノートパソコンの方では、どの順番でどの刃物で 回転数やピッチなどの設定を細かくおこないます。 この技術は佐賀県窯業技術センターで開発されたもので、 石膏のブロックを切削し、そのまま型として使う手法です。 今の量産スタイルは石膏の吸水を利用して成型するので、 石膏をそのまま切削するのが一番早いです。 出来上がりの写真です。 次は実際

          Vol,13 吉田焼復刻プロジェクト⑦

          Vol,12 吉田焼復刻プロジェクト⑥

          さっそくテストピースのデータを作ってみました。 このようなカタチには意味があって、釉薬の溶け具合や垂れ具合などを確認しやすくするために縦方向に作ります。 また、二本の溝は釉薬の溜まり具合やエッジの雰囲気を確認しやすくするためです。 レンダリングしたイメージ。 押し型の型データはこちら。 今度はこのデータを使ってNC切削機で型を作ります。 原始的な粘土の作り方と最先端技術を使った型作りなので、本当に振れ幅がすごいです。 続きはまた次回に。

          Vol,12 吉田焼復刻プロジェクト⑥

          Vol,11 吉田焼復刻プロジェクト⑤

          一番期待度が高い③を粘土にしています。 前回書いた同じやり方です。 これも3日ほどかかってできた粘土がこちら。 天草陶石の粘土とかなり似ています。 色味はえり中くらいでしょうか。 これは期待が持てます。 ただ、20年間、天草陶石の粘土で作ってきた私の感覚ではやはり可塑性が少ない気がします。 テストピースの精度を上げるために、3Dを使った切削で押し型を作ってみようかと思っています。 続きはまた次回に。

          Vol,11 吉田焼復刻プロジェクト⑤

          Vol,10 吉田焼復刻プロジェクト④

          ②はグレー色の石です。 雰囲気は天草陶石のえり下あたりかなと思っています。 今度はこれを粘土にしていきます。 まずは細かく砕いたものをまたミルに入れます。 今回は釉薬ではないので水を入れずに石だけを摺ります。 摺り終わったらミルから出してふるいを通し、バケツに石の粉末と水を入れ、攪拌します。 混ぜたら10秒待って、上水をバケツへ移します。鉄分などの不純物は重いので10秒のあいだに下にたまっていきます。この沈殿したものは廃棄します。 これを何度か繰り返します。

          Vol,10 吉田焼復刻プロジェクト④

          Vol,9 吉田焼復刻プロジェクト③

          3箇所から取ってきた石を細かく砕きます。 道具も何も持っていないので、健太郎窯の村山さんに手取り足取り教えて頂き、ホームセンターで一式を揃えました。 少量なので簡易的に揃えたものでやってみます。 また、自分で作るための大きな役割を持つポットミルの機械を唐津の廃業された方から譲って頂けるように手配までして頂きました。 新品で買えば10万円はします。 村山さん、本当にありがとうございました。 ポットは新品を購入して早速使ってみます。 汗だくになりながらある程度細かく

          Vol,9 吉田焼復刻プロジェクト③

          Vol,8 歴史の話。③

          やはりわからないことが多く、嬉野市教育委員会の市史編纂室の槐原さんを訪ねて、今の私の個人的な取り組みについて相談し、何か資料はありませんか?と聞いてみたところ、 後日、沢山の資料をご用意して頂きました! これはとてもありがたいです! 内容も発掘調査報告書と違い、歴史にまつわる話が多いです。 ただ、やはりとても昔のことなので、 「これは誰かが何か見たり聞いたりして書いたものをまた時を経て、誰かがそれを見たり聞いたりして書いてを400年繰り返したものであるから、信憑性や

          Vol,8 歴史の話。③

          Vol,7 吉田焼復刻プロジェクト②

          これらの破片を窯で焼いてみるのが早いと思い、早速焼いてみました。 ①一番手前で取れた白い石 ②風化して少し柔らかくなったグレーの石 ③奥の方で取れた風化して少し柔らかくなった白い石 ①と③は見た目がとても似ていましたが、 焼いてみると①は表面が完全に溶けています。 ②は少し鉄分があるグレーっぽい色味に焼き上がりました。 ③は白い磁器に焼き上がりました。 私たちが普段使っている天草陶石は等級があり、 上質なものから順にえり上、えり中、えり下に分けられます。

          Vol,7 吉田焼復刻プロジェクト②

          Vol,6 吉田焼復刻プロジェクト①

          この写真は吉田の陶石採石場跡地です。 私が小さいころはまだ何か重機で掘られていたような記憶があるのですが、今は木で覆われて見えません。 いつの間にかコンクリートで壁面を固められ、金網で仕切られ入れなくなっています。敷地には太陽光パネルが設置してあります。 私一人ではどうにもならないので、友人であり、お世話になっている唐津の作家、健太郎窯の村山さんに相談し、協力してもらうことができました。 本当に感謝です。 この採石場の山脈に沿って行けば、同じ石が取れるのではないかと

          Vol,6 吉田焼復刻プロジェクト①

          Vol,5 歴史の話。②

          まずは何か昔の資料を探すところからです。 肥前吉田焼窯元協同組合にお願いし、発掘調査の資料をお借りしました。 平成3年から平成9年までの発掘調査報告書です。 これはとても貴重な資料です。 その中のこちらの地図。 今は閉鎖されていますが、陶石の採石場の跡地から2つの方向に分かれて窯の跡地があります。 発掘調査報告書では吉田1号、吉田2号と記されていて、どれくらいの大きさでどのような形の器が出てきたのか、年代はいつ頃なのかなど詳細に書かれています。 その中で、 -

          Vol,5 歴史の話。②

          Vol,4 歴史の話。①

          本当の吉田焼とは何なのか、 本当の吉田焼のアイデンティティとは? 今の吉田焼が本当の吉田焼ではないということではなく、吉田焼が開窯された当初の焼き物という意味です。 ここに辿り着くにはまずは歴史を知るところからです。 元々、佐賀県は鍋島藩で、鍋島のお殿様が秀吉の朝鮮出兵の際に陶工を連れて帰り、焼き物を造らせたことがきっかけです。 その中で李参平が有田の泉山で磁鉱石を見つけたのが1616年と言われており、有田焼の始まりとされています。 これが日本初の磁器を造ったということ

          Vol,4 歴史の話。①

          Vol,3 モヤモヤ。②

          吉田焼の特徴は「様式に囚われず、自由なモノ造りができる産地です!」と答えてきたことに対して、400年以上続いてきた産地の特徴としてこの答えでいいのか?と考えるようになりました。 私はここ数年、年に1、2カ所、全国の焼き物の産地を見学に行くようにしていて、唐津の中里太郎右衛門先生とお話しする機会がありました。 私のような若輩者に対しても、とても丁寧に優しくお話しして頂きました。それなのに失礼にも「先生にとっての唐津焼とは何ですか?」というプロフェッショナルや情熱大陸でも聞か

          Vol,3 モヤモヤ。②