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Vol,4 歴史の話。①

本当の吉田焼とは何なのか、
本当の吉田焼のアイデンティティとは?

今の吉田焼が本当の吉田焼ではないということではなく、吉田焼が開窯された当初の焼き物という意味です。

ここに辿り着くにはまずは歴史を知るところからです。


元々、佐賀県は鍋島藩で、鍋島のお殿様が秀吉の朝鮮出兵の際に陶工を連れて帰り、焼き物を造らせたことがきっかけです。
その中で李参平が有田の泉山で磁鉱石を見つけたのが1616年と言われており、有田焼の始まりとされています。
これが日本初の磁器を造ったということになります。
この李参平の他にも陶工がおり、推測ですが、佐賀県内の様々なところへ派遣され、磁器の石を探すところから始め、その中の一人が嬉野の吉田で石を見つけたのではないかと思っています。

また一方で、吉田焼の歴史の文献には

吉田焼の創業年暦は定かではありませんが、嬉野の陶磁器の歴史を紐解くと、天正5年(1577年)に龍造寺隆信公が大村の有馬氏攻略の際、吉田村を流れる羽口川の上流、鳴川谷の川底に、白く光る石を発見したそうです。これが我が国最初の陶鉱石と言われています。

と書かれています。

石を粘土にする技術は中国から朝鮮、それから日本へ伝わったと私は考えています。

秀吉の朝鮮出兵が1592年であり、朝鮮出兵後に連れてきた陶工がこの技術を持ってきたとすると、1577年にはまだ石を粘土にする技術がなかったと思うのです。

また、年表にも

1598年鍋島直茂、朝鮮より陶工を連れ帰りその中の一人に吉田で陶器を作らせる

と記述があります。

陶器??? 磁器ではない???

元々、陶器は土、磁器は石から作られます。

さすがに400年以上前となると、資料も少なく、信憑性に欠けるのですが、

自分なりに仮説を立て、調べてはまた仮説を立ての繰り返しになりそうです。


続きはまた次回に。




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